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11月, 2013の投稿を表示しています

心を知り、正確な情報を持って行動する。

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そ ろそろ 朝晩が冷え込む昨今、朝起きるのがつらいです。11月の最終週。 もういくつ寝るとボーナスを貰える12月になります。 ボーナスが出たら何をしますか。おいしいご飯を食べるのでしょうか あるいは恋人とデートなんてのも良いですね。 今から期待・計画が膨らみます。貰えない場合は泣きます。 誰 かが支えてる ボーナスをもらえる場合にはたいてい、儲けがあります。 誰かが儲けている背景には、誰かが損をしている場合があります。 それは資本主義の原理です。その典型が会社です。 会社は儲ける、利の得ることをひとつの目的として経営されます。 そのような会社、特に株式会社を支ええてるのは株主です。 公開株ならば個人を含め非常に多くの方が会社を支えています。 ギ ャンブル さらにそうした株主から手数料を取り株を売り買いする証券会社があります。 また株だけでなく円とドルとの価値差から利を得る会社もあります。 これらはギャンブルです。 株なりお金なりの価値と、人の信用や情報とをたくみに利用します。 マネーゲームといわれていますが、 その儲かる仕組みを 経営にも 水平展開できるのではないか 、 と考えています。 経営もギャンブル的側面はありますからね。 コ ツ ギャンブルと書きましたが一方で、経営に一番寄与する部分は人間です。 不確定要素はおおいものです、が、そのなかで経営し続ける 即ち「続いていくこと」の要素は何かと考えた場合 (働いている人、お客さんの) 人間の心と行動を知り、 研鑽し続け得られる最新情報と その精度や確度を吟味 する必要があるのだろうと考えます。 それを考えた本がありました。 「投資敗者の思考パターン(平田有和 著 幻冬舎ルネッサンス 発行)2011,3)」です。

裸の王様と臆病者と。

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甘いお菓子はいくらあっても困らなさそうなものですけどね。 多 すぎても少なすぎても・・・ 過ぎたるは及ばざるが如し、という言葉があります。 甘いものなら食べ過ぎると糖尿病になることもありますし 塩分の高いものなら食べ過ぎると高血圧になることもあります。 物だけでなく、人の心もそうです。 自分の自信が大きす ぎる人を裸の王様と呼びます。 逆に自分の自信が小さすぎる人を臆病な方と呼びます。これら 心の満足度が過剰あるいは不足している場合には どうしたらよいのでしょうか、ここではその方法を書きます。 なお以前の記事で私は つるむのが好きではない という話を書きましたが それとは異なります。 そ の人だけが変わればいいのか しんどいなぁと考えている方がいて、性格的な問題を改善したい場合、 お医者さんやカウンセラーさんなどに話を聴いてもらいます。 そして投薬されたり考え方を変えたりされるのでしょう。 こうした場合、ある特別な空間で処置なり処方なりがなされています。 いわば特別な空間であって、処置が終わったあとは普段に戻ります 。 特別な空間で処置が完了したとしても 普段の生活で変わることができなかったらまったくの無駄 です。 ですからそのような場合、問題解決を図るためには 環境変化に働きかける必要 があります。その役目を果たすのが ソーシャルワーカー(Social Worker) です。 環境変化に働きかけるためには 社会資源(人的資源であったり法律、サービスなど) 使えるものは何でも使うようにします。 例えば会社員なら 働いている会社の上司や経営者と交渉し 就業規則の変更であったり、家族であったら送迎手段の開発であったり、 環境変化を考えて、周りが変わっていくことで 皆がみなで支えられるようになったらよいのではないかと感じます。 参 考資料 それを以下を読んで考えました。 「「他人の目」を気にするのはやめなさい(町沢静夫 著 PHP研究所 発行 2010.1)」です。 感 想 人は何かしら足りないものを埋めようとするのかもしれません。 戦後は物が無かったので物を集めるために必死でした

情報伝達と交渉

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人と人とのやり取りをするとき 「駆け引き」   が重要になります。 駆 け引き下手   自分のことを知ってもらいたい。 誰でもそう思っています。 人が複数集まった場合、誰しも自分が話したいと思います。 小さなコミュニティで言えば家族会議、井戸端会議から 大きなコミュニティで言えば外交交渉まで、、、、 実に多くの駆け引きをして他人との「話す」折衝をしています。 目 的は何か。 家族ならば気持ちの共有であったり 国家間ならば国の利を得るためであったりし、 人と人とが話をする場合目的があります。 例えば気持ちの共有を図る場合には相手を害することなく 自分の言葉を伝えることが、 相手と良い関係を作るうえで常だと思います。 社会経済を回す株も交渉によって成り立っています。 駆 け引きのしやすさ 私個人は駆け引きが得意でないのですが 例え不得意でも、目的を遂行する為 駆け引きは必須   です。 偏 った情報 ・ ・・ 目的遂行のためには偏った真実情報、事実を使うこともあります。ですので 客観的な生の結果や現象・真実と、 人のフィルターにかかった情報・事実とを 分けて考えていく必要があります。 アメリカによる報道機関の情報統制 (参考文献参照)や 中国によるNHKの報道 ( ニコニコ動画 ) などが 代表的な例として考えられます。 変に誰かの手によってゆがめられた情報をもとに 議論をするのはナンセンスだと思います。 そこには情報の信頼性が無いからです。 怖 い そう、確かに間違った情報をつかまされた場合は怖いです。 ですからどうするか考えた場合、以下の3点が重要になります。 ①信頼された情報・真実を集め、 ②目的に応じ取捨選択をし、 ③自分の力でどういう解釈をするか考える です。これで自分なりの結論や考えが作られると思います。 人 に置き換えると 私は、これが人の気持ちにも置き換えられると思っています。人は 世間体や誰かから得られた価値観 が刷り込まれ、間違った解釈をすることがあるからです。 それこそ社会で多くの方と接するうちに自分の価値観が

THE 作法

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J apanese SAHOU 「ええと、ご祝儀の結び方はどうやった。。。」 結婚式、パーティ、葬式など何かと社会に出ると オフィシャルな会合に呼ばれることがあるものです。 私は少なくともそれらのときにどのような振る舞いをすれば良いか 分からなくなる事があり、振舞い方が分からぬときは凄く緊張します。 正式な振る舞い、即ちマナーを知っていることは、 相手の文化や考え方を侵さず自分のことを伝える意味で重要 なのだと思います。 そら大したこと無い集まりの場合にはマナーを侵したとて 「なんやあいつは、常識の無いやっちゃなー」 ということを言われるくらいでなんこと無いと思うのですが 「ここぞ!」という場面では 「ビシッ!シュッ!」と決めたいものです。 具体的な例でこれまでどんなことがあったかな、と思い出してみると、 それこそ日々反省につぐ反省の毎日なのですが 人生の中で「間違ったなー」と思ったこと、痛感したことは、 高専から大学の編入試験での出来事です。 編入する大学の一つに横浜国立大学を受けたのですが、 そのときの試験では面接があるのにも関わらず、 ハーフパンツに半袖でのぞみました。 周りの人はみんなスーツなのに僕だけ普段着。 加えて試験の出来がぜんぜん芳しくなかったので 諦め半分、やる気無しさ半分で泣けてきそうでした。 結局落ちたのですが、例え試験の結果が良かったとしても デリカシーの無い服装で面接にのぞんでましたし どう転んでも落ちたろうな、と思った次第です。 今ではある程度社会を経験しているため、さすがに 就職試験や転職試験のときにスーツ以外を着る事は無いです。 ですが場合によっては、場の空気を和ます方法として 「作法を知った」上で奇抜な服装を着、敢えて「場を乱す」ことで アクセントを出すこともありなのなのかなとは思います。 全ての場面で有効だとは思わないのですが、 一種の「驚き」、即ち生活の中で緩急をつけることも 心豊かに生きるうえでは必要なのだと思います。 なお、あんまり堅苦しく「マナー」「マナー」と言うてしまうと 行動を制限してしまうことになると思うので 下手にマナーや規則に縛られず、他人を傷つけない程度に 自分を出すのが素晴らしいのではないでしょ

人と話す力

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心 か行動か 私は 心や気持ちから行動 が触発 され、それから良い心が出てきて さらに行動も変わる、、、という順番でよくなる思っています。 一方、手っ取り早く気持ちを得るため、有無を言わさず とりあえず行動し、気持ちが付いてくる 。 そしてさらに行動する、、、 といったこともあると思っています。 どちらが正しいとか間違っているということはなく、 それらの考え方を時と場合によって使い分けたら 「いい人生」を歩むことが出来るかなと考える部分があります。 しかし、ときに行動に頼り過ぎてしまうと、大事な行動の前にある 「気持ち」は潰れてしまう可能性があるのではないかな と思う部分があります。 具体的な例の一つとして、 相手が良いようになると思った場合、とにかく相手のためを思い 状況を読まず是正を呼びかける、と言ったことがあります。 (医療関係の方や介護関係の方、福祉関係の方でも多いです。) すると、その場は相手の「答え」が得られてよくなることはある と思いますが、相手が困難を迎えた時に、自分で「考える力」であったり 「答えを見つけ出そうとする活力」が なくなってしまうのではないかと思っているのです。 「魚を与える」か「魚の取り方を教える」か、の違い、といいましょうか。 一方、今年の夏に私は路上でチラシ配りをしていましたが 日によって誰もチラシを受け取ってくれないことがありました。 そのときに朝が早かったせいもあり「うわー、こら駄目だぁ」と思い 痛々しい顔をすると、ますます気分が落ち込むんです。 こら困ったなぁと思っていたのですが、 そこを敢えて笑顔を無理やり作ることによって 気分の落ち込みはある程度防ぐことが出来ました。 耐え凌ぐ為の行動から気持ちの変容を支えるということに関しては 非常に行動は効力を発揮すると思うのですが、そもそもというか 行動の根源たる「気持ち」や「心」は行動から引き出すことは 難しいのではないかな、と思うわけです。 だって根本的な活動欲求を起こすための行動なんてみんな知らないでしょ? 知ってたら私が教えて欲しいくらいです、と思っています。 また心理学を勉強していると、よくパブロフの犬を用いた反射の実験が 出てきますが

仕事や趣味に深みを増す

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人生は絡まった紐? 「人 生」のなかの「仕事」の割合 人生の中で比較的多くの時間を過ごす場は「仕事」ですが 「仕事が第一!」な「仕事人間」な方は、定年でやめてから 何をしていいのかわからず、無気力になることがあるそうです。 平均寿命も昔は短かったと思いますので、定年と同じく、もしくは定年前 あるいは定年後少ししたら亡くなるケースがあったと思います。 しかし最近の医療技術の進歩には驚かされ、またそれにより 非常に長い年月を生きることが考えられます。 今の平均寿命は80歳代後半でしょうか。 65歳で仕事をやめても後20年。なかなか長い「暇つぶし」です。 その間、もしくは定年前に何か面白いものを見つけられれば 時間を有効に使えるのかもしれませんが、「趣味が仕事だ!」などと 言っている人は見つかりにくいのかも知れません。 (あ、自営業の人は考え方が違うと思います。) 「仕 事」というものの位置づけ 人によるとは思うのですが、仕事はあくまで仕事で 自分の「自己実現の場」と考える人が居ます。 あるいは仕事は仕事と「割り切り」、苦しいものだと考え いやいや仕事をする人も居ます。 いろいろな考え方があってもいいとは思います。が、 どうも後者の考え方ですと、無気力になりそうな気がします。 熱意が感じられることが少ないと思うからです。 たとえば同じ帳簿付けでも 「言われたとおりにすりゃええわ」といって適当に付けるのと 「これは会計方法を学ぶ方法だ!」と考えながら付けるの。 同じ帳簿付けでも繰り返し行っていたら年月が経った後には 身に付く「力」が異なると思います。 「仕 事」と趣味を持つこと また、先の例で言うならばもちろん仕事以外にたとえば吹奏楽や釣りなど 面白そうなことをされる、打ち込めることができるのであれば それをされたらいいとは思うのですが せっかくある程度の時間を切り売りして仕事をしているのですし、 死までの限られた時間を有効にするためにはその仕事を「死に時間」とせず 「生きた時間」として活用する方法を考えて見てはいかがかなと思います。 そのためには、 「精神的に余裕を持って」 仕事をすること。 すると仕事の作業そのものにも広い視野が備

ぺらっぺらな薄いひと

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よ く言われる言葉 「あんたぺらっぺらやなー」 と私は他の人から言われます。 今でもお酒を飲んで気分が良くなったりすると とりもなおさず言われます。 これを読んでくださっている方でもそういう方が いらっしゃるのではないでしょうか。 今、私は意識してそのような部分を出していることもあります。 昔、特に学生時代に顕著だったと思うのですが それこそ”ゲゲゲの鬼太郎”に出てくる「いったんもめんくらい」ほどの ぺらぺら人間でした。意識せずにそうなってましたね。 今は違うと思う。思いたい。 過去の私自身がそうで、またそのときには凄く 人やものに不満ばかり抱えていて 「しんどい」 部分がありました。 だからこそ、他の人には私のようにしんどくなってもらいたくないなぁ 厚みを増して欲しいなぁ、そう思い、話を聴いています。 また、そのようなぺらぺらな方は話をしているとわかります。 独特な雰囲気や、話し方が出てるのです。 ぺ らぺらって何よ。 そもそもぺらぺらって何なのでしょうか。 おべんちゃらを使って 調子のいいこと をいうことなのでしょうか、 あるいは 責任が無く軽い言葉 を使っていることなのでしょうか。 はっきりとしたことはいえないと思うのですが ひとつに 「(本来の意味と違う)やさしさ」 を有することがあるのだと思います。 親が子の成長を見守るといった意味での 叱りという部分を含んだ責任感のあるやさしさではなく ただ単に 相手を傷つけたくない とか、そういう行為として、ですね。 相手をただ単に傷つけたくないといったやさしさだから 恐らくそこには、多少相手に嫌われてでもいいから 相手のためを思って言う、ということも無いのでしょうし、 あるいは凄く切れやすい(≠キレ易い)関係というか だからこそ確実に表せる「形」を大事にするということが あるのだと思います。 相手を傷つけたくないから、行動しない。 知ろうとも思わないし、自分も傷つくのが怖

もう一歩の声掛けと態度を。

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「これやっといてっていっただろー」 「何度も言うとろうがー(怒)」 といった話を聴かされるほうはつらいです。 するほうはもっと嫌なんですけどね。 社会に出て、上司や先輩、後輩にそのようなことを 言い、言われた経験は誰でもあると思います。 私もあります。ありました。 会 社や組織に入る新人さん 新入社員の方や新人さんが居ます。 彼らと仕事を協力してやるうえで最も重要な要素は コミュニケーション だと私は思っています。 彼ら新人さんは今後の会社や仕事を担っていく上で重要な役割を果します。 そのような人に対して 先輩や上司は見守っていく必要があるのかもしれません。 ご自分が教育されてきたように。 でも決して同じ教育をしましょうというのではなく あくまで態度として見守りましょう、ということですがね。 見 守り方、状況や自分を認めてみては かつての「俺のときはこれでよかった」のかもしれませんが、 時代が変わっていることを認識しましょう。 やり方が変わっていることを、知りましょう。 従来の 「俺のまねをして付いて来い」、だとか 「これをしろ!」 などというと、仕事の「作業」はできるのかもしれませんが 新人さんが成長するという点からするとそれでは足らないのかなと思います。 「お前の代わりなんかいくらでも居るんだ、 さっさと辞めちまえ 」 なんて結構どきつ言い方で物言いをする方が時々居ますが、 そんな思っても無いことを言ったら 自分に跳ね返ってきます よ。 と思う部分が私にはあるわけですね。 自分の下に付いた新人さんを上記のように指導し、 本当に新人さんが辞めたらどうなると思いますか。 自分はいつまでたっても 下っ端のような仕事をし続けなければなりません。 いやぁ、それがいいっていうのならばそれでもいいと思うのですがね。 定年まじかまで若者と同じ仕事をできるって言うことも幸せなのかもしれませんが。。。。 ま、誰しも得手不得手があるありますから。。。。 い いところまで来ているので後一歩 でもそう新人さんに怒号を飛ばすような人も 実は新人さんが動き出すまでの近いポイ

組織のあり方とこれからの必要な考え方

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組 織内での利と積極性 ポジィテブに生きようとは誰でも思います。 では何を目標としてしていくかということを考えた場合、 個人の場合と、組織の場合とでは異なります。 個人でしたら美味しいものを食べたり、 雨風のしのげるところで住んだり 学校に通ったり、でしょうか。 組織の中でも企業などのように「利」を追求する 場合には、それに見合うような目標、 例えば前年度比売り上げ○○%アップ! とか言う目標を持ち、それを達成するために 躍起にならざるを得ない場合もあるのだと思います。 企業に着目しますと、目標達成のためには 新しい発想なども必要となるわけですが、 保守的な業界、とりわけ建築業界はなかなか変わりません。 (変われない、と言ったほうが正しいのか。) 確かに施工の単価が安いから目標達成のための冒険なんて とてもでないけどできないという部分もあるのだとは思います。 建築業界では基礎研究や新しい発見を叩いて叩いて叩き潰します。 そら、承認もされなければ研究したい人も居なくなるわいや、 といった気がします。 でも、叩かれることが好きな人も居るので否定はしませんが。 建築業界で研究開発をしている人も居ますけど そのような人らはどのようなところで研究としての「楽しみ」 を見出しているのでしょうか、化学出身で建築関係にも 知り合いが居ないため分からないのですが。 知ってる方が居たらぜひ、教えて欲しいです。 こ れから求められるもの、それは楽しさ。 ところで過去に日本は、経済成長時代があり、所得が右肩上がりでした。 同じようなものを作っても品質向上を常に目標に掲げ 上司の命令の元、仕事をしていた時期がありました。 そんな環境なら、何も考えずに上司に従っていればよかったのだと思います。 しかし現在は変化のスピードが速く、未来を予想することが困難です。 (お客さんの要求する事項もめまぐるしく変化します。) そうした場合、どのようにすれば積極性を持ち、 かつ問題を解決することが出来るでしょうか。 私はここに「楽しさ」があるのだと思います。 それをいい形(良いところは当てはめ、駄目なところは諦める) で生かすことによって、解決への糸口が見つかるのではな

他の人を知るには

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他 人を知りたい 人と人とは違います。恋人であっても親子であってもそう。 「利を追求する」といった機能で繋がっている社会での関係なら なおさらです。私たちは生きているうちに非常に多くの人と付き合います。 人はそれぞれ違う部分があるので、他の人のことを知りたいと思います。 ですから私のように質問をする場合もあるのだと思いますし、 あるいは噂話で盛り上がったりするひとが居るのも、またあるのだと思います。 しかし、他人を知るだけでいいのでしょうか。 実は他人以上に自分のことを知っていないことがあるのだと思います。 自 分のこと 自分ことは自分では残念ながらわかりません。 自分の顔であってさえも、どこに鼻があるのかであるとか パーツの場所さえわかりません。行動もしかりです。 最近ではビデオなどの技術も発達していて、 それを使うことで自分の行動を省みたりするケースもあります。 自分を客観的な視点で見てみると、新たな発見をすることがあります。 例えば「声」です。自分の考えている声は、通常骨を伝わってきているため テープなどで再生したときとのものと違いがあります。 私も最初「うわ、恥ずかしい」と思っていたこともあるものです。 ま、それも慣れるとなんてことはないのですが 慣れないと嫌なもんですよね。 自 分の理解と他人の理解 自分の理解が他人の理解と異なっているとき、 あるいは自分でも先ほどのようにビデオで撮った時など 自分が本来考えている行動と異なっている場合、 人はそれを一般的に「誤解がある」と言うてます。 考え方に誤解があると、行動も変わってきてしまうため、危険です。 自分は良い印象を与えたいと思っているのに他人からしたら ぜんぜんい良い印象ではないなんてこともあるのだと思います。 好かれようとして嫌われているのと同じ状況です。 解 決方法 それを解決するにはどうするか、それはイメージを変え行動する、 「変わる」ということだと思います。 「変わりたいなあ」と思うのは結構だと思うのですが そう思う以上に行動することが必要です。 そういった相手にいい印象を与えるにはどうするか 参考に本を読みました。 「わたしはなぜ誤解ばかりされるのか

親密な人を増やすには。

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人 脈の広さと深さ 多くの方が、(恋愛の意味でなく)人と付き合っています。 その”人との”広さと、深さはどれほどのものなのでしょうか。 携帯メモリーや、実際に会うお友達の多い方、 何気に話せられる人の多い方が、います。 そういった凄く”多くの知り合い”を有する彼らに、 「あなたの人生にかかる真剣な話をする仲間が居ますか」 「あなたの助けを頼んだときに助けてくれる人が居ますか」 と問うと、多くは「少ない」、もしくは「いない」といわれます。 恋人を有している人や、社会契約上婚姻をしている人 実際の血縁のある親子でも何も話せないという人がいるくらいです。 ですから居なくてもおかしくは無いと思います。 深 い関係の人必要か そういう真剣に話をする、あるいは助けてくれるといった 良いも悪いも話すことができる人を一般的に「親密な人」と呼びます。 そのような人は、作る必要は正直ないです。 誰でも人間関係を作れ!などと強制されたくないでしょうし、 少なくとも私も強制されたくは無いです。 ですが、   親密な人は居たほうが人生を楽しく 送ることができると思います。 また、そういった親しい関係をもてる友達、配偶者、親子関係などなど を「作りたいけど作れない」といった悩みをお聴きすることがあります。 さらに、「どうにもこうにも薄っぺらい関係に終始してしまう」 という方も実際いらっしゃいます。 ではそういった場合にどうするか、ということを考えると 一番大事なのは「嫌われてでも自分を出すこと」なのだと思います。 そして、経営でも成功する秘訣としてよく言われる言葉ですが、 「いい事を続けること」それに尽きると思います。 いまは居なかったとしてもこれから作っていけばいいのだと思います。 時間は、まだまだたくさんある、かも知れないから・・・ ち なみに私の場合 前回の記事のように私は無駄に親しい人を作ろうという気はなく、 私を嫌っている人、付き合っていくのが難儀な人に対して 多大なる労力を使いたくないといいますか 相手なんて変えられないのだし、無理に歩み寄る必要なし

理系と文系の垣根

 「数学が社会より出来た」であるとか、「国語が数学より出来た」などと言って理系か文系かにこだわる人が居ます。本質的には何にも変わらないのにもかかわらず「あの人は理系だから・・・」「あの人は文系だから・・・」と決め付け、またはこだわってしまうことで、相手の可能性を潰してしまう部分があるのかもしれません。これは非常に残念です。ですからここでは理系・文系問わずにお互いがお互いにいいところを使いましょうといったことを書きました。 優劣の判断とは  理系、文系それぞれで 出来やすい分野と、出来にくい分野 とがあります。私はそれは 見えやすいものを扱うか否か にかかっているのだと思います。   特に理系の方の場合は目の前に見える 「もの」を扱っている場合が多く、見えない感情などは基本的に出す必要がありません。一方 文系の方の場合は人間関係などといった見えない 「もの」を扱っていて、見えるものを出す必要はない(逆に出しにくい)のだと思います。   いずれの場合であっても組織で動く場合はお互いの考え方が必要 です。そしてどちらが優れる、どちらが劣るということはないのだと思います。 重要なのはバランス  重要なのはどちらがどれだけ優れているのかではなく、 これらの違いをどう活かしてバランスをとるか なのだと思います。  例えば理系の方でも会社にいる場合には偉くなるにつれて人を扱うという意味で組織運営をすることもあるでしょう。一方文系の方でもお客さんや上司に業績を納得してもらうためにも、理路整然と話す必要のあることもあるでしょう。  自分は理系の仕事が向いているから理系の仕事を極めるのだと思うことももちろん結構だとは思いますが、そうしたあらかじめ設定した考えの枠を取っ払うことで自分の可能性をさらに伸ばすことが可能です。 バランスを維持するために  そうしたバランスをとるためには、多くのことを学び、取り入れられる情報や方法は出来る限り取っておクコとがなされるのだと思います。多くを学び、最終的には自分の感性と照らし合わせて情報を捨てることによって、その時々における「良い」行動をとることが出来ると思います。

つるむのが嫌い

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 日本人の多くは、和を大事にします。和を大事にする場合の多くは「つるんでいる状態」といえます。つるんでいる状態では自分を持つ必要が無く居心地のいい反面、自分の意見は出せません。  会社や社会も究極はつるんでいると考えられます。つるむことで信用を得て、ひいては給料を得ている部分もある、と思います。  しかしそのような打算的に有効であることがわかる反面、つるんでいることで心は正直でなく、他人と自分の心とで葛藤、大きなプレッシャーがかかっているのではないでしょうか。  私は人間が人間たるゆえ、それぞれの違いを認識しつるまずに生きる方法があってもよいと思っています。そこでつるまない生き方を選択するには何に注意したら良いでしょうか。ここではつるまない生き方のよさや注意点、方法について述べます。 つるむとは  私は、つるむことは 「常識などの「見えない価値観」に縛られること」 だと思っています。厳しい戒律や条件を出し、それを守れない場合は守れない人を徹底的に「いじめ」ます。仕事であれば就業規則に即し個性を出来るだけでないようにし、お客さんや同僚とそれなりに付き合い、それなりに給料をもらいます。  そうした方は仕事も「割り切って」いるという話をされます。「仕事を割り切っている」そうした人の話を聴くたびに、私は「この人は何が楽しいのだろうな」と思います。  こうした多くの日本人が愛する「つるみ」ですが、なぜ皆つるみたがるのでしょうか。私はこれは恐らくつるむことが「現実を忘れられるもの」だからなのではないかと考えています。現実を忘れ、つるむことで理想を追います。 すると、ハッピーになれます。  またつるむことで相手との共通点を認識し、相手も同じ共通点を持っているんだという安心感を持っていることも考えられます。ひょっとすると安心感だけでなく、同じでなければならない、生きてはいけない、などといった強迫観念のようなものも持っているかもしれません。  しかしそうした気持ちの心の奥底では理想と現実との差がストレスとなって積もってゆくのだと思います。  なぜなら逆につるまないようにすると、心が晴れやかになることが考えられ生き生き生きれる可能性があると思うからです。  確かに誰からも指図されずに心の充足は得ることは出来ま

統合失調症って知ってる?

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統 合失調症というもの 統合失調症という精神疾患があります。 かつては精神分裂病と呼ばれていました。 幻覚や盗聴されれる考えが典型に見られる陽性症状と、 引きこもりに似た陰性症状とがあります。 陽性反応の時には感受性の過大であることが考えられ、 時に他人に影響を及ぼします。 完全に治ることはありません。ですが薬をうまく服用すること、 病気とうまく付き合え、日常生活を送ることが出来る病気です。 病 気も一つの特徴? 人間誰しも違います。それが特徴であるという見方も出来ます。 人間にとって特徴が悪影響と考えられる場合、問題点として呼ばれ 良い影響ならば「その人らしさ、優秀さ」とでも呼なれるのでしょうか。 人間の生活では他者と共生する以上、本能に赴くままに この特徴を発揮することは、他者との関係性を作りにくいです。 ですから時として特徴と呼ばれるものを抑えることも必要となります。 それが性格的な問題ならばあくまで多少「ハメ」をはずしても 他人に影響を及ぼすことは無いと思います。 しかし病気での治療となる場合、薬を飲むことが 先の抑えることだとすると、薬を飲まなくなったとたんに病気は悪化します。 ですから統合失調症の治療では薬とうまく付き合い続ける必要があります。 目が悪いのであったらメガネやコンタクトと付き合っていくように、です。 テ レビ 小さい頃テレビっ子だった私はテレビで「ボキャブラ天国」を見ていました。 そこでは松本ハウスという芸人が出ていました。 ハウス加賀谷という人がメンバーとしていて、当時はその人の行動を見てて なんだか危なっかしいような気持ちを持っていたことを思い出します。 江頭2:50さんと同じ大川興業の所属の芸人さんですが、 江頭さんとは何か違った危なっかしさを持っていたのを感じとったのです。 もしかしたらそのときから何か見抜く目を持っていたのかもしれません。 その加賀谷さんはボキャブラ天国に出演して絶好調だった矢先 統合失調症の治療のため芸人をお休みして治療をしました。 そして最近復活し、復活した折、自身の体験記を書かれた本を出しています。 それを読むことが出来ました。 「統合失調症がやってきた(ハウス加賀谷、キック松本著 イーストプレス発行 2013.8)」で

I KNOW 脳

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人間の脳は 実はたくさんの記憶をためておくことの出来る装置らしいです。 海馬という器官を刺激することで、 短期的な記憶を蓄えることが出来ます。 また短絡的に考えず、楽しいことを考えること、続けることで 記憶を出来事や意味で捕らえた長期的な記憶、 前頭葉の発達を期待できます。 日本の教育は特に記憶力を大事にしていますが、 これは、概ね5歳くらいまでの間に脳をきたえることで、 優秀な頭を育成することが出来ると一部で言われています。 ただ、いくら優秀な記憶能力に恵まれた子供に育てたとしても、 それが子供にとって有意義なものなのかはわかりません。 才能を伸ばすためには習い事をするために時間はかかるのでしょうし、 するってえと子供がしたいかどうかに関わらず、半ば強制的にされて 子供が親の道具になってしまっている場合が多いのかもしれません。 親のコンプレックスがそうさせる場合もあるでしょうね。 正直、それはどうなのかなぁと思う部分があります。 また、逆に近年は団塊の世代の方々が退職するに当たり ますます高齢化の社会になるといわれています。 というか、もうなってます。 そんな高齢化することにとって なりたくないと思われている病の一つに認知症があります。 これは脳の萎縮などでなる病気であるといわれます。 私は人間ですし、 ある程度の機能の経年劣化は仕方ないと思っていますが どうしても長く生きたいと思われる方は、最近注目されている ES細胞の発展を望まれているのでしょう、それが老化問題の 解決の一途だといわれている部分もあります。 さて、それらの病気の解決はともかくとして、いずれにしても 普段見ることのできない脳の動きはどうなっているのか、 どういう過程で記憶をしていくか、どうしたら頭よくすることが出来るか ということには興味深くはあります。 それをあくまで『一医学者的立場←ここ重要』で書かれた本がありました。 「ラジオは脳にきく(板倉徹著 東洋経済新報社発行2006.11)」です。 結構「あれしろ、これしろ」と言った手荒い発言をされているので もしかしたら癖がある方は読み進めるごとに苦痛を感じられるかもしれません。 彼の提言に関しては全てを全て鵜呑みにする必要は無い

自伝を取り入れる。

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わ かってもらいたい気持ち 人は誰しもしゃべっていたりして、 わかってもらいたい部分があると思います。 そのために話をしたりもするし、 わたしのようにブログで発信したりしている場合もあります。 それは個人でも組織でも同じです。 組織、とりわけ会社の中では お客さんと接するのは勿論のこと、社員さんたちとも 接していかなければならなりません。 社員の人たちにいかに心地よく動いてもらうか 働いてもらうかと言ったことは経営者のみならず 部下を持つ管理職の方や、新入社員の教育担当となった 社員の方にも考えていく必要のある課題でしょう。 そのような課題に悩んでいる人に対してどうするか。 一般的なコンサルタントの方は 「ああしろ、こうしろ」と言うのでしょう。 ただ、助言してもその会社の状況によらない可能性もあるため、 なかなか責任の所在が不明確になると思います。 ですので、相手への助言やアドバイスをする側としては 一つの例として私の例はこうだった。 こういう風に書いていくことで、そこから学んで欲しい という部分があるのだと思います。 そういった意味で創業から会社組織にかかるまでの経歴と したことについて書かれた本がありました。 「あなたは社員の全能力を引き出せますか! (中沼壽評伝 岡田清治著 ケイアソシエイツ発行2010.10)」 です。 読 んでいて思ったこと 私はISOを取得している会社で働いていたことがあるのですが やはり何か末端社員に押し付けるというか、そんな気がしていて 「ISOを維持するための活動」って何か意味の無いことだよなぁ と思いながら活動していた気がします。 ですので、この中沼さんの会社のように先を読んだ品質維持活動は 皆さんが一心で行えたら良いようになるのだろうなと思いました。 全体的に、今住んでいる場所が一乗寺であることと、 僕の出身が立命館大学の理工学部であること(化学科) また、最後に勤めていた会社の工場がちょうどやめる直前に 中沼アートスクリーンさんの社員さんが命名したフェニックスパークに 移動したことから何か身近なことで接点があるなぁと思いました。

瞑想で心を満たす。

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常 識 私たちは、学校や会社など多くのコミュニティに属していて そこでのルール、常識に伴って活動していることがあります。 そのコミュニティに属しているメンバーもさまざまで、 学生/会社員/経営者/主婦など多種多様です。 彼らは立場の違いによってそれぞれの常識も異なってきます。 立場の違いがあると常識も異なる (最終的には人がひとりひとりも違う) ことは当たり前で、それを認識した上で、よりよい組織運営 を考えるのならば時に相手の立場を考えながら活動してゆく 必要があります。 日本にあるそれぞれの組織なら、上流には日本という国があり 国以上に上流のもので特に文化的な側面を考えたならば 宗教があります。佛教であるとか、キリスト教です。 私からすると、これらの宗教は実は根底で繋がっているというか 本流は実は同じところにあると考えられます。 ですが文化的な違いによって見方であったり 使われる言葉であるとかが異なってくるのだろうなと感じます。 世界の人々の考え方を学ぶために、 そのために入信することは無くとも 宗教を一つでも精通していたほうが良いことが言われています。 これはその地で多くがされている宗教を知っていると、 国の文化的なルール作りにも起因してくる部分があるからです。 また他者を共感することが容易になることが考えられるからです。 ともかく、われわれ日本人に馴染み深いものとしては 佛教がありますが、その中でも実践する方法として考えられる物に、 瞑想というものがあります。呼吸瞑想法が挙げられ、 半年くらい前に読んだ「 スタンフォードの自分を変える教室 」 という本にも心を集中するために「瞑想」が挙げられていました。 この瞑想の方法を実践することによって数ある満たされない欲望や 誰しもが持つことがあると考えられる不満を解消することが 出来るのかもしれません。それが書かれた本がこれ 「「自分」から自由になる沈黙入門(小池龍之介著 幻冬社発行 2008.3)」です。 佛教を基にして、考え方、実際の瞑想方法が記されていました。 キリスト教などの西洋の宗教では 自分がするから他の人にもするのを認めようといった 自分の考え方が先にたつ考え方だと思うのですが

仕事の転機にはどうするか。

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時 期 仕事をやめたくなる時期は一般的に3日3ヶ月3年、と 3のつくときが多いそうです。 3日で職場の雰囲気についていけず 3ヶ月で仕事と自分とのギャップが気が付き 3年で大体見えてきて飽きる、という「理由」です。 私もご多聞に漏れず、最初の仕事は3年でやめました。 (実際には3年と1ヶ月なので、4年目になるのですが 何十年も働いている人に比べたらどっちゃでもいいレベルです。) 遠く岡山での仕事でしたが、会社の寮に缶詰でした。 管理的な仕事をさせてくれようと思ったことに関しては 非常にありがたいと思っています。 年月よりもその働いたときの質なのかな と思う部分が私の中には少なからずあります。 なお、転職をする場合、年収アップや待遇改善を 望まれることが多いと思うのですが、一般的な例では 転職回数に応じて年収や待遇が反比例します。 転職回数が多ければ多いほど待遇は悪くなります。 忠誠を誓って長く勤めた人を他社に移らせないために、だと思います。 待遇だけを望むのならば最初に勤めだした会社で 長年勤めていたほうが良いのかも知れません。 なお、ヘッドハンティングの場合は技術的な素養を 買われているのだと思うため、増える傾向にあります。 私は転職時、研究開発がしたかったので、年収や福利厚生は まったく考えていませんでした。むしろ研究開発を未経験なのに 採ってくれたことにありがたいとさえ思います。 ですのであまり待遇に執着することなく、 結局言われた年収ベースで交渉を望みました。 なお、さすがにメーカーから福祉業界に鞍替えしたときには 「こんな年収で生きていくこと出来るんか」と思ったこともありましたが 今生きていることを考えると何とか生きていけたのでしょう。 車を手放したり、住む場所を変えたりといった環境の変化は ありましたが、悪くなかったと思っています。 仕 事の本質 私はある仕事の本質はある意味「遊び」と同意だと思っています。 遊びだから長く続くのだろうし、せっかく仕事をするのならば 楽しくやらないと損かなと思うからです。 楽しくって言っても、、そんなんでできひんよぉ、と思われる場合も あるのだと思います。ですよね、でしたら、そうなのかも。 しかしどんなことでも楽しいことは見方を

極端に見えるものに頼り過ぎない。

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目 に見えるもの 目に見えるものならばそれがどのようなものでも、 実際にあるので他人と意見を交わすことや、 本当のことかどうか考えることが出来ます。 一方で目に見えないものの話をする人は居ます。そういった方を 人は「頭がおかしい」であるとか「変だ」といって区別します。 目に見えるものではないので真意のほどがわかりませんが 多くの可能性を考えることが出来、 ある意味で私は楽しいと思う部分もあります。 足 るを知る 戦時中、戦後直後は何もかも無く、 満たすために必死になってきました。 ただものが満ち足りてなかった代わりに、何とか豊かになるのだ 今を満足するのだといった気負いはあったと思います。 それに比べて現在はどうなのでしょうか。もっともっとと、 身の丈に会わない現状に不満を並べ、常に満足されない感覚を 持って生きていることは無いでしょうか。 見 えないもの間の融合 その上で、現在ある見えない不満を見えない考えの中で捉え、 実際どのような考えで満たしていくか、 あるいは今後いつか出てくるかも知れないない満ちたりない感を、 より良く生きていくためにどうするかといった本が発行されていました。 目に見えない感情というものを、目に見える形で表現したところで やはりそれは難しい部分があるとは思います。 「神のカウンセリング(カトレア・エレーナ 仁 愛著 ハギジン出版 2010.4)」 です。

見えない力を誰しも持っている。

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見 えない力 人間にはどうしようもないときに、なぜか なしえない力が働きなしえることがあります。 それは 情報を受け取る部位を変えることにより シグナルを得られることによるようです。 たとえば目の前に「りんご」というものがあった場合 通常、目で見て確認することができますが ①言葉を聴いて想像する場合や ②においを感じて認識する場合 ③触った感触からりんごを認識する場合もあります。 こういった五感の研ぎ澄ましから、ものごとを予測可能です。 こうした五感を研ぎ澄ましますと 「慣れ」や「暗黙知」ができます。 これらはコンピューターさえ凌駕します。 ですからかなり強い部分が人間にはある、 可能性のあることを知ることは重要です。 ここにある本がそれ 「考える力をつくるノート  (茂木健一郎、箭内道彦、細谷功、内田和成、築山節、   丹羽宇一郎、藤巻幸夫、小山龍介、香山リカ著講談社発行 2010.6)」です。 精 神の問題 最後の章で香山リカ(笑)さんが書かれていましたが 私としては心の病気、特に最近言われる新型うつ病については とことんまで寄り添い、時につぶれてしまったとしても それからどう這い上がるのかを見るかなと思っています。 確かに相手に寄り添おうとして同化してしまっては 自分の心さえもやられてしまうので一線をひくことはあっても 育てる人の立場であれば、転んだ後をどう見るか、ということが 重要なのだと思っています。少なくとも私はね。

Problem Based Learningを使って問題解決する。

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新 しい環境ができ つつある 秋 春は、年度が替わるため、入学や入社など、新たな環境ができます。 最近では春だけでなく秋でも新たな入学・入社の環境ができています。 私の出身の佛教大学、立命館大学では既に秋入学はありましたし 東京大学でも 秋入学を認めようとしているそうです。 このような新たにできた環境に入る場合、 一番最初にしたほうが良いと思われることは「友達作り」です。 人は無力で限られたことしかできません。 ですから人が無力であることを自ら認め、 それを変に誇示することなく他の人たちと協力することで 勉強なり仕事なりの目標を簡単に達成することができます。 そのためには自分から他人に声をかけることが必要です。 大学や学校では皆が一斉に新しい環境になることから 「他の人も私と同じ不安な環境なのかもしれない」 と考えることで、比較的容易に、大きな労力を必要としなくとも 友達が作りやすいのだと思います。 一方、会社に入る場合には 既に出来上がった組織に自ら新人が一人入ることから プライドを捨てて「馬鹿になる」工夫が必要があります。 私は高専から大学へ編入するとき、 関東から関西へ来た文化的な違いもあって 新たな会社に入るような気持ちになりました。 なぜなら既に出来ている組織(クラスや友達)に 入る必要があったからです。これはかなり困難を有しました。 ただ幸いにも、私は毎週おこなわれる実験の時間に、 なぜか3週連続で「鼻血を出す」珍事に見舞われ 「変なヤツ」と思われることで友達が出来ました。 (おそらく鼻血はストレスによるものです。) 本 気の付き合い そのような経緯で大学在学時にできた友達で 私が親友と思っている方がいます。 彼とは本気で意見をぶつけ合います。 もちろん意見をぶつけ合う前には 何らかの問題が生じ、 それの解決に向けた目的があるのですが、 こうした問題決の手法をを体系的に、 そして一般的に表したものがあります。 それは 「問題を複数の人々が協力し合う」 「互いの知識や知恵を出し合い最良な選択をしていく」 という意味で 「プロブレム・ベースド・ラーニング」 といいます。 これは 集団を5~6人のグル

性的な、生物学的な、考え。

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人 間を考えるに 研究では起こった事、過去の出来事を調べて考えます。 事実か、事実が正しいかもわからない場合もあります。 私ひいてはヒトさらに広く見ると生物を研究している研究者さんは 世の中にたくさん居ます。その人たちはどんな視点で ヒトを見ているのでしょうか、考えてみると 1文化学的に考える場合 と 2科学的に考える場合 とがあると思っています。 前者は感情が思い切り入ってくるので時に非理論的で主観的な場合があります。 後者は事実を積み立てるので論理的で客観的な考えですが味気ないです。 どちらが悪いということは無いと思っています。 私はどうあれ、「ヒトはいる」んだと思います。 理由?は無いんじゃないかなと思っています。 人間、引いてはヒトは現在存在しています。 そのルーツももちろんあります。ではそれはどのように進化したか、 研究されている分野によって考え方がまったく異なります。 生物学を主とした遺伝を基に考えた場合 生物が生き残るためには生殖活動(セックス)をし、受精し、減数分裂します。 進化の過程で遺伝子を残すためには見た目を大事にするそうです。 現代人の技術はすさまじいものがあり、手術でいとも簡単に変えられます。 その場その場でそれにより気分は良くなっていくのでしょうが 長く生きていくうえで後悔をしたりはしないのでしょうか、 他人を欺いていること、自分が無くなっていくことに いつか気が付くことがあるのでしょうか。 そういった気持ち的な部分を書いてくと長くなってしまうのですが それはそれでともかくとして、生物学的な意味で生物・ヒトの進化 「性」というものを書かれた方がいらっしゃいました。 「人間の性はなぜ奇妙に変化したのか (ジャレド・ダイアモンド著 長谷川寿一訳 草思社発行2013.6)」です。 読 み終えて 魚類とその他が数千万年前に、類人猿とヒトが数百万年前に分化したといわれ、 この本もそれを元に書かれていますが、これって本当に本当なのかな と思っています。 確かにダーウィンの言っているように、環境に適応できない種は 生き残ることが出来ないというのはわかるのですが もっと中間的な生物がいても良いのかなぁなんて思うわけです。 ヒ

キャリアを磨くためにはどうするか。

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考え方の根本的な転換  無駄だと思っていることは結構多いものです。しかしそう思わないことで新たな活路を見出すことが可能です。なぜなら 自分のこれまで学んできた本当の内容・気持ちや 学校でなくても習慣として身につけていたこと これらを振り返ることで次の進む道を見出すことが出来る場合があるからです。つまり 過去から未来の道筋を作ることができます。 これはカウンセリングの場面でも考えらます。 豊島の場合  それを考える意味で、例えば私は学生時代、「本質的な人間のぶつかり合うこと」に興味を持ち、かつ話しの「ネタ」にもなるだろうと考え「ホテル」でアルバイトをしていました。  その後大きなキャリアチェンジを迎えたときにはこのアルバイトの経験をもう一度考えなおすことで①「本質的なぶつかり合いの出来ること」とそれまでの②「ものごとを理解すること」とが融合できる分野は何かを考えたところ「福祉」が見いだされました。  もちろん私だけでなく、他の方にもこうした自分のキャリアを考えることは人生に幾度かはあると思います。そうした場合に参考にできるであろう本があります。「自分らしいキャリアの作り方(高橋俊介著 PHP研究所発行 2009.9)」です。

会社における日本と外国の文化違い

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異 文化 に入る場合には自分が変わる。 外資系の会社に転職すると、これまで日本で生きてきた 環境(給料体系、スタンス、文化)とはまったく違います。 ですからそのようなまったく異文化の環境に入るには 自分が変わってゆかねばいけないのかもしれません。 特に仕事を業務でみた場合、 技術的な面では違いが無いのかもしれませんが 考え方や根底にある家庭観や宗教観が違うのだと思います。 人とのかかわり方でも日本とは違い 最低限のマナーがあったり、「限度」があったりします。 日 本 社会では回りから攻められている。 一方個人とは違い日本の会社の多くは近年、 年功序列を廃止し、広く外国で採用されている 評価システムの「実力主義」を取る傾向にあります。 日本のような無宗教な社会では、 そのような外国のシステムを導入することで 人間を物として扱う 悲しい社会になるのではないか、と考えています。 ただ他の会社や異なった文化を学ぶことは 人類が広く付き合い、 他者文化を互いに認める意味で重要と考えます。 それを考えるきっかけになった本がこれ 「アングロサクソンになれる人が成功する(糸瀬茂著 PHP研究所 2001.6)」です。 考 えてみた 後にこの本を読み返してみると、 心の充足を求めた場合、 アングロサクソンのような狩猟民族のように 宗教のような目に見えないものが満たされていると 目に見えるブランド物の服や車など目に見えるものを欲しがり 農耕民族のように宗教的な目に見えないものが満たされていないとすると 目に見えない権威や信用を欲しがるのかも思います。 人類文化の違いは興味深いです。

チャンスを得て富や情報を得るには。

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日 本の非常識と異端な人。 日本には「出る杭は打たれる」という諺があります。 これは文字通り異端者は疎まれる事を指します。 そうした異端者の一例として、経営者さんがあります。 一般的に経営者さんはお金や信用を多く持つことが望まれます。 そうしたお金や信用を多く得るためには 他者との違いや異端性、独自性を認める必要があります。 異端性を極める方法・情報収集 そうした異端性を認めるには、はじめに 他との違いを認識することが必要です。 そのためには、良いも悪いも 情報を集める必要があります。 かつて情報技術が発達していなかった頃は、 新聞などの紙面に印刷された「文字を使って」情報を集めていました。 しかし 現在は掲示板やメールなど「インターネットを使って」 簡単に 誰でも、安価に情報を手に入れることが出来る ようになりました。 ですのでこれを言い換えると誰でも、 簡単に情報を手に入れられることから、 誰しも異端になりえ、 誰しも富を得られるチャンスがあり ます。 情報収集の方法 ただ情報を仕入れる際、 おかしな情報を鵜呑みにしてしまうと、 自分が損をする可能性があります。 ですから 情報の見極め・取捨選択をすることは非常に重要 です。 そのためには以下2点をおさえる必要があります。  ①ひとつめは出所をるかまえることです。 最近では情報ネットワークにより 情報の一次ソースを得ることが出来ます。 その一次情報をいかに拾うか重要です。 ②ふたつめは情報の質を高めることです。 情報の速さだけを考えると、 無価値な情報を集めてしまいがちです。 場合によっては投資をし、質の高い情報を仕入れます。 出所のしっかりした、質の高い情報を 仕入れる必要があります。 情報収集後は取捨選択 そして素直に情報を仕入れながら 一方で自分の違いやよさを持ちうるため、 時には情報を捨てる覚悟を持つことは重要です。 自分の感性と照らし合わせ、 必要ないと感じた情報は容赦なく捨てます。 すると独自性が見出せます。 それを以下を読んで考えました。  「リスクの裏にチャンスあり!(竹村健一・堀紘一著 PHP研究所発行 1998.1)」です。

組織を上手く回すために適材適所をする。

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戦 国武将を例に取る適材適所 組織活動をする上で適材適所は重要です。 その一例として、かつての戦国武将において 織田信長の部下、明智光秀と豊臣秀吉がいます。 明智光秀は優秀で正義感が強く、 白といったら白だといった素直な方だったそうです。 意見の食い違い先がたとえ相手が偉い織田信長であろうと、 姿勢を崩さなかったようです。それゆえ晩年は信長と対立してしました。 一方豊臣秀吉は、ころころ意見を変え織田信長を立てます。 信長のよい所を見つめ、伸ばす形で動いてもらえるよう働きました。 それゆえ死ぬまで秀吉との関係は良好だったといわれています。 光秀は非適材適所といえ、秀吉は適材適所であった といえたのかもしれません。 このように光秀のようなものがいた部下にいた場合、 上司(この場合は信長)、 あるいは部下ともに不幸な結果になります。 これは問題です。 そこで良い関係を築くためには 部下を使う上司が自分自身の特性を知り、 その上で部下の一人の特性を見抜いたり 話をする必要があると考えられます。 先の例で光秀を扱う信長ならば 光秀を”正しい意見を述べる”ことのできる 部署に配置すればお互いにハッピーだったのかもしれません。 この光秀と秀吉、信長の例にあるように 組織に属する一員の歴史をときに振り返り これからの生き方をどのように考えたらよいのか どのような考え方があるのかといったことを記した本がありました。 「社員稼業(松下幸之助著 PHP研究所 1991.1)」です。 私 の過去 私は最初の履歴書にて、自己アピールポイントでは 「継続は力なり」を挙げているのを思い出しました。 ひょっとしたら会社員になる前、なり始めのころとしても いつの間にかそういう継続して少しずつ考えていくことに 何かしらの惹かれるポイントを見出していたのかもしれません。 また、私が過去に仕事をしていた会社の一つには、 社員が経営者の感覚を持つべきだ、という考え方のもと 入社後には本を読まされ、感想文を書かされていました。 私としてはあくまで、経営者として参考程度に、という感覚で 情報提供してくれていたほうがモチベーションが上がるのでは と思っています。

文章を表現するのに大切なこと。

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文 章の作る心 文章表現をする場合には ①特定の人たちに対し表現する場合と、 ②不特定多数の人に対し表現する場合とがあります。 ②不特定多数の人に対する表現する方法の例は論文があります。  論文を作成するには短く、適切に伝わることが望ましいです。 短く伝えるためには はじめに「主張を考える」必要 があります。 主張だけでは妄想になってしまいますが、 目的を持つことは悪いことでは有りません。 次にラブレターのような 「相手に伝える丁寧さ」が欲しい です。 そのため自分の立ち位置の確認や、 他の人の表現方法を記した文章を読んでまねび、 自分の書きたいことを形作ります。 論文、勿論普通の文章もそうですが、わかり易い表現には ”共通点”があるようです。それをまとめた本がこれ 「文章を書くこころ(外山慈比古著 PHP研究所 1995.2)」です。