精神疾患を自分主体で考える

公開日: 8/17/2015 治療 生き方 病気


 精神疾患は基準があいまいです。そうしたあいまいな基準で他人に判断されます。こうしたあいまいな基準で他人に自分の生き方を決められてしまうことはラクではありますが、私としては問題だと思っています。そこでそうした問題の起こることをを防ぐ方法として自分が自分らしく生きるにはどうするか、といったことを書きました。


病気の基準があいまいな精神病

 
 精神医学を学ぶと、精神疾患の基準のあいまいなことがわかります。一応世界ではアメリカ精神医学会やWHOの基準としてDSMやICDなどの指標はあるものの、他の疾患と違って精神疾患は脳で原因で起こっていると考えられていることが多く、目に見えにくいため原因が究明しにくいです。ですから症状に対して医師の判断によるところが多大にある“あいまい”なものであることがわかります。(最近ではうつ病や精神分裂病も検査でわかりつつあるようです。)

 また精神疾患とはあくまで“程度として”激しいだけかそうでないかの違いと言い換えることもできます。

 ですから精神疾患の基準がが“あいまい”でかつ“程度が激しいだけ”だとするならば、こうした精神疾患は身近なところでは家族も、あるいは自分自身も、知らず知らずのうちに精神疾患になっていることもあるのではないかと思えます。

 誰しもがなりうる病気と考えられるゆえ、本来なら健康なうちから自身のメンテナンスを定期的にすることが望ましいのです。しかしそうは言われてもなかなか普段から気にすることはありません。たいてい大きな病気になって初めて予防の大切さに気がつきます。

 私はそれでもいいと思います。後で気がついて変えようと思うならば。逆に変えなくはならないと認識しながら、そのまま放置することのほうがよっぽど毒です。


精神疾患は他人が決めてる


 なお、こうした精神疾患は他人に危害が加わらない限り問題とはなりません。そしてまわりが迷惑だと感じること、あるいは他人が関わることで本人が病気と見立てられます。

 すなわち言い換えると自分が精神疾患だと思うよりは他人が精神疾患を作っていると考えられなくもないです。

 誰かに言われて、となると当然押しつけにはなりますが、こうした考えの裏には支配し縛り付けたい気持ちやあるいは甘えたい気持ちがあるのかもしれません。

 いずれにしても相対的指標があり、精神疾患は他人の価値観で決められ、決められてしまうと自分の人生もある程度制限されてしまいます。こうした生き方は果たして良いことなのでしょうか。私はあまり良くはない気がしています。なぜなら自分の人生を他人に任せてしまっているからです。


自分の基準、自分が大切に思うこと


 そこでそうした他人の価値観に制限される人生に対し、自分を見つけることが対策としてあると考えます。これは即ち甘えることが無く、責任を取るということです。

 そのためには他人を気にしないことが大切です。群れないこととも言い換えることが出来るでしょうか。理想と現実との違い、すなわち挫折体験を通して学ぶことで
絶対的指標を持ちうります。

 また、言い換えますとこれは①他人の干渉をうけるのが幸せか②天命を全うにするのが幸せか、ということを考えることに通じます。

 それらを考えることは、生きている間にしか考えられません。現在は毎日同じようなことが続くつまらない日常と思われる部分があるかもしれませんが、そのような毎日の中でも、少しでもいいのでこれからの生き方を考えることやそうした考えを持つことは決して遅く無く、損ではないのではないかと思います。
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