投稿

12月, 2014の投稿を表示しています

怒りの感情には距離を置くのとトンボの目と

イメージ
怒りの感情には離れることも必要かもしれません。  悪いと言われる怒りの感情から距離を置くにはどうしたらよいのでしょうか、ここでは距離を置くことと、複眼的視点で見る方法について考え書きました。 不幸な社会とこれからの社会   本音とタテマエ は生きる上でもちろん必要な物なものです。現在の日本社会ではそれがなくなりつつあり、悪い方向に向かっている気がします。以前はこんなことで大事になったか?というようなことでも問題になったり許されていたミスでも許されない社会になってきています。それでいて楽しくない社会であったり、各人は考えることを放棄する脳になりつつあり、理性的というより感情的な行動をとっているケースも少なく無いと思います。  一例として学校や一部の組織では「結果平等を善」とする考え方があります。私はそれがい良いのかが疑問です。  結果平等で物事を考えるように育ってしまうと人間が良くなろう・良くしようと思わず、ロボットのような作業をするだけの存在となります。すると起こった問題に対して「馬鹿よけの馬鹿よけ」のような目先のことだけ考えた策を作り、結果として頭の悪い行動ばかりする社会になる心配をしています。  もしくは仕事をするために問題を起こす(=マッチポンプ)、と言った人も出てくるかもしれません。それらは問題です。  ですから、対策を考えるわけですが、社会全体の策を考えるのは時間と労力がかかりますので、取り急ぎ自分だけでも行動についてどう考えたらよいかを書きたいと思います。 不幸になる怒りの感情  大抵の行動は感情が絡んでいます。そして悪い事や事件が起こる場合には怒りの感情が先走っていることが多いです。怒りの感情が先走ると怒りの循環によって不幸が不幸を呼び、残念な状況になってしまうこともあります。その原因は他人への怒りだけでなく、自分自身への怒りの場合もあるでしょう。生物学的な要因や環境的な要因が絡んでくる場合もあります。  そこで悪い行動を起こさないために怒りの感情を操作する必要があるわけですが、いずれもこうした怒りは同じ程度のレベルでしか起きません。自分のレベルが上がったり、相手のレベルが下がったりすることで怒りは収まることがあります。そのなかで相手のレベルを下げるのは難しいと

3つの怒り対処法

イメージ
 日常生活の中で理不尽に耐え切れず怒ることはあります。すると、結果回りに回って損をします。これは問題です。そこで怒らないようにするにはどうするか、それを応用することで人生の良く生きる方法を考えました。それぞれ以下に記します。 怒りは悪いものとも言い切れない  人間は誰しもこだわりはあるものです。ない人は居ないと思います。ですから自分は何にこだわりを持つのか、自分の中でこだわりをもつことや知ることは重要です。ただ、そうしたこだわりと現実がずれてしまうと苦しみ、怒ってしまいます。  通常こうした「苦しい」怒りは「悪い」ことと思いがちですが、それだけで終わらせてしまっていいのか考える必要があります。  時に日本語には「若いときの苦労は買ってでもしろ」という諺があります。その諺のように怒りを利用して一時期でも苦労を味わい、そしてその苦労を堪能しておくと、そのことやそのものではなくとも別の場面で後々に生きる場合が有ります。 ここではこうした怒りに対処する方法を以下に3つ紹介します。 方法1:碇をいったん置き、後で処理する  例えば自分の気持を一旦切り離して、「その時にできることをする」ことを考えます。仕事の場合は、たとえ怒っていたとしても、一旦感情をおいて 「今できる仕事をする」 といったイメージを持ちます。するとたとえ 「低い目標であったとしても続けられ」 ます。そして 「続けることで力になって」 いき 自信もつき ます。  また小さな目標でも自信がつくことでだんだん 目標を大きくすることができます 。仕事の面で人間ができてくるのです。これができてくると、 何を優先し、何を捨て片付けられるか、を考えられ ます。これを応用することで、 怒りの感情の捨てることに役立たせられ ます。 方法2:無理やり顔を作って怒りをなくす  また人相学という学問があります。これを逆に応用します。  通常、人はどんな感情でも湧き上がってから顔などに表出します。表出された顔は後々形作られてき、良くも悪くも、顔の堀りにも影響します。感情の起伏が積み重なって人の人相を形作っているのだと考えられているのです。  ですからそれを逆に応用します。例えば怒っていたとしても無理やり笑顔を作ることで気持ちも晴れやかになっていくことが考えられます。  ただ

自立を支える自分とそれを支える椅子としての役割

イメージ
 摂理として、「弱肉強食」というものがあります。強いものは残り、弱いものは淘汰されるというものです。人間の世界にもそれはあり、具体的な例として「格差」や、「いじめ」があります。こうした差はどうしてもできてしまう世の中で、強く生き残るためにはどうしたら良いのでしょうか。それを考え、書いてゆきたいと思います。 事前の摂理と処世術  弱肉強食の人間社会を生きるためには①事実を素直に受け取ることや②事実から反面教師として学ぶことで成長していく必要があると思われます。  これら事実を素直に受けとることと反面教師として学ぶこととの2つを通じて、成長する機会はいくらでも、またいつでも持てると思います。こうした考えを元に、問題が起こる前に根回しをしたり時には他人を傷つけることのない「上手な嘘」を用い生きてゆくのが俗にいう「処世術」と呼ばれるものです。 素直に受け止めるための循環  そのなかで、特に事実を素直に受け止める/反面教師とする場合には 期限を決めてなぜ?から行動をうながすこと 必要な物を必要な分だけ得ること との循環を通して成長していく必要があると考えられます。  例えば部屋を掃除する場合において掃除をしないとどうなるか(病気になったりする)を考えたり、時間には皆同じだけの限りがあることを認識したり。全てを手に入れることはできないことから必要な物を最低限持つことで、燃え尽き症候群も防ぐことができると考えられます。  また一般的に有害と考えられるもの(ゲーム、暴力シーンなど)も、本当に必要なものを必要なだけ得られれば問題はないと思いますしもしくは明らかに反社会的なものが欲しい場合、何かしらの反動からそうした欲求が来ていることも考えられます。  ですから何を自分が欲しがっているか自分を見極めることが必要です。 循環を支えるもの  こうした循環を見出すために親や上司、先輩や指導者として必要なことは、約束を守ってもらうためにまず自分から約束を守ったり育てた人が問題を起こした場合には、自分の育て方が悪かったのだと反省することで一点ではなく、長い視野を持って次の育て方に活かして欲しいと思います。  また、他者の育て方を見て学ぶということから「人の振り見て我が振り直せ」という言葉があるように、学ぶ機会をほかの人から与え