投稿

4月, 2017の投稿を表示しています

まず自分ありきで他人と接する必要性。

イメージ
 ものや人間でさえ固定化されていない流動的な社会の中で、よく生きることを考えた場合、何をどうしたら良いのでしょうか。ここでは自分のあり方と相手との接し方、その例として交流会における必要なことを書きました。 目的を持てばどこでも満足できる  より良く生きていきるためには自分が満足する選択をする必要があります。そのために情報を仕入れる必要があります。  情報を仕入れるには考えられる場として家庭/学校/職場などがありますが、それらの場所で「何を」「どうして」身につけていくか考えることは重要です。  特に職場の場合では実践的なことを身につけることが可能です。  また自分だけでなく他人を見る目、そして双方に見られる例として交流会などがあります。ですの状況によってそれらの場を使うことにより、自分が満足して選択する場として認識することが可能です。  ですからここでは①自分の中でのあり方と②他人との接し方③交流会での必要そうであることをそれぞれ以下に書きました。 自分の中でのあり方で必要なこと  まず、自分にとって実践的なことを身につける場合には、「思い立ったが吉日」ということわざがあるように、小さなことでも早く繰り返すことによって大きな自分を作ることのできる可能性があります。そして成功をするには見えない場面での努力が必要です。    その際、多少無駄と思っていても失敗したときのリスクを減らすために、無駄なものを複数持つ必要があります。  加えて時間や能力には限界があることを知り、その中でいかに自分の中のを使うかといった適材適所の考え方が重要になります。その際自分を出す必要がありますが、自分を出すことで良き点も欠点も見つかることはあります。ですので自分を出し、特に欠点でしたら欠点として認めて他者を取り入れることが重要です。 他人との接し方で必要なこと  自分のことを知れると、翻って他人も良き点欠点の両方で判断できます。特に短絡的な見た目で判断することが少なくなるのではないでしょうか。  えてして人は思いが表情となって固定化され、更に顔がますます思いを強めることはあります。ですのでそれを逆手に取る意味で「人相学」というものが世にはあります。しかしそうした目に見えるだけの表面的な部分だけで安易に相手の状況

一元化に隠れた多様性を見出す大切さ

イメージ
 学校や社会などにはルールがあります。ルールは一元化する傾向にあり、それにとらわれてしまうと多様性の求められる社会では成長できません。これは問題です。そこでこうした一元化に集約されつつある社会のなかで、どうしたら多様性を見出し成長、そして最終的には満足を得られるのでしょうか。ここでは「緩み」と言う視点に立って、一元化に隠れた「多様性の大切さ」を書き、またそうした多様性を見出すための方法を書きます。 規制の中の緩みや遊びを見つける事が大事。  現在のような多様性のある社会では、かつてされていた小中学校のような一元化した考え方、たとえば「文系」「理系」などのレッテル張りからを決め付ける考え方は無意味です。  こうしたレッテル張りや決め付けをすると、考えることを放棄してしまいます。上記の例で言うなら文系だから数学ができないはずである、といった誤解や理系だから相手の気持ちが理解できないはずだなどといった間違った結論を持つ危険性があります。ですからそうしたレッテル張りからの思考停止を防ぐためには、レッテル張りでは成り得ないことを見越して、 物事の役割を認識し、協力する必要があり ます。  たとえば大学でしたら教育機関と研究機関としての両面があるけれども、そのうち研究機関に特化したりあるいは専門学校であったら、実践教育に特化したりすることでしょうか。  その一元化した考え方の先に存在するであろう 緩みや遊び(選択肢)を持つことで目的やすることが見出 されます。  緩みや遊びとは自由で選択できることをさします。これは一方では選択に責任を持つことでもあります。 緩みを得るには日常を知ること  緩みや選択肢を見出すことの例として、例えば物事を「良い」と判断する基準があります。通常そうするためには ①経験と②文献調査 が必要です。  ①の経験は社会学で言う一次調査と言え、自分が経験することです。当たり前になってしまうと、ついつい普段からあることを忘れてしまいます。ですから場合によっては、すべてを捨てる必要あることの必要な場合もあります。  ②の経験は社会学でいう二次調査と言え、他人が経験したことです。教養としての本や、概念を理解する意味で辞典も使ったりします。  こうした経験や調査資料を持ちよることによって 一つの「いい」ということ