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他人の行動を促すには自分がリスクを負う

 経営など他人を巻き込んで行動するには自分がリスクを負う必要があります。リスクを負えない行動は相手を納得せしめるだけのアイデアや考えが浮かんでくることはない気がしています。確かにリスクを負う事自体が怖かったり、そこまでの義理はないと考えられることもあるかもしれません。しかし自分のリスクを負えないと相手に「良さ」は伝わりません。そこでここでは相手に紹介する場合においてリスクを負う大切さ、必要性、リスクを負う方法をそれぞれ書きます。 リスクを負えない人は老若男女いる。  「若者が上から目線で言って何もしないこと」を聞いて久しいです。そうした本も出ていますが、こうした無責任な発言はリスクを負っていないため、言葉や行動はどこか上の空であって、現実味がなく絵空事のことである気がしています。  もちろんそうした無責任な評論家であっても、自分が気持ちよくなっていて、他人が動かなかったとしても自分が「良い」と思っているのならばそれでもいい部分があるかもしれません。 リスクを負うことを大事と思うこと。  例えば名誉で食っていったり、権威で下の人間から脅迫させて「利」が得られるのならばそれでもいいのかもしれません。しかしそれでは経営者は勤まりません。経営者の方は多く評論家ではなく実践家でなければならぬと思います。その実践をするためには自分でリスクを負って行動する必要があります。  かつて10年ほど前になりますが、京都市の創業塾で知り合いになって、現在でも伏見区でカフェを経営している方が私のお友達でいます。一時期は経営がどうなんやと言われることもありましたが、現在も営業しているようです。その彼が営業を開始し始めるときに、私たちに向かって「リスクを負えないと真剣にならん」と言われていました。  確かに人間は少し余裕があるとすぐサボりたくなる生き物です。それは私だって誰だって同じです。ですからあらかじめリスクを負う事によって、自分の行動を裏付ける「熱意」を作ることができるのだと思います。  そしてそうして醸成された「熱意」があることによって協力者さんであったりお客さんが動くことがあるような気がします。そしてそうした熱意があってこそお客さんがお客さんを呼び組織や共同体が大きくなってゆくのだと思います。  あまり誰々が言っていたからこの説が正しいというこ

他人に奢る良い効果 その2

  前回 は他人に奢る効果を書きました。今回はさらに先、おごり続けるとどうなるか、すなわち「一回のおごりで副次的に得られる効果」と、「連続的に奢ることで得られる効果」とを書きます。今回のことから一回だけでなく複数回奢り続けることで一人でも多くの方がより多くの方に連鎖し、どんどん幸せになる可能性が増えます。そこでここでは奢ることでそれぞれ得られる効果を書きました。 一回の奢りで副次的に得られる効果 精神的に優位に立てる  通常奢る場合には自分は他人よりリスクを負っています。ですからリスクを負っていない「他人の集まり」=「聴衆」が騒いでいたとしても、それに影響されません。「リスクを負っていない聴衆が奢られたことに騒いでおる」と考えられ、聴衆から怒られても殴られても精神的には優位に立っているため平気です。 人間関係の整理が出来る(勝手に整理される)   ここ でも示されていますが奢った人の今後の付き合い方を考えられます。    例えば目下のものから奢られるべきではない、初対面の人から奢られてはならない、などといった思い込みがあったり、あるいは相手から「もらうこと」自体に何らかの後ろめたさを「感じる」といった思い込みのある場合には、どんなに懇意にしていた人からであっても「施し」を拒否します。これは ロケットニュース でも示されています、「ホームレスの方から施しを受けたくないこと」はこうした思い込みがそうさせているといえます。  そうした意味で上記のような何かしら「立場に応じて何かせねばならない」といった考えを持っている方や、「人から施しを受けるということ」に対して後ろめたさを感じる、などといった「考え方に歪みのある方」とは長く付き合ってゆくと、例えば信じているさなか突然裏切られたり、肝心なところで意図しないような行動を取られることがあります。するとせっかく裏切られるまでお金や時間を投資してきたとしても、最終的にはすべて泡となってなくなってしまいます。そうした方とは付き合わないほうが良いと私は思います。  逆に「奢ったこと」に対して快く奢られてくれるような人や、「あげること」に対して歪みなく素直に受け取ってくれる人とは、関係はより強固になってゆきます。最終的には何かしら自分や相手、もしくはその他の人にも「利」を運んでくれる場合が多いで

不誠実は不幸の一歩

 いいことばかり言って何もしない人、言っていることとしていることとに矛盾のある人、そのような自分や他人の心に素直に向き合えない「不誠実」な人は世の中たくさんいます。そのような人はそのような人で自分が満足なら問題ない部分はあるでしょうし、ほうっておいてくれと思われる言われるならばあえて無理してこちらの考えになってくれと思っていることはありません。しかしその不誠実さを持っていると、口先だけでしかいいことを言わないでいると、言っている人の信用がなくなりますし、言ってることもむちゃくちゃで、周りも嫌な気持ちになります。これは誰一人として幸せではありません。不幸です。ですからその不幸な状況になることを防ぐために考え方を変えられればな、そうすればもっと楽しい人生を歩めるな、と考えています。そこでここでは幸せになるためにどのような考えを持ったらよいか、その一歩として誠実になる必要性と方法とを書きます。 不誠実な人はどんな人  大企業など自分の所属している組織の経歴だけを自分の生きているよりどころにしている方や、経歴だけでなれた大学教授の方など、堅い組織の中で中核を担う人物になって何十年も「 虎の威を借る狐 」状態のまま過ごしている方がいます。  そうした方はどこか不誠実な面を全面的にアピールしたりします。確かに「共通の敵を作ると団結しやすい」ということから、そうした面では人当たりはいいし、いい人そうに見える意味で、ひょっとするとその陽気さに騙されて周りに人が集まってくることはあるでしょう。  しかしそうした不誠実な人はあるのは雰囲気だけで、しゃべっている言葉や認識している言葉の中に何の本心もありません。言ってることも無責任でそもそも責任の負える話しもすることが出来ません。当然無責任なので自分の発言を適当に捉えることがあり、また記憶力もなく話の論理性がありません。そうした人は不誠実な人だと考えています。  確かに別に不誠実であっても本人がそれで満足してるならば問題はないと思われます。しかし、そうした不誠実な人は不誠実な人自身の気分が悪いような気がしていて、社会への信用もなくなるでしょう。そして最終的にそうした不誠実な人の周りで振り回される人は最も迷惑がかかり不幸になります。  そうした 不誠実な人は先日実験(n=1)をしたところ20人の組織の中に18人くら

「人を動かす」には「いう」より「する」

 大学教授や著名な有名人など、世には「偉い人」が多いです。彼らの中には確かに「聞こえはいいこと」を多く言うし、「もっともらしい意見」や戯言を言う人が居ます。そうした人は実践していない人にとっては自身の体現者であると同一視したり、あるいは評論家をヒーローと思われることはあると思います。  しかし実際に工数や金を出して行動している実践者は評論家よりは何倍も、何十倍もあるいは何百倍も評価されるものであると考えられます。というより過去の出来事から実際に評価されます。  一般的にそうした実践者によって人は動くし行動することがあるので、ここでは特に「人を動かそうと考える場合」そうした評論家よりも実践者が大事だということと、それぞれの特徴、最後はどうしたら評論家から実践者になれるかを書きたいと思います。  二つの組織の形  人が集まって何かの目的を達成する場合には多く「組織」を作ります。一般的に組織を作るうえで重要なのは「いかに早く」「官僚のような組織」を「作るか」です。  この官僚組織の考え方は、要は一人の支配者を置いてそれによって命令を行わせると言う意味でのトップダウン的な考え方です。トップの考え方や指示が『間違っていなければ』行動も迅速にすることが出来ますし、効果も高いと言うのが一般的な考え方です。  それに対して現場や下から情報をあげるボトムアップ的な考え方もあります。現状の状態から推察して相手との交渉を元に妥当な選択を相手に迫っていくと言う考え方です。まとめたりどういう方向性でいくのかを考えるのには思考力や工数が必要ですが、妥当な選択を得ることが可能です。 官僚組織の問題点  現状の国や地方公共団体、その他会社などの組織に関して、多くは前者のような官僚型の組織が良いとされ、実際そのような形で組織構成がされています。  しかしこれでは末端の意見なんかどうでも良くて、トップが現場の情報をないがしろにして間違った選択をした場合には間違った行動を選択してしまいがちです。間違った選択をしてしまい例えば会社が倒産するくらいならばお金がなくなったくらいで問題はないですが、宗教戦争などで人を殺してしまったりする場合においては取り返しがつかなくなるため大きな問題となりえます。  最近の例で言うとブラック企業がはびこっている現状や、教員への過酷な労働環境

雑用は抜群に美味しい仕事である。

 四月に多くの学生が社会人として会社に入社し、5月のGWを終えてようやく本格的に仕事をしはじめようという頃だと思います。そうした状況において新入社員にとって一番問題となるのが、仕事の内容として「雑用」をさせられていることに対する不満です。この「雑用への不満問題」を乗り越えられると、その後の社会人生活がばら色のように楽しくなっていきます。そこでここでは仕事について雑用の意味と、それをどう気持ちを切り替えることで楽しくやっていけるかを書きます。 概要 著者は雑用が好き  私は雑用が好きです。といっても本当に必要な仕事は何かをいつも考えているので、不必要な仕事を捨てたり、嫌な仕事はその仕事が好きな他人にあげます。ですがいずれにしても雑用は美味しいものと考えています。その美味しさがわかればもっともっと楽しい生活にすることが出来ると考えています。ですのでここでは主に二点、美味しい理由や考え方を記します。 定義 雑用とは  一般的に雑用とはその名のとおり主ではない仕事の事を指します。 ことバンク には 1 こまごました、いろいろの用事。ぞうよう。「雑用に追われる」 2 こまごましたものの費用。雑費。「雑用の払いを済ます」 と記されていて、どうしても「暗い」・「地味」・「無意味」といったマイナスなイメージを持たれがちです。  一回だけならまだしも、何回も、そして何ヶ月も、あるいは何年も雑用をやらされることで気が滅入ったり転職を考えたりすることもあるかもしれません。雑用をやらされ過ぎることで体に不調が現れているほど重症ならば、まずは休んで体調を整えて欲しいと思うところですが、「少ししんどいな」と思われる程度ならば今の状況から少し考え方を変えるだけで興味深い・あるいは面白い仕事と認識することが出来るかもしれません。 方法としての考え方二点 ①論理として雑用を主の仕事として認識する  そもそも主客を決めているのは誰でしょうか。そこを問います。  例えばテレビでニュースを放映している場合では確かに華々しい立ち居地としては「アナウンサー」という役割はあります。しかしニュースの放映をしているのはその職業の方だけで成り立っているのではな