雑用は抜群に美味しい仕事である。

 四月に多くの学生が社会人として会社に入社し、5月のGWを終えてようやく本格的に仕事をしはじめようという頃だと思います。そうした状況において新入社員にとって一番問題となるのが、仕事の内容として「雑用」をさせられていることに対する不満です。この「雑用への不満問題」を乗り越えられると、その後の社会人生活がばら色のように楽しくなっていきます。そこでここでは仕事について雑用の意味と、それをどう気持ちを切り替えることで楽しくやっていけるかを書きます。



概要 著者は雑用が好き



 私は雑用が好きです。といっても本当に必要な仕事は何かをいつも考えているので、不必要な仕事を捨てたり、嫌な仕事はその仕事が好きな他人にあげます。ですがいずれにしても雑用は美味しいものと考えています。その美味しさがわかればもっともっと楽しい生活にすることが出来ると考えています。ですのでここでは主に二点、美味しい理由や考え方を記します。


定義 雑用とは


 一般的に雑用とはその名のとおり主ではない仕事の事を指します。ことバンクには
こまごました、いろいろの用事。ぞうよう。「雑用に追われる」
こまごましたものの費用。雑費。「雑用の払いを済ます」

と記されていて、どうしても「暗い」・「地味」・「無意味」といったマイナスなイメージを持たれがちです。

 一回だけならまだしも、何回も、そして何ヶ月も、あるいは何年も雑用をやらされることで気が滅入ったり転職を考えたりすることもあるかもしれません。雑用をやらされ過ぎることで体に不調が現れているほど重症ならば、まずは休んで体調を整えて欲しいと思うところですが、「少ししんどいな」と思われる程度ならば今の状況から少し考え方を変えるだけで興味深い・あるいは面白い仕事と認識することが出来るかもしれません。



方法としての考え方二点


①論理として雑用を主の仕事として認識する


 そもそも主客を決めているのは誰でしょうか。そこを問います。

 例えばテレビでニュースを放映している場合では確かに華々しい立ち居地としては「アナウンサー」という役割はあります。しかしニュースの放映をしているのはその職業の方だけで成り立っているのではなく、カメラマンさんだって編集者さんだって基本的にはその仕事の一線でしている役割ではあります。
 つまりアナウンサーにとってはカメラマンの仕事は雑用でも、逆にカメラマンさんから見るとアナウンサーは雑用なのです。ですので、雑用としての仕事としてみても「補佐の仕事」と認識することなく「主の仕事」として認識することで、改善提案を思いついたり、今よりより良くなる発想を持てます。

 更に論理として雑用あっての主の仕事と認識することが出来ます。ですので、雑用をしてゆくことで「主の仕事」の「穴を埋める」ことが出来ます。上のアナウンサーの部分でも示しましたが、通常仕事は一つで単独的に出来ているものではなく、何かしら他人とオーバーラップして存在しています。ですので「雑用」という周りをあらかじめ知り、体験し、体になじませておくことで将来「主の仕事」をする際にも非常に活きてくると考えられます。
 

②雑用で主の仕事を揺さぶる


 次に「雑用という仕事」を「どう使うか」問います。

 通常「雑用」は「主の仕事」の補佐なので、その補佐の仕事を極めることで主の仕事の地盤を把握することが出来ます。主の仕事をしている人は主の仕事をしている人でその道の専門家とはなりうるのでしょうが、逆に補佐の仕事を極めることで主の仕事をする人にとっては「補佐としてどうしてもほしい存在」となりえます。そうなれたらしめたものです。

 例えば先輩が美味しい仕事をしていたとしたら、あなたがその補佐の仕事をする場面があったとしましょう。
 とすると主の仕事をしている先輩としては本来やりたくない「雑用」の仕事をしてくれる人を欲しています。そこであなたが積極的に先輩の仕事の雑用をすることで、主の仕事をしている先輩にとっては雑用の仕事をしている人に対して感謝するしかなくなり(俗に言う「骨抜き」をする)ます。
 感謝されるということは場合によっては主の仕事をする人にとっては「なくてはならない存在」となりうります。そうなると雑用の仕事をしているあなたが主の仕事をしている先輩を「操作」することが出来るようになります。

 日本には「石の上にも三年」ということわざがあります。これは「(いし)の上にも三年 冷たい石の上でも3年も座りつづけていれば暖まってくることから、がまん強く辛抱すれば必ず成功する」ということです。
 このことわざの考え方を使うならば、たとえ3年と言わずともある程度の年月雑用をして極めることで主の仕事を操作できます。


主の仕事も雑用もともにつまらん?


 時代や環境によって、あるいは人によって仕事のとらえ方は大きく変わります。たとえ同じ人であっても入社当初は「夢のある大きなことの出来そうな仕事」と認識していても、実際にしてみると「全く夢の無い意味の無い仕事」だと考え直すこともあります。
 ですので何事もとらえ方次第で興味がわいたり興味がわかなかったりすることはあるのです。このことからただの雑用や作業があったとしても、考え方を変えることで興味深くあり自分が楽しみ極めること、それを伝播することでひいては他の人が楽しむこととなりうる可能性を示しています。

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