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仕事に求めるものとはなにか

 人生80年といわれています。年金の支給額も最近5年後押しになり、余計に働く人々が増えている状況です。そうした働く時間が多い人生の中で、仕事の役割として何を大事にすれば心穏やかに生きることが出来るでしょうか、ここでは何を大事にして仕事人としてどう生きていけばよいかといったことを書きたいと思います。 人生80年  人生80年といわれています。明治や戦後のころと比べ医療技術が高まっていて、こと日本に住んでいる人々は世界の中でも割かし長寿な民族です。  そのなかで最近では年金の支給額が5年後押しになることが言われ、定年後も限定職で働く人も多くなりました。すなわちこれまでより5年長く働き続ける必要があるということです。  せっかく長く働き続けるのならより効率的に、かつ生産性高く生きて生きたいと思っています。高校や大学ををつ行して18~21の子達が65歳の定年までおよそ4~50年を職場で過ごすわけですから、人生の大半を仕事していることを考えるとその働きかける効果は例え小さくても累計してみると大きいと思われます。 多くの人が思っている「仕事」とは  そのような非常に働く時間の多い中で「仕事とは」と書いても結局はその人それぞれのとらえ方によって異なる部分はあると思います。ですのでこれといった大きなことをいうことはできないのですが、一つの考え方として示したいと思います。   多くの一般的な方が思っていることは「時間の切り売りをしている」ということです。確かに求人票を見ると、職場や職種のほかにすぐそばの場所に「給料」が書かれています。ネットを使った求人情報誌でも、ハローワークの求人案内でもそうです。  最低限生きるための家賃と食費を稼ぐため、そして娯楽として時間やお金を「消費」するための 「ライスワーク」で す 。  お金を生きるよりどころにし、常に同期や同年代との給料を自分と比べ、給料がよければあっちにふらふら、こっちにふらふらしています。これはいうなればお金の奴隷になっているといえます。心持が非常に悪いです。  一方ごくごくわずか(割合不明ですがきわめて少ない)ではありますが、お金に左右されない仕事を選択している方もいます。仕事をするためにしていてお金は二の次といった考え方を持っている方です。これは 「ライフワーク」といいます 。  「ワ

商売を勝負と考えている奴はアホ

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 ニュースを見ていると毎日毎日大きな会社が不祥事を繰り返し、場合によっては新聞などの報道機関に報道されること無く今日も多くの企業がつぶれています。そうしたつぶれてゆく企業の中で、特に商売において勘違いしているところは無いか、考える必要があります。その例をここでは記し、同じ轍を踏まないようにするにはどうするか、商売において必要なことは何で、それを達成するためには何が必要かといったことを書きます。 かつて日本に存在した悪徳企業と商売  「豊田商事」と言う会社をご存じでしょうか。上の動画で示している通り、かつて存在した企業です。既にこの世には存在していない会社ですが、この動画を見ていて気になっていたことがあります。それは「商売を勝負事と勘違いしていること」です。  商売を勝負と考えること自体はひょっとすると勝負を勝つ意味では重要なのかもしれません。しかしあくまでそれは短期的な決戦の勝ち負けなだけで、勝負事に勝ったからといって必ずしも商売ができる訳ではありません。商売を勝負事と考えている時点で相手を打ち負かすことしか考えることができず、その先にある大事なものを見落とすことになります。  これは現在豊田商事だけでなく多くの日本の会社が見落としているところですが、「本来 商 売とはお客さんに満足を提供するもの で、特に商品を提供したあとに お客さんが本当に満足したか」を確認すること が大事と考えます。  また商売を勝負事と考えると長期的に応援してくれる人の数が少なくなると思います。なぜなら商売を勝負事と考えることで「誰か」が傷つくからです。たとえば自分が勝負事に勝ったとしても勝負した相手が負けます。するとそれ以後自分とお客さん以外に応援してくれる人は居ません。すると業界事態の発展はしていかないと考えられます。  ですので 商売を考える場合には誰かを傷つけて勝ち上がることを考えるのではなく、みな幸せになれる選択肢を考える必要があり ます。そうした「幸せ」を考えるに当たって一番大切なものは、商売を「お客様を満足させるもの」として考えることです。そうした選択を考え付くことで、自分も相手もお客さんも皆嬉しくなることが可能ですし、場合によっては競合した相手企業も勝負に勝った負けたをした後だとしても、応援してくれる場合もあります。すると業界自体の発展も望めます

不誠実な人とは付き合う価値がない

 世の中には非常に多くの「不誠実なことを良しとする」人が居ます。不誠実な人同士が騙しあって文句を言い合う分には心地が好い部分があるのかもしれません。しかし世の中には「誠実なことを良しとする」人も居て、そうした人にとっては不誠実なことを良しとする人は非常に厄介な存在です。なぜなら約束を平気で守られなかったり、それを破るにしても謝られることなく悲しい思いをするからです。これは私は問題だと思っています。そこでここでは「誠実であること」が良いことであることを述べるとともに、不誠実からどうして脱却するかということを書きたいと思います。不誠実な人は後々損をすることがあると思うので無自覚ならば気をつけたほうがいいかもしれません。 なぜ不誠実を良しとする人が居るのか  日本に限らないと思いますが、多くが騙しあって生きている人の多い社会です。そうした「人の信用が出来ない社会」であるとか、「約束を破っても構わない」などと思っている人、そもそも「言葉を丁寧に扱えなかったりする」人が多い現状が、こうした社会を形作る原因として私はあると考えています。  ちなみに私個人としては多くの方が「皆と同じならいい」や「赤信号みんなでわたれば怖くない」と考えられていることがあるのだと思います。そうした考え方があるのだとしたら、それはそれで構わないと思いますし、どうぞそうした不誠実な人同士で徒党を組んで騙しあって生きてくれれば良いと思います。その限られたコミュニティで負け犬の遠吠えよろしく「だましただまされただ」文句を言い続けるのは、そのコミュニティの質が落ちていく意味である意味滑稽ですし、それを批判するつもりはありません。  そうした「不誠実をよし」とする考え方はどこから来ているのでしょうか。小さいころからそういう教育がなされているからでしょうか。私は中学校や小学校だけでなく、もっと小さなころ、すなわち幼少期の「男らしさ」や「女らしさ」を「人間らしさ」の前に押し付けることが原因ではないかと考えています。「自分」が「自分」ではなく「第三者」であることを当然と思っている部分があるのではないかと考えます。これはいうなれば「自分が自分であること」を差し置いて、「借り物の自分」を持ってそれで良しとする、いささか不健康な考え方な気がしています。 誠実な人とは誠実とは  不誠実であるこ

隠居として投資家の役割

 僕は「実生活で潔く隠居できるような人、あるいは若者に次世代の受け渡しの出来るような環境」を作りたいです。  なぜなら皆自分の能力の限界があり、そしてその限界は年々広がり、自分の実力以上のことをできる(特に若い)人については応援する行為をすることが重要なのかもしれないと考えるからです。  近年ではインターネットが盛況で現場第一線で頑張っておられる方の情報は簡単に手に入ります。僕以外の第一線で頑張ってくれる方が居てくれるのは大変嬉しいですが、一方でそうした方は、いつまで一線で働く必要を持っているのか、自分の衰えを否認して無理してイキることに何の価値があるのだろうと考えます。  ですのでそうした「自らの衰え」を実感した時に「隠居」や「他人を立てる仕事として」の役割を考えてゆくことは大変重要だと思っています。ここではそうしたことを実践するためにどうするか何が必要かといったことを書きます。 技術発達した社会と自身の心・体。  インターネットでは多くSNSにて自慢合戦をしています。確かに自慢できる環境のあることは自分がどれだけ素晴らしい人間か、他人と比べて自分の優秀さを誇示できる意味で心地良いです。  また僕の友達でもじゃんじゃかじゃんじゃか投稿して、「何々しませんか」「何々が熱いです」「これだけ結果が出ました、俺偉い」ことを示しています。そうした有意義な情報もインターネットの発達する前と比べると、現在では回線とスマホがあるだけで簡単に手に入るようになりました。  また情報だけでなく物も明治維新、朝鮮戦争特需から始まり現在は当時の状況と比べて発達の一途をたどり、世界の工場であるシナもあることから、終戦時に比べてかなり「品質の高い製品」を「安価」で手に入れることは可能です。  しかしいくら情報や物があって接する機会があったとしても、それが自分がどう思っているのか、すなわち自分が「本当に興味があるのか」といった心の面や心の発達の面では改めて考える場面のようなものはあられるでしょうか。私はそうした心の面の発達は技術発達に追いついていない部分があるのではないかと考えます。   一般的な「心」の分析であれば、お医者さんであったり大学の研究室の先生であったりすれば評論家的な視点に立って考察せしめることは出来るのでしょう。しかしほかならぬ自分自身にとっての「心の