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5月, 2016の投稿を表示しています

看護助手・介護職員という仕事

仕事には多くの種類があります。 名前を聞いただけでは「なんだそれ?」 と疑問に思うことはあると思いますが 詳細を知ることで興味が沸くこともあるかもしれません。 そこで多くの仕事の中で私が体験した仕事はどのような仕事で それについての詳細と、 求められるであろうこと 注意点などを書いてゆきたいと思います。 今回は看護助手・介護職員という仕事です。 そのなかでも病院・介護施設の職員を紹介します。 看護助手や介護職員の詳細  看護助手は名前のとおり看護師さんの (医療行為外の)お手伝いをしたり、入居者さんの身の回りの食事・排泄・運動や入浴の世話をする仕事 です。介護の施設職員も病院における看護助手と同じような仕事をし、場合によっては直接の介護だけでなく、介護予防運動や作業療法を手伝うことがあるかもしれません。  また病院などの場合は制服のあることが多く、髪型や靴など施設職員らしい統一感があります。一方介護施設では私服で勤務することが多いです。髪型や靴などの指定はあまりない気がします。  一般的に介護職員(介護施設)は入所者さんを外に連れて行くことに注力します。一方病院の場合はいかに入所者さんを外に出さないかに注力します。  さらに基本的に介護施設や病院はホテル同様24時間体制です。ですからたとえば朝勤の日勤の場合は、前の勤務までの情報を引継ぎで聞いてからおむつ交換→作業療法(場合によっては入浴介助)→昼の食事介助 →レク→おむつ交換といったルーチンとしての流れが概ね決まっています。  実作業以外の時間は見守りという名の入居者さんの監視をします。見守りをしていないと、入所者さんが怪我などした場合見守りしていた人に責任が及ぶため、いざとなったときには手を貸すことを目的とした監視です。 必要なもの  人を移動させることが多いので、 強靭な腰と力が必要 になることが多いでしょう。後は本当は必要なのですが 入居者さんを下に見ない人権感覚が求められ ます。  ヘルパー二級や初級介護施設研修員の資格がありますがそれが本当に役に立っているかというと疑問です。なくても十分仕事として通用する気がします。 注意点  基本的に看護師や介護福祉士のように人を扱う教育を受けなくてもできますが、場所によっては「資格がないので介

仕事の方向性は専門性と因縁で見出せる

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 仕事の方向性を決めるには二つの方法があります。その二つの方法とは何なのでしょうか。専門性と因縁だと私は考えていて、ここではその二つを紹介します。 自分が仕事をあわせる  現代社会は好き勝手動いてくれる奴隷を求めていて、その格好のターゲットとして若者がよく槍玉に挙げられます。多くの若者(統計的には不明)は「働ければなんでもいいわ」と考え、奴隷よろしく、社会のそうした意図を見ないようにもしくは見えていても気づかないようにマインドコントロールされて働き出します。  しかしそうした若者も長年働くことで、社会がそうした奴隷を求めていることに気づき呆れて会社を辞めるケースもあります。せっかく長く続けた会社を辞めるのは残念ではありますが一方でそうした新たな見方を得た状況にある若者は、考え方の転換を図る必要があるように思います。  具体的には 仕事場に自分をどうあわせるかよりも、自分に仕事をどうあわせるかといった発想の転換です。 そうすることで新たな活路が見出せるかもしれません。  そのような考え方の転換がなされた上で、加齢に伴って必要とされる課題や、目標を適宜定めなおすことで真理の探求者か、実践者かの違いを認識する必要があります。 状況を自分が味わう  また仕事をしていくと理不尽な壁にぶち当たることはあります。壁にぶち当たると、困るわ、大変だわ、と思うことはありますが、そうした理不尽な壁、いわゆるストレスは成長をするうえである程度必要です。  通常、ストレスが無い状態が素晴らしいと考えがちですが、ストレスが無いとそれはそれで暇になり、苦痛になります。加えて現状に安定してしまい、成長することを恐れるようになります。  ですから ある程度のストレスを感じ、逆転をはじめ二つ以上のまったく別の視点を持つ ことで新たな一歩を生み出すことが重要となります。 仕事をする上で必要な専門性と流されること    これらのことから仕事の方向性を見出すには、 二つの方法がある。と考えられます。  ひとつは専門性からオリジナルを見出す ことです。 自分で責任を持ち 何を拾い何を捨てるかに焦点におき ます。例えばこれまで研究開発の仕事をしてきたのでそれに近い営業の仕事をすることができそうだ、と決められます。  もう一つは 因 縁に動かされる

研究開発という仕事

 仕事には多くの種類があります。名前を聞いただけでは「なんだそれ?」と疑問に思うことはあると思いますが、詳細を知ることで興味が沸くこともあるかもしれません。そこで多くの仕事の中で私が体験した仕事はどのような仕事で、それについての詳細と、 求められるであろうこと注意点などを書いてゆきたいと思います。  今回は研究開発という仕事です。そのなかでもメーカーの研究開発を紹介します。 研究開発という仕事の詳細  研究開発はデータ取りと再現性が肝になってくる仕事です。会社によって多少の違いはありますが概ねメーカーの場合、研究と開発・原価低減に仕事の多くがあるようです。それぞれの内容を示します。  研究とは、まったく役に立たない(でももしかしたら将来役に立つであろう)開発に役立つ種としてのデータの収集をしたり、仮説に基づいた実験をします。また、お客さんの要望やクレーム処理を通じてどう製品に盛り込むであるとか、クレームがおきないような何かしら製品、あるいは資料を作ります。  開発とは既存の研究資料や特許を通じて新たな製品を作ります。儲かるぎりぎりのラインで原価率を計算して、その原価内で最も付加価値のある製品を作ります。  原価低減とは既に世にある製品で売れている製品も、原価を抑えることができれば企業利益が増します。ですから同じ品質性能でもより安く原料を仕入れることができたり、あるいはもともとあった梱包量を減らしたり(お菓子でよく見られる)して、より多くの収益を得ることを目的とします。  研究所における研究はどちらかというと研究と開発とに比重がおかれ、逆に工場における研究は開発や原価低減に比重がおかれます。研究はお客さんの望んでいるものを見出すという意味で営業に近く、原価低減は工場のコスト低減という意味で生産(前述の生産技術)に近い仕事です。 求められるもの  なお、研究、開発、原価低減のいずれにしても実験のデータを得る際、特に 自然の材料を用いた場合は再現性を得ることが重要 で、さらに 実験データは統計的に確からしいことの言えることが重要 です。  そうした意味では同じ作業をたんたんと繰り返す根気が必要になります。また、自分が実験したことでも誰でも同じ結果になる計画を作る意味で、究極の客観性が必要になります。 注意点  再現

生産技術という仕事

 仕事には多くの種類があります。名前を聞いただけでは「なんだそれ?」と疑問に思うことはあると思いますが 詳細を知ることで興味が沸くこともあるかもしれません。そこで多くの仕事の中で私が体験した仕事はどのような仕事でそれについての詳細と、 求められるであろうこと注意点などを書いてゆきたいと思います。 今回は生産技術という仕事です。 工場の中で行う生産  通常工業製品をある程度の品質を保って大量に生産しようとする場合、工場を用います。工場では製造員さんの方が機械を使ってものをつくります。 工場は外からは見え難いです  工場はものづくりの現場において最も重要な場所です。ですからあまり人目につけたくないと思われることがあるのかもしれません。また大型の機械が入ることもあるため、おおくの敷地が必要になる場合が多く、そのため大量の土地を安く手に入れられる意味で少し辺鄙な場所にあることが多いです。  そうした工場は都会に住んでいる方からすると全面的に表に出てこない以上、なかなかその中身を知る機会は少ないと思います。ですからそこで働いている人の実像もなかなかわかりません。  生産技術はそのような、なかなか日の目に当たることのない 工場で、特に工場に勤める製造員さんを支える ようなお仕事です。 生産技術の詳細  具体的には主に①機械がどう動くか②製造員さんがどう動くか③どのような品質まで落としても許されるか、といったことを(生産技術は)追求します。  最初の機械に関しては どの機械をどう使うかであるとかどういったメンテナンスを行うか、 を追求します。工場において通常機械を導入した場合、一番初めには導入した機械をどう使うか、といったことを製造員さんに伝えなくてはなりません。そこで 伝達手段として手順書であったりマニュアルを作り ます。  次に機械のメンテナンスはもちろんですがそれだけでなく作業にあたる人の管理をする場合には一時間一人でどれだけ仕事をするか、といった 工数(人×時間)を算出し、ひとつの作業あたりに、それをいかに小さくするか考え、新しい生産方法の考案を します。  最後のことに関しては通常会社の開発が新しいものを作って売り上げに貢献し、会社の営業が新しい販売路線を作って売り上げを上げるのに対してどちらかというと生産

医療は誰のものか

 医療は誰のものとかと問われると、医療法第一条総則(一部抜粋)によると 医療を受ける者の利益の保護及び良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を図り、もつて国民の健康の保持に寄与することを目的とする。  と書かれ、患者さんのためのものであるといわれています。しかしそれは建前上なだけで、実際働いてみると患者さんのことは一切考えていないように感じ、 「現状日本の医療は医療従事者のためのものなのではないか」 と疑問を持ちはじめました。そう考えると患者さんの人権を無視したり、無駄な医療点数稼ぎをすることも納得がいきます。ですからここでは医療は誰のものなのか、と考えたいと思います。私の考え方もいささか偏っていますが、その偏った考えと従来からある考え方から読者自身が自分の生き方を見出してほしいと思っています。 問題と思った背景  先日、精神科の病院(認知症病棟)に医療相談員として勤めだしだのですが、辞めてしまいました。なぜならそこでの経験とこれまでの病院経験を通じ、改めて 精神科医療が誰のためのなんのためのものかわからなくなったから です。そのわけがわからなくなった原因、主に驚いた点は2点あります。 1、人権?何それおいしいの?・・・医療組織としての問題  特に認知症の病棟では誰のための何の医療を提供しているのかわからない。急性期では医者の判断で強制的に入院させることができるが、医者は人の行動を制限できるほど出来た人間なのかというのもあるし、人の命を預かる責任はあろうが、人の人生を決められるほどの権限はないのではないかと考える。  患者はモノであれ・・・病院側としては薬物投与をして患者は動かないのがよい。拘束して転倒や弄便などの問題行動がないのが良い、という文化がある。患者は何も考えず、変に動きもしないモノであれ、という風潮がある。    宗教としての治療がよいことである考え方に疑問がある。具体的には里見清一が「医者と患者のコミュニケーション論(新潮社2015.10)」で述べていることでもあるのだが、一般的に医療業界では 治療がその人の人生にとって良いことであるという考え方の偏り がある。  治るのならば(精神科医療にとっては治るということは少ないのだけれど)相手の存在や権利を侵害してもかまわない、という変な考え方が存在する。それは