医療は誰のものか

公開日: 5/11/2016 医療 精神科 精神保健福祉士



 医療は誰のものとかと問われると、医療法第一条総則(一部抜粋)によると
医療を受ける者の利益の保護及び良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を図り、もつて国民の健康の保持に寄与することを目的とする。 
と書かれ、患者さんのためのものであるといわれています。しかしそれは建前上なだけで、実際働いてみると患者さんのことは一切考えていないように感じ、「現状日本の医療は医療従事者のためのものなのではないか」と疑問を持ちはじめました。そう考えると患者さんの人権を無視したり、無駄な医療点数稼ぎをすることも納得がいきます。ですからここでは医療は誰のものなのか、と考えたいと思います。私の考え方もいささか偏っていますが、その偏った考えと従来からある考え方から読者自身が自分の生き方を見出してほしいと思っています。


問題と思った背景


 先日、精神科の病院(認知症病棟)に医療相談員として勤めだしだのですが、辞めてしまいました。なぜならそこでの経験とこれまでの病院経験を通じ、改めて精神科医療が誰のためのなんのためのものかわからなくなったからです。そのわけがわからなくなった原因、主に驚いた点は2点あります。

1、人権?何それおいしいの?・・・医療組織としての問題
 特に認知症の病棟では誰のための何の医療を提供しているのかわからない。急性期では医者の判断で強制的に入院させることができるが、医者は人の行動を制限できるほど出来た人間なのかというのもあるし、人の命を預かる責任はあろうが、人の人生を決められるほどの権限はないのではないかと考える。
 患者はモノであれ・・・病院側としては薬物投与をして患者は動かないのがよい。拘束して転倒や弄便などの問題行動がないのが良い、という文化がある。患者は何も考えず、変に動きもしないモノであれ、という風潮がある。
 
 宗教としての治療がよいことである考え方に疑問がある。具体的には里見清一が「医者と患者のコミュニケーション論(新潮社2015.10)」で述べていることでもあるのだが、一般的に医療業界では治療がその人の人生にとって良いことであるという考え方の偏りがある。
 治るのならば(精神科医療にとっては治るということは少ないのだけれど)相手の存在や権利を侵害してもかまわない、という変な考え方が存在する。それは精神科医療だけではなく、一般科医療業界についても言えることだけど治療しないことがよい生き方、という考え方もできるのではないかと考える。
 少なくとも細く長く生きることが人生すべてよいわけではない。(もちろん医者や国は儲けを確保するため長く生きることを推奨するだろうが)満足することを考える場合、太く短い人生も十分ありえると思う。

2、変な制度のある病院・・・病院組織固有の問題
 カンファレンスがないから情報共有ができず目的のない治療方針・作業療法・介護が行われる。入院調整であれば医療相談員の目しかなく、情報の抜けや漏れが発生する。それゆえ必要な情報は共有されず、それが人の欠点や悪口として共有される。またある患者さんの困った情報を聞きたいときに、誰に何を聞いてい良いのかがわからない。
 さらに作業療法に関しても基本的に画一的な指導がなされる。小学校の教室のようにみんな一緒で、無目的にとにかく個性を殺し、作業をし「なくてはならない。」無意味な作業の強制は苦痛以外の何者でもない。
 田舎の精神病院はさながら現代の姨捨山状態として勤めていた病院は毎月2~3人は亡くなる。9割は死亡退院。長期入院者は点数が低くなるから早く転院させてほしい。生活保護の人も多いが、死亡退院で受給資格がなくなる。死ぬことは誰にとってよいことなのだろう。病院?地方公共団体?少なくとも本人や家族のほうを向いているとは考えにくい。
 相談員としての無意味さとして、患者さんを患者「さま」と呼ぶ文化があるが。本来はお客さんや患者さんと立場はと対等では?と思う。医療相談員は誰に対しても常に下手であれとされる。入院調整をする医療相談員のお客様は患者さんではなく、他の病院の入院調整をする医療相談員という感じ。相手の医療相談員とも、いかに相手を打ち負かすかを考える。


問題行動の起こる原因と対策


 1の人権に関して、確かに相手が望んで死を迎えたくないとしている場合、死にそうなときには本人の意思を無視して生を得るのが最善だと思います。
 しかし、特に認知症病棟では常にそう(急性期)なっているとはいいがたいです。し、場合によってはそもそも相手が何を望んでいるか見極めるのは困難でしょう。ですから相手が何望んでいるかわからない以上、医療従事者側の良かれと思った勝手な行動、強制的な行動がまかりとおるのですが、私はこれはおかしいと思います。
 私個人的にはですが、そうした場合即ち患者さんやお客さんがわけがわからなくなったらわけがわからないといった状況を一緒に味わう必要があると考えています。
 ですから場合によっては積極的に治療しないことも重要だと思われます。
 そうは言っても仮に医療関係者として勤め続けるとした場合には、あらかじめ患者さんのことを親身になって聞くことが必要だと思っています。聞いて、患者さんの本当の満足ポイントを見出すのです。そしてそれをかなえるように努めます。
 そうするためには責任者に対して、最悪の場合病院でしたら入院患者数を減らしてもいいもではないかとさえ思います。(多くの病院は入床率をテストの点数のように競っているから)

 2に関しては勤めていた病院だけなのかもしれませんが、ほかの多くの病院でも見受けられる可能性があるな、と考えました。ですからこうした問題点への対処として、新人の私としてはこう直してはいかがか、と現場責任者に提案はしてみましたが結局改善されないまま、放置されました。そのときに「組織が腐ってんな」と同時に「辞める。」言葉が頭をよぎりました。


以上から考えられる今後の医療に必要なこと


 本来の医療の目的は名実ともに患者さんに医療を提供することで言い換えると顧客の満足を満たすことだと考えています。現状は医療従事者側の勝手に良かれと思ったことがまかりとおりますが、医療従事者にとって患者さんは都合のいい道具ではありません。

 現状はそのような客を客として扱わなくともいいような状態でも、すなわち顧客満足を満たす集客努力をしなくとも病院にはお客(患者)さんは来ます。しかしそれがいつなくなるかはわかりません。

 ですからいつ何時考え方の転換が起こるかわからない意味で、現状ほかの病院が顧客集客努力をしていないうちに、顧客の満足をかなえる病院を作ってもよいのではないかと考えます。

 またそうした顧客満足を第一に考えた企業のようなコンセプトで医療を提供している病院があるなら私はぜひ勤めてみたいです。私が受け入れられるかは疑問ですが。
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