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10月, 2013の投稿を表示しています

倫理観が不安を煽る。和を持って自立を阻む。

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倫理観の欠如が不安を煽る。 テレビや新聞では事件を不安をあおります。 最近何事に関してもやりすぎだと思う部分が私はあります。 そのやりすぎな原因として「倫理観」の欠如が有ります。 世界ではこれがしっかりあり、その具体的な例として宗教があります。 かつての日本でも、特に戦時中など、 日本国を守るといった意味で軍国主義的で宗教的な考えがありました。 戦後の現在ではそういった規制が無くなり ある意味「たが」が外れているのかもしれません。 学校では道徳がそういった規制にあたるのかもしれませんが 今の私に生きている部分は残念ながらありません。 他利は循環。和は自立できない。 宗教には他利をよしとする表現があります。 その行き着く先には独立自尊の精神があるように感じます。 現在日本では「和をもって尊しとなす」という考え方があります。 これは集団での和が第一となっている部分があり 個をつぶし、独立自尊を阻みます。これは問題です。 そこで考え方を根本的に帰る必要があります。 他利をすることが自立することと繋がる意味で 循環型の社会がある、と考えられます。 それを以下を読んで考えました。 「哲学の回帰(稲盛和夫 梅原猛著 PHP研究所 1999.6)」です。

仕事で成長する場合に必要なものとは

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仕事人として成長する上で大切なことは何でしょうか。 ここではそれを書きたいと思います。 仕事で本当に大事なところ 私は仕事において必要なものは素直さ だと思っています。 なぜなら素直さが人と人との人間関係を生み、 そして人と人との関係から仕事としての信用を得、 最終的にはお金を生む、と考えているからです。 素直ってなあに? 素直さとは真実に向き合うこと です。 決して自分に嘘をつくことではありません。 何事にも公平に見ることが大事だと思います。 通常自分の評価はつい甘くしてしまいがになります。 他人のことは見えるのに、自分のことは見ることが出来ない そのようなことも影響しているのかもしれません。 自分を自分として見えてくれるような 鏡のような存在の方のいることが望まれます。 得られたお金は? そのような 鏡のような存在の方を得るためには 仕事を通して得られたお金を投資する 必要があります。 投資をすることで 相手も能力を伸ばせられるきっかけができますし、 自分の資質も高めることが出来ます。これは好循環です。 例えば、美術館に絵を見に行ったり 教養を深めるために本を買ったりすることなどがそうです。 美術館の絵は絵を描いた人への投資 本を買うことは字の情報を発信した人への投資です。 カウンセリングにお金を払うことも 自分を見つめなおす意味では投資と考えられます。 無理する必要はありませんが 余裕があればそのように自分を磨く投資をすることで より大きな自分、成長した自分になることが出来ます。 それを以下を読んで考えました。 「話ができる男 バカになれる男 男が惚れる男(山崎武也著 三笠書房発行 2004.6)」です。

上司の下についてわかること学べること

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働くことでわかること 良くも悪くも、最初に入った会社において上司や先輩は 何らかの形で後々の社会人生活に大きな影響を与えます。 私も、最初の会社は3年で辞めてしまいましたが 当時の上司や先輩を見ていて、現在の生活の中でも 「参考」になっている部分があります。 上司について私が学んだこと その参考になっている部分とは ①どうしようもないことのある部分 ②上司や先輩も一人の人間である部分 です。 ①はどうしようもないことの一例として人事の問題があります。 通常最初に会社に入る場合、 部下として入るため上司は選べません。 また逆に上司も部下を選べません。 そうしたどうしようもない人と人との関係の中で 会社組織の中で利益を上げるという目標を元に いかに会社の部下と上司が手を取り合うか を考える必要がありました。 そのためには目標の設定はもちろん、 独自のノウハウを育てる必要があったのだと思います。 ②は部下の見ている上司の面はごくごく一部だということです。 通常、部下は何人もの部下と共有して上司を持ちます。 とすると、ある一人の部下から見える一面は上司のほんの一部であり 自分の見ている面と 同じく仲間の部下の見ている面とは違うことがあります。 そうした意味で人間の多様性を考えるきっかけとなりました。 仕事を通すことで上司の良いところも悪いところも見えてきますが そうした上司も一人の人間として認めることで、 お互いがスムーズに認め合え、仕事を遂行することが出来ます。 それを以下を読んで考えました。 「だから、あなたの部下は育たない(国吉拡著 PHP研究所2007.4)」です。

他人との関係維持に執着しすぎないこと

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人間はお付き合い大事 人間は社会性のある生きものです。 自分と他人をはじめとする他者との乖離を感じ 生き続ける必要があるのかもしれません。 そうした「他人と他人のお付き合い」で ライフステージ上重要なものには配偶者との関係があります。 そうした他人とのお付き合いや結婚していく関係の中で 大切になることは何でしょうか。 ここではその中身と対策を書きました。 安定を求めすぎると問題となる 通常相手との関係を継続し続けたいと思った場合 安定を求めることが簡単で手っ取り早いです。 しかし安定を求めすぎることに執着しすぎると 道徳的な面を重んじるお母さんよろしく 相手を縛り付けていまうこともあります。 すると「するべき」、「しなければならない」 といった気持ちから相手への思いやりがなされません。 ですから関係維持をしたいと思うことはあっても 安定に執着しすぎないことが大切です。 なお、こうした執着心が進行しすぎると 最終的には精神疾患になることもあります。 執着しないための行動 そこで執着しないためには 以下2点を考える必要があります。 ①話したりして気持ちを発散させること ②趣味などに気持ちを昇華させること です。 ①では例えば配偶者などの身近な関係を用います。  配偶者はまったくの他人ですが、そうした他人でも  話の出来る環境を作ることが大切です。   そのためには一時的感情の高ぶりで結ばれてしまうような  せつな的な行動は慎むのが良いのかもしれません。   ②では周りがどんな環境であっても  それをすることで落ち着けるような趣味や好きなことを見つけます。  例えば野球選手がスランプに陥った場合でも  普段の出来る練習をすることでスランプを脱出することがあるように  普段の生活で淡々と、自分の出来ることを見つけることです。  そのためには自ら積極的に何が出来るか求め、行動をします。 それを以下を読んで考えました。 「あなたの中の秘密のあなた(遠藤周作著 PHP研究所 1991.11)」です。  

成長するために最良の選択をする

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成 長 無理すせず 親が最良の選択が出きれば 子供は最良に成長してく と考えています。 逆に子供に 最高を求めると、 子供は子供で親の最高を期待ばかりして 一方で目標に達成できないことから 親子がお互いに疲弊 してしまいます。 対 岸に居る人 そこでそうした疲弊をしないために 最良を見極められるような人を 近くにおいておく必要があり ます。 子供の成長や人の成長は 一人でみんなで背負うことが大事です。 通常、類は友を呼ぶという言葉が日本にはあるように 悪しき人の回りには悪しき人が集まり よき人の周りにはよき人が集まります。 ですから 現在周りに最高を求める人しかいない場合には その人たちと縁を切り、最良を求める友を探し ます。 最良を見極められるような友を作ることで 自分も最良を見極められるようになります。 すると無理することなく、生きることが可能です。

伝えること、伝わってきたこと。

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証 拠を追い求める 「相手が思うように動いてくれない」 「いい製品なのに全く売れる気配が無い」 自分ひとりではどうしようもないことはあると思います。 そのようなとき、引いて逃げてしまうか あるいはもう少しとどまるのか、考えます。 今では百聞は一見にしかずといわれています。 目に見えない可能性も統計学的に、とか 心理学的技法を使って、などなど 目に見える形にして可能性を見出しています。 そのような技術の確立が無かった時代には 「神」の思し召しのとおり、 「神」が信じられそのとおりに従っていました。 今は勝算が得られる証拠となるものが見つからない限りは 新しい一歩を踏み出さないことがあります。 確かに目に見えるものがあれば守りとしてはありでしょう、 が、それだと何でも目に見える形にならなくては ならないので、成功する場合には時間的に若干遅くなりますし 失敗した場合にも証拠を作ったものに憤りを感じます。 総合研究所などの経済予想も、当たる可能性は高いにしても 何より絶対ということはありません。 その点、「神」を信じている場合は出来事も 予定調和で起こることが考えられ、安心感があり 場合によったらその勝負に負けたとしても 損して得とれでは無いですが、いいように 解釈することができると考えられます。 何でも明確にものごとが決まりつつある時代、 目に見えるものはもちろん必要なのですが、 目に見えないものについても考える必要が あるかもしれません。 人 々の神に対する感覚 人間は「神」を考えるとき、偶像を思い浮かべることが 多いそうです。神の人であったり、マリア像であったり そうした「神の御子」として現在でも語られている人の話に キリスト教があります。 わかりやすく理解できるにはどんな本がいいのだろうなと思っていたら マンガ聖書物語(樋口雅一著 山口昇監修 講談社発行 1998.7) というマンガがあったので、ぼやっとではありますが、 読んでみました。ちなみに旧約編と新約編があります。 えてして実力的な神の命を受けている人(イェスとか) が居る一方で、長期間その人に対する執拗な嫌がらせが 起こるのはなぜなのか、という疑問が私の中には

過去を振り返る利点と方法

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幼い頃に戻る必要のある場合がある。 人間は通常、年齢が進むにつれ 心と体が成長していきます。 しかし何らかのトラブルにより 心の成長していない、あるいは心理的な課題のある といった場合は、体は成長しても心は成長せず そのままの状態で成長が止ってしまうことがあります。 すると後々になって問題を発生させることがあります。 そうした問題を防ぐために、心の成長段階をいったん戻し その心理的な課題をやり直します。これが「退行」です。 goo辞書には 心理学で、困難な状況に遭遇したとき、精神発達上より未熟で幼稚な段階の行動を示すこと。 と書かれています。 就職活動・キャリアチェンジで生かせる。 私は就職試験を受けたり転職活動をする際には いつも自己分析を行っています。 過去の自分を振り返り、自分がどのようなことができ、 またどのようなことが好きなのかを退行に近い感じで振り返ります。 今の歩み歩まされを一度立ち止まり、 これまでの生活を考え直してみることも 長い人生を歩んで成長するうえでは必要だと思います。 思い立ったときに人生を振り返ってみることで 新たな発見ができるかもしれません。 ただし、 虐待をされた経験のある場合や 振り返っていて気分が悪くなった場合には 対応を専門家に任せる必要があります。 気持ちを味わう方法 一例として 自分がこれまでしてもらったこと 自分がしたことを書き出すことで 自分の行動や気持ちなどを認識することができます。 たとえば小さい時は怒りに震えたことであっても 年月の経過に伴い自分の価値観が変化することがあります。 すると新たな捕らえ方ができ、新たな解釈をもてます。 そういった若い頃の感情、小さい頃のことを改めて感じ そして思いなおすことは必要だなと思った本が読んでいてありました。 「平凡なんてありえない(原田宗典著 PHP研究所 1996.7)です。 年月が経ち、あなたが過去の経験を改めて考えると違う感想を持つことは あなたが日々異なる人との接しあう中、社会の中でもまれることによって 自分が変わってくる/変わらざるをえない背景があるのだと考えています。

状況を味わう

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なくなってわかる重要性があります 。 「いつまでもあると思うな親と金」という言葉があります。 これはこれまであったものが無くなって 初めてわかる重要さを示したものです。 人間は「なく」なってはじめてわかることがあります。 例えばなくなったときに気づく会社の信用があります。 確定申告してわかる年末調整の楽さ。 安定して得られる給料の捻出のしにくさ。 ...などがそうです。 常に与えられていることが常ですと 与えられない場合は想像しにくいものです。 失った瞬間は絶望 そうしたもうどうしようもないことを感じること、 これまであったことを失うことを「絶望」と言います。 絶望wikipediaより 社会的地位 の喪失、 信頼 すべき相手( 家族 や 親友 など)の喪失・ 裏切り 又は 自殺 などに遭遇し、 未来 への希望を失ったとき、人は絶望に陥る。 戦争 などの極限状態では絶望が起こりやすい。平時でも、 強姦 や 児童虐待 、 リストラ や いじめ など辛い経験に遭遇し、絶望することがある。 又、幼少期の 児童虐待 や 育児放棄 等によって、成人期に精神疾患 境界性パーソナリティ障害 により絶望が増強することがある。(ひどいケースでは 解離性同一性障害 を発症する、治療は極めて困難を極める) これを感じるともう終わりだと考えがちですが 一方でこれを感じることで次の一歩が歩みだせる可能性がありす。 後ろ向きになりえる状況から前向きな別の感情が生むことが出来るのです。 雨がずっと降り続けることは無いのです。 ですから雨が降ってきた場合には 傘を持ってくることの重要性であったり 雨が降ってる状況で泳ぐこともも手かもしれません。 そのように雨を雨として感じることで 次の晴れに向かう様を感じえるのだと思います。

年齢増加に嘆かず今を生きる。

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年齢増加に対する考え方の変わりよう 小さいころは大人という存在に憧れていて 年齢が増えることを喜んだ方もいらっしゃいます。 しかしある程度の年齢になると、 自分の年齢が増えることを老いと考え、 喜ばなくなる、むしろ嘆く傾向にあります。 場合によっては アンチエイジング など、 無駄な足掻きをしている人さえいます。  アンチエイジング⇒ 抗老化 ( こうろうか ) こうした老化に対する考えに対し 私は「嘆いてどうする」と思っています。 また嘆く暇があるのだったら もっと他にできることがあるであろう、とも思っています。 そうした考えの出来るわけ ではなぜこのような「嘆く」考えが出来るかと考えますと ひとつに、特に女性の場合はそうですが、 子供を生み、育てられる期間にある程度制限があるため これまで出来たことができなくなった、といった 「喪失感を体験」をしている からなのではないかと考えています。 あるいは誰かに自分の苦境を聴いてもらいたい、 「共感してもらいたい」気持ちもある のではないかと考えています。 しかしこうしたことをいくら嘆いたところで 時間ばかりは進めたり戻すことはできません。 イソップ童話の「酸っぱい葡萄」よろしく 自分ではどうしようも出来もしないことや現実に目をそらし それに文句を言い続けることはもったいない と思います。 そこでどんな行動を起こすか。 そこで 現状を現状として認め、 そのいいところを認めて伸ばす ことが望まれます。 年齢に関して言うならば 私は老いることも一つの”進化の形”だと思っていますし 進化の過程で出来ることは変わってきます。 若者には若者なりの、老人には老人なりの出来ることがあるのです。 そうした 今しか出来ないことを見つけて全力で立ち向かう ことが大事です。 時間は常に経過しています。戻すことは出来ません。 また、今日と同じことが明日もおきません。一日一日は違うのです。 ですから、 過ぎ行く一日一日の違いを常に感じ、 それに対応した行動を模索していくのがよいのかも しれません。

不思議な良い面を引き寄せる方法

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不思議なことで世の中が回ることはある。 世の中には不思議なことや不思議な出会いがあるものです。 不思議なこと、即ち自分ではなししえないことだとしても それはもともと自分の考えられたものである 可能性があります。 これは考えているとが現実になることです。 日本では古くから「念」が信じられていて、 「お百度参り」などがされてきたことがありました。 現在でも良い意味でも悪い意味でも 念の利用されていることがあります。 私が感じた直感劇 最近、原付が壊れる一歩手前な状況なことに気が付きまして、 何か不吉な予感がしたこともあってやむなく手放したところ ちょうど自賠責保険が切れていたことがわかりました。 それ以上乗っていたらブレーキが使えなくなり 原付そのものが動かなくなるであろうことがわかり、 二重の意味で助かった経験があります。 こうした 不吉な予感などは直感ということが出来 、 これを持つこと、活かすことは大事です。 直感を持つには そうした 直感を持つには行動を続けることが大切 です。 普段の行動を続けることで次への行動への道が確立されます。 例えば恋人作りでも、恋人が欲しいと思うと相手は余計に遠ざかり 逆に仕事などそのとき出来る一瞬を一生懸命頑張っていたりすることで 思わず出来ることがあります。とらわれないこととも言えます。 さらにカウンセリングでは、相手の考え方が堂々巡りをする場合があります。 そのような場合には、 一歩引いて先を見ることで考える方向性を変え ます。 すると「良い」考え方になり、変容を期待できることできます。 つまりは今出来る 行 動を続けることはもちろん、 一歩引いて 先を見ることから考える方向性を見定める ことが直感を養うには重要なのだと思います。 そういった思うこと、かなうことや、直感を信じる大切さ を説いた本が実はありました。 「大丈夫!うまくいくから(浅見帆帆子著 幻冬舎発行 2003.8」です。

付き合う他人を変えて感情を変える

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人間は人間である以上、感情を持ちえます。 この気持ちの出力割合を間違えると、 「空気が読めない」と呼ばれ他人から疎まれます。 そうした気持ちの悪い状態であるときには どのような原因が考えられるのでしょうか。 またそれを気持ちの良い状態に改善するには どのような行動をすればよいのでしょうか。 ここでは付き合う他人について考え その対策を書きます。 人はいろいろな感情を持ちうる 社会には敏感な方が居る一方で鈍感な方も居ます。 敏感な方も、鈍感な方もその程度が激しいほど 人数としての割合は減って行きます。 こうした人の感情は 知らず知らずに拡大も縮小をされ 病気でない状態ならば通常 喜ばしいことはより喜ばしく、 悲しいことは程度は小さくなります。 そしてこうした 感情の起伏には、 「現在付き合っている他人」 の影響していることがあります。 人は知らず知らずのうちに影響を受けている 例えば相手が強い物言いをされている場合で、 かつ自分に不安のある人は、批判された場合には その批判された”こと”についてショックを受け、落ち込みます。 すると、感情を出したほうが良い場面でも 感情を出さなくなることがあります。 あるいは本来ならば感情を出さなくてもいいような場面でも 変な風に気持ちを出してしまうこともあります。 こうした 場面に適していない感情を出すことは はあまり良い状態とは言えません。 そこで別の他人からの逆補正の影響を受ける そこでこうした良い状態でない感情を出す場面において 対策を考える必要があります。 その対策はひとつに これまで付き合ってきた人とは異なる他人と 接することで自分の感情の補正を図る ことがあります。 本来人間には楽しいことをより楽しく、 悲しいことはより小さく、することが出来るのです。 それを他人との関係を通して補正することが出来る 人と人との関係はアンプ的な役割もある と考えています。 このように付き合う他人を変えると 素直に且つ正直な感情を持つことができます。 すると良い生活が出来る可能性を持つことが出来るのだと思います。

焦りの原因がわかる場合とわわからない場合と

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問題発生時の対処 期限が決まっている仕事の場合や やりたいことがあるが今の状態で間にあわなそうな場合 人は焦ります。 焦ってしまうと周りを見渡すことが出来ません。 すると考え方がむちゃくちゃとなったり、 あるいは普段では起こりえない部分でミスが生じたりします。 それを防ぐためには 相手に”プロセス”を伝える方法があります。 なぜこれがよいかというと、プロセスを示すことで 自分も相手も今の状況を理解することが出来、 次の行動への対処がしやすくなるからです。 プロセスを示さずミスが発生すると 相手にも迷惑をかけ、自分の気持ちにも焦利が生じ、 結果として作業効率が大きく低下します。 また問題の解くことをあきらめる方法もあり この方法は安易に選択できますが、これをすると 後々の相手からの信頼関係は崩れます。 ですから断るのなら仕事を請け負う前に 十分考える必要があります。 力量以上な課題を請け負った場合は 状況を説明し事前に断る勇気を持つことが重要です。   焦りの原因は自分自身の問題の場合もあり 上記のように明らかな相手が居て 明確な問題からの焦りがあある場合は相手と折衝をしたらよいです。 しかしそれとは異なって問題が自分の中にある場合から 焦りの発生している場合があります。 このような場合は、自分を振り返る必要があります。 その際には絶望を経験する必要があります。 自分と現実とを比較し、真実から戦う、あるいは逃げる選択をします。 それを以下を読んで考えました。 「絶望がやがて癒されるまで(町沢静夫著 PHP研究所発行 1998.1)」 です。 ボ ーダーライン ボーダーラインは精神病か、人格的なものなのかの 意味で「ボーダー」と呼ばれ、対処が一番難しいもの といわれていますが、この症状を持つ方々に対しても、 やはり認める「愛」から成長を促せられるのです。 精神疾患は特に、というか人間社会全体にいえること だとは思うのですが、やはり人は支えられてこその人なので ニーチェにとってのザロメのような存在に私自身が なれたらと思っているわけです。。。

交渉に必要な建前ごと

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「お 茶漬けいかがです~」 「京のぶぶ漬け」 と言う言葉があります。 これはお茶屋さんが客を 帰らさせるために出来た言葉 です。 相手に「そこまでしてくれるのは申し訳ない」と遠慮をさせて帰させます。 これはお客さんに「結構」と言わ”せる”文化で押し付けがましい と思います。 「お前がこっちの文化に従え」、といわれている傲慢ささえ見えます。 このような文化は 相手は自分の文化を理解してくれるだろうといった甘えから来ています。 いろいろな文化が混在する状況ならば、こんなやり取りは通用しません。 建 前と交渉 このような言葉遊びは仲間内で通してこそだと私は思います。 他文化との協調をする可能性がある場合、 自文化をかたくなに固執するのは幼稚です。 外交問題をはじめ、交渉でも同じようなことがあります。 例えば質問者が「YesかNoか?」ときいたときに、「善処します」と言った場合 そのとき質問者はYesと思いますが、後で応えた側が「Yesとはいっていない」などといっていたとしたらそれこそ交渉が意味の無いものとなります。 建 前を言った人の気持ちと損得 そうした意味不明な対応をした場合、対応した側は 「文化や面子を守った」と思われているかもしれませんが くだらない建前や面子のおかげで、 莫大な損失を招いているケースは 枚挙に暇がありません。 相手にとって利害が無いならば 多少の脚色や 事実の拡大解釈・過小評価はしてもかまわないと思いますが、 嘘を言って面子を守るのも考えものです。 ですから、 建前を出すにしても全面的に採用せず 基本的には素直な部分を見せ、場合によっては 部分部分で建前を適度に使う必要がある と思います。 それを以下を読んで考えました。 「頭のよい子は「ことば」で育つ(外山滋比古著 PHP研究所 2008.2)」です。 タイトルが少し本の内容とはずれています。 ですが人間の成長過程について良いことは書いてます。 本 を読みながら私が感じたこと 普段あまり電車に乗らない(乗ってもローカルな京都市電とか)ので 気が付くことは少ないのですが、東京などへ行った際、ホームに居ると JRのアナウンスが爆音で鳴っていることに

表現をするには形式と気持ちのバランスが大切

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形式や気持ちだけでも伝わらない表現 日本に来て日の浅い外国人留学生の方と話す場合、 日本語が伝わらないことがあります。 これは普段使っている言葉と、文法的な公言葉とが 異なることが原因として考えられます。 気持ちがあっても型がしっかりしていないと伝わりませんし 逆に型がしっかりしていてるだでも伝わりません。 ですから型と気持ちのバランスを持つことが必要になると思われます。 書き言葉の代表として論文がある その骨格 そうした気持ちと形式とのバランスを持つことが大事だと考えた場合 表現方法の中でも書き言葉として代表的なものに「論文」があります。 これには「型」という人間でいうところの骨格があり、 それに表現方法などの肉付けがされて成り立っています。 なお通常は 「概要、背景、目的、実験方法、  結果と考察、結論、参考文献」 という構成で成り立っています。 概要では読者に興味深く読んでいただけるような文章を書きます。 背景では自分の立ち位置を確認します。 目的ではなぜその実験をし論文を書くのかを書きます。 結果からどう考えられるのかを書きます。 結論では最終的にはどう落とすかを書きます。 書き言葉の骨格の上につける肉 論文はこうした基本の骨格を持って 次に例えば以下のような技術を持って肉付けをします。 ・ 起承転結を意識する ・ 共感できる文章を書く (エッセイの場合) 認めてもらうことも必要 こうした手順を踏むことで わかりやすい文章を書くことが出来ます。 しかしいずれにしても文章を書く形にこだわりすぎずに 場合によっては相手に自分の気持ちをわかってもらうこと、 認めてもらえることが重要になる気がします。 それを以下を読んで考えました。 「自己表現の技術(稲垣吉彦著 PHP研究所発行 1985.1)」です。

実は人間助け合って生きてる

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改 めて考える 難しいですが普段生きている生活を改めて意識してみる、 見開いて生活している目をそっと細めてみると なるほど助け合っている部分のあることがあります。 食事中の方が居たら失礼な話になるのかもしれませんが トイレだって今でこそ水洗が多いですけど数十年前まで多くの家は汲み取り式でしたよね。 もちろん今でも汲み取り式のトイレなおうちもあるとは思うのですが 排泄物をも誰かが処理していることを意識する意味では”あり”でした。 また食事に関して言えば、 一度田んぼや畑で農作物を作る体験をされたらわかりますけども、 なかなかどうしてスーパーに並ぶような形のいい野菜はできません。 それは農家をされている人が努力をして提供をされているのだと思います。 ↑ごみも誰かが片付けてくれているのです。 便利になってきた都会にすむ我々はそのようなことを意識する機会があるでしょうか。 ごみを捨ててもらって当然、生きてて(本当は生かせてもらっているのだけれど) 当然というおごりがあったりしないでしょうか。 提 供する側としても 物を作る側、特にBtoB(企業間取引 ビジネス to ビジネス) で仕事をしている場合では、お客さんが見えないため、なかなか 何のために仕事をしているのかわからなくなることがあります。 「このものって何のためにつくっているの?」 と疑問を持つことがありますが、私はこれはチャンスだと思っています。 なぜなら実際自分の作っているものがどうなってゆくかがわかると 仕事としての意欲がわきますし、仕事の深みも増すと思うからです。 意欲がわくことに関して私事ですが、化粧品の粉の表面処理をしていた会社でも その先に、ファンデーションとなってお客さんに提供できることがわかれば、時に 「おお~、俺ってそんなに役立ってるのか~」 などと、やる気になる部分がでてきました。 また、お客さんのニーズに応える意味でもそれを知ることは重要です。 ものを開発していると時折、コスト削減をするために どの機能を減らすか(もしくは捨てるか、など)を考えます。 そこで、お客さんが求めていることがわかると 維持するポイント、削減するポイントがわかるのです。 そのような意味では見え

心は簡単に表現できない。

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難解な文章を書くのは実は簡単です。 それに比べて、誰にでもわかりやすく 物事を表現することは難しいです。 そこでここでは文だけでなく、人の心も 簡単に表現するのは難しいことを書きました。 簡単に表現するのは 難しい 聖書やコーラン、仏教の本などは 難しいことを簡単に書こうとしている本です。 これは長い年月をかけて、取捨選択をした後に 洗練された書物です。ですからわかりやすいのです。 それに比べてわれわれが表現する場合 どのようなことでも   簡単に表現するというのは非常に難しい といえます。 どうしても生まれ育った環境であるとか 教養の多さ、共通語としての言葉の認識が違うことがあるためです。 より多くの人にわかってもらえるような文章を書くには 誰の水準に合わせればよいのかわからなくなります。 日本語も実は難しいもの 日本語もそうですが、 これを学ぶ機会は少ない気がします。 言いたいことや書きたいことを思いのたけ、 表現できたら気持ちはよいでしょう。 私は大学在学時、研究室の先生によって 私の使っている言葉が実は言葉ではない 受け取られ方に違いがある、ということを習いました。 気持ちの受け取られ方の違い こうした受け取られ方の違いは心の問題でもあると考えています。 つまり私が表現していても、それが相手の心に合致しているのか あるいは間違って響いているのか考えることがあります。 しかしそれはある意味でしょうがない部分があると思っています。 なぜなら人は人それぞれで違う生き物だからです。 そういった意味では、心理学を専攻している人などが書かれている文章で 気持ちを端的に書いてあるのを読むと、やっぱり凄いなと思う部分があります。 その中の一冊がこれ 「そのままのあなたが、とっても♥すき(上原愛加著 学習研究社発行 2009.5)」です。

絶妙なタイミングでほめるのが良い。

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人は100%死にます。誰しもしには逆らえません。 ですからそうした限られた人生を生きるにあたり 有意義に過ごすにはどうしたらよいのでしょうか。 ここではその方法を書きます。 限られた人生を楽しく生きる 人間誰しも人生は限られています。 500年以内に死ぬ確立は100%です。 そうした限られた人生において、どうせ生きるのならば つまらない状況より、楽しい状況にしたいです。 そこで楽しい状況にするには 「褒めること」や「褒められること」が 大事なのではないかと思います。 ほめられる場合とほめられない場合の特徴 ほめられる場合とほめられない場合とでは 具体的にどのように違うのでしょうか。 以下に違いを示します。 ほめられると ほめられると「認めてもらった」という欲求が満たされます。 すると良い気分になり、生き生きしてゆきます。 ほめる側も、ほめられる側も皆Happyになります。 生き生きすることで人生の余裕(遊び)が見え そうした余裕が楽しさを生み、次の行動へのネルギー充填ができます。 気分的に落ち着く部分もあるでしょうし、 自分を今一度考える余裕もで出てくると考えています。  ほめられないと 一方、ほめられないと場合によっては恐怖や無関心となります。 自己満足もしませんし、だんだんやる気がなくなっていきます。 ほめる側の行動として 相手を行動を起こさせる目的として 敢えて「ほめない」選択をする場合があります。 こうした意図があらかじめあるのならば それを実践するのはよいことだと思います。 しかし何も考えず無闇やたらに手を否定したり 恐怖を覚えさせたりするのはあまりよろしく無いと思います。 なぜならこのようなことをした場合、忠誠心が低くなり 接そうとする気がなくなるからです。 また無闇にほめる過ぎるのも相手に 「ほめた」刺激がなくなり慣れてしまいます。 ですから適度に「ほめ」を利用することで 相手を動かすことが出来る可能性があります。 資 料 そういった意味で褒める、褒められることについて 非常にわかりやすくかかれた本がありました。 「「褒め上手」には福きたる(坂崎重盛著 PHP研究所発行 2000.5)」 です。

幸せイメージの上書き/他者から離れる

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不幸であると考えている方がいます。 そのような方はいつまで絶っても、心が満たされない状況です。 その背景には心の奥底に眠った理想的な幸せをいつまでももっています。 だからそのような方は新たな、本当の幸せを知ることは重要になるかもしれない。 そのためひとつに幸せのイメージを上書きする方法があります。それを紹介します。 着倒れ 京都は一見さんお断り文化で商売をすることがあります。 ですから京都ではコネがない限り、多くの金を持つ人を受け入れない場合があります。 ですが稼ごうと思った場合、コネ無しでお金の持つ人を受け入れないことは損になります。 これは京都の県民性つまりは着倒れ「体裁」を気にする文化が原因なのかも知れません。 本来愛されるべき自分の特性や能力にたいして常に批判的な目を持ち、合わせます。 自分を出せずに大人になったことが発展していった形なのかもしれません。 そうだとしたら、多くの方の心のどこかで「あなたは存在してはならない」という 間違った認識を持ち続けている可能性があります。 防ぐために自分のイメージを書き換える そういった間違った認識を持った人たちに対し、間違っていることを 気づいてもらい、愉しんでも良い、喜んでも良いという 「幸せイメージを上書き保存」し 自分のしたいようにしてもいい という気持ちを持つと心も良くなります。 何とかそのような方の気持ちを捨てて楽になり 楽しい人生を歩んでもらいたいと思っています。 そして自分が変わると接する人も変わってきます。 他者のイメージは書き換えられないので そうした場合はグループを離れる なお、他者のイメージはなかなか書き換えられないため 抜けるに抜けられない場合はぬけることも有効です。 若い女の子グループや主婦の会合では 同じ場所に居るときは傷つけずに話しますが 誰かがその輪から抜けると抜けた人の批判が始まります。 素直に喜べないし、喜べない部分がるのだろうなと感じます。 こうした負の循環なぐループから抜けることも必要と思います。 過去の「悪い」関係から新しい「良い」関係に作り出すことを考えられれば 積極的に動くことが出来るかもしれません。 以下を読んで考えました。 加藤諦三 「やさしさ」と「冷たさ」の

気持ちを書き出して良い面を見る。

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出来事の良い面を読むことのススメ 日々生活しているとさまざまな出来事に遭遇します。 出来事によっては凄く気が落ち込むこともあるでしょう。 落ち込まないように考えることは重要です。 ではそうした場合、どう考えたらよいののでしょうか。 ひとつに、出来事を良い方向に考えることについて述べます。 良い面を見ると 世には多くの理不尽があり、理不尽から落ち込みますが 落ち込んでいる気持ちを別方向から見るといいことである場合があります。 都合の良いように考えて良いと思います。 自分が問題と感じた場合を自で「良く」なっていこうという「気力」を持ちます。 気力を感じて困難があってもめげません。 良い面を見る具体的方法 書く 具体的には理不尽から感じている自分の気持ちを書き出します。 そしてそれを読み返します。悪い面を出来るだけいい面にです。 すると、これまで恨みや嫉妬で苦しんでいた自分への見方が変わります。 気持ちを転換し、早く転換できたらすばらしいと思います。 以下読んで考えました。  佐藤綾子 すべてを変える勇気を持とう PHP研究所 2002.5です。

集団を使って効果的に行動を促す

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集団の効果 人間関係がままならないとした場合 たいていコミュニケーションが出来ないといわれています。 これは発言したいといった気持ちを育てていないことはもちろん 環境不整備なこともあります。心が充足された場合でも 環境調整をするとますます育ちやすくなることを考えると 周りの環境を整えることのうち、集団の必要性について書きます。 ここの環境調整にはカウンセリング技術もありますが それ以上に話し方や、雰囲気、空気も大きな要因になると考えます。 集団というもののメリット そがが複合的に関係する場として、一気に多くの人の行動を促す場合 エンカウンターグループをはじめとした「集団」が有効です。 集団作成には信頼関係をもとにした一人一人の協力が必要です。 不完全同士の人間が集まった前に進めようとする力は大きいです。 集団というもののデメリット ただし集団の力は大きすぎる場合もあり、勢い付いたら良くも悪くもなりやすいです。 悪くなった場合には皆の負担になりかねません。そのため良い人選が必要です。 また個々の考えをほりさげるのにはあまり適しません。 まとめ 行動に向け働きかける場合はそのメリットデメリットを十分吟味し 集団もひとつの環境調整因子として利用することも大事だと思います。 それを以下を読んで考えました。 鎌田浩毅 京大理系教授の伝える技術 php研究所 2013.7 です。

両面性を読みながら千里の道も一歩から

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継続力とプラス発想 その場その場でぱっと出で成功する人がいます。極まれです 多くの方が継続力を磨くことで成功しますが、それは重要です。 継続し続けないと何にも起きないし変わりませんがし続けると力になります。 そういった意味でし続けることは重要です。 またものごとはひとつの真実でもいい面と悪い面があります。 常に悪い面を見てしまうと悪循環に陥り、病気になります。 病気にならずに元気になることは重要です。 そこで両面性のあり、知ることの大事なことを述べます。 前者は継続力が繰り返し循環すること 後者は循環の符号をプラスとマイナスでり返す意味で重要と思われます。 そのために プラス面を得て継続するためには アンテナを張り、感覚の得られる準備する。 素直に感じ前向きな選択をする 。 その結果自省し他者を認める。 ことにより、 徐々に遠く、幸せを見られる と思います。 それを以下を読んで考えました。 美堀真利 心の本 ワニブックス発行 1995.6です。

絶望からの自己認識、絶望からの一歩

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自己認識が無く妄想で話し続けると 地に足の着かない理想的な話を出します。 これは現実問題に対処できず、意味がありません。 そこで意味のある対処法を考える必要があります。 そのような場合、絶望からの限界を知ることが大事です。 自分ひとりの力量を知り、他人に頼むようにする必要がある。 今回は絶望から限界、絶望からの一歩について述べます。 全体をつかむ 全体の流れを読むことは現在の立ち居地の確認 組織や自分が成長し続ける意味で重要です。 これは研究時に他者の論文を読んでいまの自分の研究が 世界のどの位置に居るのかを知るときにも用います。 研究開発でも本でも 世の中の研究を調べると、 自分の発明だと思っていたことが先人が結果をだしていたり あらかじめ予想し得たことだったりすることがあります。 私は最近、本や他の人のblogを読んでいると 皆さんなんてできた発言をされる方々なんだと 自分の無力さを知り落ち込みます。 そういった他者を知り自分が無知なことを知ることを ことを俗に「無知の知」といいます。絶望です。 絶望からの自己認識 こうした できると思ったことができなかった 正しいと思っていたことが間違っていた といった自分の無力さを知ることでショックは受けますが 同時に自分の力量はどの程度か分かります。 お酒でも最初は限界を知る意味で飲まされ続けることがあります。 字bんの限界を知り絶望からの先、一歩を歩むjことができます。 上記の例ならば、他者を知ったから自分のオリジナリティを出しえたいと思います。 それを以下を読んで考えました。 小倉広 自分でやった方が早い病 星海社 2012.5です。

振りの見極め・対応の諦め

言葉と心は裏腹なことがある 漫才の振りがあります。 面白おかしくする突っ込みです。思っていることとやっていることが違います これは人との会話の中でも存在しています。これを使うと心のゆがむことがあります。 心のゆがみは、直すことで気持ちよく生活することが出来ます。 ではそのためにはどしたらよいのでしょう。その方法と重要性を書きます。 振りと気持ち A「この気持ち、どう思う?」 B「別に・・・」 別に、と相手の話をさえぎってしまう方が居ます。 聴くほうは、相手の反応が見えないので正直不安です。 最近はこのような別に、という受け答えをする方が増えています。 大人でもこういう 受け答えをする方が居ます。 私はこの「別に」の言葉は漫才で言う「振り」だと思うのです。 ですから文字どおり受け取ってしまうのは危険だと思っています。 「別に」というてる人の気持ちは無関心のように見えますが 本当は大きな関心や気持ちがあると思います。 相手が嫌い、体力的にしんどい、など原因はいろいろありますが 何も考えていないわけではないでしょう。 本当にわからないのであれば「別に」以外の言葉を選びます。 ということは何らかの拒否反応であると考えられます。 ですから別に、といわれたほうは拒否的な何かがあるのかな と考える必要があります。 聴いているほうはどうか 一方、別に、といわれて怒る場合、それは心に問題があります。 怒るという事はどこかに心がゆがんでいるからです。 それを防ぐには。諦めることが重要です。 相手の気持ちが変わる可能性を 期待せずに「持つ」ことは大事です。

一番を持つ必要性・方法

競争社会では順位わけがなされます。必要です。 必要な順位ですが全ての分野で一番になる必要はありません。 一つで良いので、他社より優れている何かを見つけたいです。 そのためにはどうするか、他者との「違い」を「認識」することの 重要性と方法をここでは書きます。 一番が無い問題 競争社会です。そんな社会で生きるには 自分の一番が必要になります。 これががないと、あっちにふらふら、こっちにふらふらで 常に日和見な考え方で行動してしまいます。 一番を見つける策 それは自分ひとりではわかりません。 話をしたり他者から聴くのもひとつです。 聴き、話して、「人らしさ」「癖」を見つけます。違いを知ることです。 すると、自分の一番が見えてくるかもしれません。 一番を見つけると 自分の一番が見つけられると周りは「あいつは変人だ」「おかしい」 とあなたを突き刺すことがあると思います。 私はそれはそれでいいのと思っています。 文句のいう人のいる一方、誰かしらは 「それがいいところだね!」と思ってくれる人が居ると思うからです。 ですから 自信、勇気を持って一番を探すこと、動き出すことは 楽しい人生を送るうえであり!だと思います。

頭ごなしに否定せず、賞賛をやたら求めない

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悪印象が身を滅ぼす 真実は真実で事実とは違います。 真実だからといって何が何でも主張する方がいます。 科学の世界であれば正確さを求めるため良いかもしれませんが 人間関係を構築する上では、悪い印象をもたれます。 人と人との関係を円滑に運ぶためにはいい関係を持つことは重要で、 そのためには良い印象を持ってもらうことが重要です。 そこでここではどのようなことに気をつければよいかを述べます。 頑なな人の心は満たされていない 「いや、いや・・・」と相手を頭ごなしに否定する方がいます。 これは関係を作る場合、否定された嫌な印象を持たれます。 また同様に必要以上に賞賛を望んだり敬ってもらいたいと考える人も居ます。 このような頭ごなしに否定する方、賞賛や敬意を無闇に求める方は どこか満たされない気持ちがあるのかもしれません。 そのため相手は気持ちを満たすために動かねばならず嫌な気持ちになります。 相手のことを思いやる また「わからない」という気持ちを投げかけている相手に対し 無闇に自分の価値観を押し付ける方がいます。それはいいことでしょうか。 そのような対応をみると、価値観を押しつけている方は 気持ちが無いのではないかと思うことがあります。 私は人間同士がかかわりある以上自分を認め、 相手を認めて思いやることが必要な気がします。 人の振り見て我が振りなおせ ですから相手との関係を構築する場合には相手をいったん受け入れて、 気持ちを共有することが大事であろうと私は考えます。 頑なに相手の存在を否定したり、思いやりの無いような人は居ますが それも反面教師として学ぶことができると思います。 それを以下を読んで考えました。 鷲田 小彌太 「やりたいこと」がわからない人たちへ PHP研究所 2001.5

言葉や文化が伝わること。

他国 文化や会話 会社が海外で興されることがあります。 そうした場合、海外での現地の言葉や文化が分からないのは問題です。 そこで、それぞれの文化を知り、取り込むにはどうしたらよいのでしょうか ひとつに、会話をすることがありますが、それについて感じたことがありました。 最近外国とりわけアメリカ系、ヨーロッパ系の キリスト教文化、生活スタイルや、規律、考え方を学ぼうとしてます。 全ては学ぶことはできないにしろ、近く文化を学ぶには どうしたらよいかと考えたところ、友達を作って教えてもらうのが得策と考えました。 そこでいま住んでいる観光名所の京都で外国人の友達を作ろうと考えたのです。 実際話そうと思っても、話が通じません。 友達になる以前の問題です。私が単語を確認しながら話をしています。 結果、相手の話を聴いて大体理解することは出来ても、 相手が理解できるような話をするのは難しいということがわかりました。 実 際話をしてみて 単語を忘れているのはもちろん言葉にする際 日本語(考える)→英語(考える)→英語(話す) と話すことがわかりました。よって発語も遅く、内容もむちゃくちゃでした。 日 本人同士の会話に置き換えてみる このことから、実はわれわれ日本人間でおなじような言葉の取り違えや 伝わっていないこともあると思います。 基本的なベースは日本語ですが 身振り手振りを加えながら表現していることが、人と人の間 例え同じ言葉を発してる人間でもあると感じたのです。 言わなくてもわかるでしょ?という言葉もそうですが 伝わっているようで相手には伝わっていない可能性があること。 それを改めて思い知りました。いい経験をしました。

物語性を持って表現する。

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よ くきく昔話 会社や組織でトラブルが発生する場合、なぜ分からないのだと思うことがあります。 そのような場合、解釈の違いが原因していることが多いです。 ではその解釈の違いを出来る限り少なくするにはどうしらよいのでしょうか ここでは其の方法や考え方について述べたいと思います。 知 られる昔話と教訓 日本で伝えられている昔話では 桃太郎、 猿蟹合戦 ジャックと豆の木・・・ などがあります。これは物語と楽しむと同時に 裏にある”教訓”を学ぶことが可能です。 ひとつの話から二つ以上の解釈をもたらすことの出来る意味で 人の心を複眼で見るために役立たせることが出来ます。 昔 話とことわざ また、昔話の中にある教訓の多くはことわざや四字熟語で要約きます。 絵本は近くの図書館でも置いています。改めて読むと大人も楽しめます。 また、日常の生活でも体験したことの主要素を抽出し それをつなげることで物語りといて相手に説明できます。 すると、相手への誤解も少なく解釈してもらえます。 人 間は物語性を好む そういった意味で人から人へ言葉や感情、教訓を伝達するときも 物語を交えて伝えるとイメージを使って記憶しやすいと考えます。 以下を読んで考えました。 植西 聡 ヘタな人生論よりイソップ物語 河出書房 2007.10です。

組織内の役割と方向性

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  組織で働く場合、立場によって役割は違い方向性も異なります。  ここではそのことを書きました。   組織内にいる人の思い  組織で働く場合、サラリーマンとしてと経営者としての役割があります。それらは根本的な考え方が違う部分があります。  具体的に経営者は労働者を働き手として使う?というより育てていかねばなりません。そしてお客さんの信用を得、最終的に利益を得ます。  一方サラリーマンとしては「労働力を提供できればいい。」であったり、「さしあたり生きるためには金が必要だ」と考えられるケースがあるのだと思います。  勿論サラリーマンでありながら経営者的な考え方を持たれる方もいます。逆に経営者でありながら従業員のような考えをされる方もいます。 結果を見誤らないことは大事  どちらの立場にしても目先の仕事に対する成果、即ち本来は結果であるはずの「お金の得ること」を目的とした場合、行動の深みや洞察力は増さないと思います。  そして一時的な利益は得られるかもしれませんが、継続していくことを考える場合、事業は続かなくなる気がします。  そうした場合に「太く短く生きるんや!」といわれる気ならばそれでも構わないかも知れませんが、「細く長く生きる」ことのほうが結果的にお客さんの信用は得られやすいのかなと、思う部分もあります。生き方の問題なので否定は出来ません。 従業員と経営者で向く方向  サラリーマンと経営者とで考え方が合致してたり、同じ方向を向いている場合ならばサラリーマン、経営者双方ともに行動のうえで多少のミスがあったとしても不満も出ず、まま出たとしても言い合って方向を修正しながら行動していくことで充実した日々を送れるのかもしれません。  小さい組織ならなおさらですが組織が大きくなると、人と人との間に介在する人が多くなってゆきますから、ある程度の規律の質を確保するため”決まり”が必要になります。これが実は結構曲者で、伝言ゲームのように、トップの言ったことが正確には従業員に伝わらなくなると思っています。 向く方向が違うと  方向性が違ったりお互いの解釈が及ばない場合、お互いに不満が残る可能性があるのだと思います。  不満が残るくらいなら諦めることで構わないのかもしれませんが、経営者は決まりを作ったことで役割を果た

組織内外での葛藤と生き方

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多 くの人は 学校を卒業する人の多くは社会人になります。 日本では15歳以上の6割が、労働者として働かれているようです。 (リクルートワークス  雇用の現状 より) な くならない能 力差 最近の学校では競争でも順位をつけることが ないそうですが、実社会ではあります。 ただ厳密に言うと、学校でも相対評価で通知表をつけられたり 小学、中学、高校、大学の入試で順位は出されますよね。 人の能力は一般的に2:6:2の原則が働いていて 優秀者、落第者が2割、日和見で動く人が6割居ると いわれています。その6割をどう優秀者に近づけるか ということが経営者や上司、組織を扱うものとして 考えていかねばならないポイントだと思っています。 組織をよくしようと思うのであればね。 労 働者としての役割 労働者としてはいかに自分の能力を経営者に買ってもらうか であったり、いかに使われるか、がポイントとなります。 その引き換えに毎月安定して得られる給料や、ボーナス、 失業したときに給付がもらえる雇用保険であったり 病気で使える健康保険、定年後に収入の入る厚生年金などの 各種社会保険が得られます。 労働組合が強いところでしたら減給もないと思われますし 「安定」をあくまで第一にするならついつい目がいきがちな 公務員にならずとも、会社員でもそこそこ生活することは 出来ると思います。ただし、 会社がなくならなければね。 組 織の中で埋もれる芽、飛び出す芽 そんな組織で埋もれる方が多い中、業務が非常に出来る人だったり 組織におんぶで抱っこな環境に嫌気がさす人、やりたいことがある人、 そういった一部の人はいわゆる「神のお導き」を受けます。 (時々先に神のお導きの受ける方が居るそうです。) 組織を抜け出す人です。 彼らは新しい別の組織に入ったり、自分で組織を作ったりします。 一度外に出てしまう自由さ、やりたいことをつかんだ楽しさを知った場合は 二度と以前のような気持ちで組織に戻ることはないのだと思います。 それがかつで経営者であった人を雇いたくない組織側としての 理由の一つでしょうね。組織内で「自由」を啓蒙されると、先にあった 日和見な6割の人はそれに流され、本来労働者をつないでおきたい組織も、 下手すると

言語を作って関係を持つ。社会を回す。

誰とも話さず考えて動かない人がいます。 人間が活動的に生きるには問題です。 ではどうすればよいのでしょうか。 ここではそのひとつの考え方を紹介します。 シェアして関係を保つ 社会はシェアし、シェアされで成り立っています。 仕事は通常、社会にモノなりサービスをシェアし その見返りで信用というお金をシェアしてもらっています。 シェアしないとシェアもれません。それは、孤独で寂しいです。 考えすぎずにまずは行動する ですから何も考えず行動することも時には必要です。 完全なものではない人間がお互いに協調して言葉で話をしながら 活動し、楽しさやはぶつかり合いが得られるのではないでしょうか。 行動のひとつ話をすること その方法のひとつとして話をすることがあります。人の話を聴くのは面倒くさく、 また他人のネガティブな気持ちを受け入れたくないと思うことがあります。 しかし世の中は多かれ少なかれ皆迷惑を掛け、掛けられて生きています。 話をすることとは 話し方やトーン、もしくは非言語的な容姿も相手に伝わっているのです。 そしてそれが非常に多きな影響を及ぼします。それらを気をつけたいです。

素直に表現し、心の押し殺しを解く

人間関係悪化のトラブルに、誤解されることがあります。 これは良好な人間系を育む上で問題です。 この問題を解決するには何が問題なのでしょうか どのような気持ちからそのような考えが出来たのでしょうか ここではその気持ちのひとつを取り上げます。 誤 解を生じさせる原因 変な反応をしています。楽しいときに楽しくなさそうだったりです。 そのような人は誤解されます。無理に自分を合わせているのかもしれません。 これは「心の押し殺し」があると思います。 見せられない人は、他人に誤解ばかりされます。 常に最初に誤解を解くことから会話を始めます。 また怒られる怖さ、見捨てられる怖さがあります。 相手に自分の人生を操作されます。 自分で考え、行動されることが難しい、と、 と思っています。 誤 解を生じさせない対策、でもほじくりだす必要もなし そこで相手がどうあれ自分のことを出してみるのです。 感情を表出してみます。楽しいときには笑い悲しいときには泣きます。 ただし無理に気持ちを知る必要はないと思います。 知っても良いこととは言い切れないですから。そのまま死んでも良いのかもしれません。

素を出して仲間の層を変える

社会ではあわせなくてはならない部分があります。 すると無理して仮面をつける場合がります。 仮面をつけるとその仮面に合った人が集まります。 ただでさえ仮面をつけるのがしんどいのに 仮面が前提だと思うとしんどく生活してしまうのではないでしょうか。 そこでここではしんどくなく、いい関係をつくる方法を述べます。 社 会では打算的な関係が多い 社会に出ると打算的な関係が増えます。損益に関わる薄い関係です。 また本来付き合うべきではないと思っているのに付き合ってしまう関係があります。 DV,恐喝仲間などです。 そういった関係はあっさり切ることが出来ます。 「自分が変わることによって」です。 よく変わると、成長を願う、認められる人が集まります。 それは自分の芯から付き合える仲間です。良いも悪いも言い合えます。 小さい頃の遊び仲間や大人になって知り合う人でもいます。 信頼し、信頼できるつながりがある関係であるならば 多少距離や、接する時間が多くなくても大丈夫です。 自 分が変わるには そのためには素の自分を出します。 素の自分を出すと素の自分に集まる層ができます。

認め、関係性が出来てから、付き合う。

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社会は人間関係で出来ています。 人間関係ではトラブルの発生しうることもあります。 そうしたトラブル発生時、もしくはトラブルの起こる前から 人間係を良好に保つことは重要です。 ではそのために何が出来るか、どうしたらよいかをここでは考えます。 良 好な関係とは 私は基本的に高めあえる関係が素晴らしいです。 相手の具体的点を認めます。人間は認められたい動物なので 認められてうれしくない人は居ません。 持ちつ持たれつな関係から。 お互いがお互いに迷惑をかけて、相手のよくなることを願います。 逆に相手を理想に縛り付けるとお互いがお互いに重荷となり、長続きしません。 付 き合うこと 「付き合う」ことは「お互いご迷惑をおか互いかけあいませんか」ということです。 ですので、価値観や関係を共有できている人に言う必要があります。 「東京大学物語」という漫画(1巻)で、 主人公がヒロインにいきなり「付き合って」といい、OKをもらうシーンがあります。 今考えるとヒロインはでかい心の持ち主なのだと思います。 以下を読んで、考えました。 中谷彰宏 僕は君のここが好き PHP研究所 1998.7

暇つぶしをしている自分に気づく

豊 かな担ってえられれたもの、失ったもの 便利になると「時間」や「暇」がたくさん出来ます。 しかし、現在それが有意義に使われているかは疑問です。 自分が有意義に生きるためには、得られた多くの時間を有効に使うことは重要です。 ではそのためにはどうすればよいのでしょうか、ここでは 有意義、満足、最良に生きるための方法を述べます。 豊かで自由な時間が増えると、選択できることが増えます。 すると余計な心配が出てきます。 また本来時間のできたことに意味を持たせ、効率的に処理することを考えます。 いずれにしても満たされない気持ちがあります。 逆に貧しいと今を追われます。「それ」しかすることがありません。 しかし没頭できます。わき目も振っていられません。 だ から 手放していくのもありです。すると身軽になります。 お金、地位、権威など。「全て手放す」選択もありです。 これまで張り詰めてた気持ちが緩やかになります。 さらに、新たな道が見出せます。

活動の前に休む

完 全社会 完全を求める社会では常に動き続けます 常に動き続けるといつしか疲れてしまいます。 それは問題です。改善してほどほどに動く必要があります。 そのほどほどに動くにはどうすればよいのでしょうか。 ここでは休む必要性、休む重要性について書きます。 体 力と精神力 休むことは体的にも心的にも重要です。 一般的に連続で72時間以上起きられいと言われます。 逆に眠られないのなら病院にいきましょう。 休 む方法 そのため自分の気の紛れることをします。 普段されないかたがお風呂に入ったり、走ったり、 ふらっと旅をしたりです。 また寝ることも有効です。 寝ると頭の中が整理されます。目を瞑っているだけで休まります。 休 んだ後は 究極は休んだ後の行動で、精力的に活動してたいです。 だから休むことを罪悪感持たず効果を満喫欲しいです。

「ある」を知る。

科学で比較的説明が付く社会です。 そうした社会では、何にでもなぜが求められます。 しかし、なぜがいるのでしょうか、 なぜ以上に必要なものがあるのではないでしょうか。 そこでここではなぜについて書きました。 なぜ の蔓延 便利な世の中です。 「いつできるのか」「どの程度の出来なのか」 ということを求められます。他より少しでもより早く より高い価値を必要とされます。 鉄道の行動時間間隔は分や秒です。 時刻表から数分遅れただけで謝ります。 謝ることに慣れると、謝るのが当然と勘違いします。 おかしな感覚です。本来は感謝する立場なのに。 日本はものづくりにおいて、大量生産化、高品質化を目指しました。 トヨタではトラブルが起こった際、5回「なぜ」を問うといいます。 内省を促されますが、それを避けるため強迫観念にとらわれないでしょうか。 強迫的に考えて行動すると、くだらないところでミスをします。 「なぜ」 と 「ある」 そうした「なぜ」「なぜ」を考えると、「生きる」ことにゆきつきます。 しかし「なぜ」の前に「ある」ことも知る必要があります。 そしt「ある」を知ると「なぜ」がより高次なものに変わるのです。

本を読んで知る。知って対応する。 

話をしていて何にも知らない場合、何も出来ません。 これでは問題です。ですから知らないを知ります。 そこでここでは知る方法のひとつとして読書について書きます。 本のどこがいいの? 1、まとめる能力がつく。  相手の主訴を確認します。  まとめるうちに長い文章や長いことばもまとめられます。 2、考え方の資料  精神保健福祉士としてプロとする以上、学び続けるとは重要です。  精神保健福祉や教育関係、会社の人間関係、 家族関係の考えも取り入れます。  もちろん自分とは違った意見から「こういう人や考えもある」と取り入れます。 3、いい気分になる  自己啓発や自分の考え方に近い本を読んでやる気が出ます。  やる気になって作業を行うと、能率も上がります。 福祉活動と宗教 自己啓発や精神保健系の本を読むと宗教的な考えを持ちます。 もともと福祉が宗教活動から来ているからかもしれません。 規律や支え、そういう考え方もあるのだとして知ることは悪くはないです。

感じ、経験を通じ、直感を磨いて問題を解決する。

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予 想の付かない未来を斬る バブル崩壊やリーマンショックなど 予想外に判断のつかないことは突然起こります。これは怖いです。 後からでは名前もつき対処も分かりますが、その判断つかない場にい合わせた場合 迅速かつ的確な判断が求められます。 そのような迅速かつ的確な判断を得るためにはどうしたらよいのでしょうか。 ここではその方法を考えます。 経 験を活かす 分からないことには、これまでの経験量が重要です。 経験を積み重ね、言葉では言い表せない直感を見出せます。 この直観は、数学で言う因数分解に当たるものと考えられ、 それがもとに社会がまわっていることが多いです。 経 験を得るために感じる 経験から導き出された自分なりの法則というのでしょうか。 その経験を見出すためには、変化を肌で感じることです。 どんな小さなことでもいい。気持ちいいなとか 素直な気持ちを感じることで、直感力を鍛えることが出来ます。 それを以下を読んで考えました。 船井幸雄 「直感力」の研究 PHP 1998.11 です。

自然に相手を受け入れる。

強 制でしか人は動かない、か。 介護現場で仕事していたときに看護師さんが言いました。 「人間なんて本来だらけるものだし強制しないとあかんねん」 私はそんなことはないと思っています。 相手に動いてもらうことは重要です。では相手に動いてもらうために 指導する側、教育する側としてなにが必要なのでしょうか。 ここではそれを述べたいと思います。 な ければならない感と教育 「指導する立場」「教える立場」の人はどこか「 完璧必須 」な気持ちがあります。 「相手に わからせなくてはならない 」と思われている部分があります。 そんなときは流れに任せればいいのです。 何 でも出来ると錯覚してる。昔は違った。 こうした完璧必須な気持ち、なければならない感は 時代も影響しているのかもしれません。 今はお金や権力があればたいがいのことはできます。 ですからなんでも出来る錯覚をもたれているのです。 しかし、人間は神ではなく不完全です。 昔の日本人は多くが農耕で生を立てていて、限界を知っていました。 農耕では自分でやることはすること以上に天候は重要です。 しかしそれは自分ひとりではどうしようもできませんでした。 ですから自然を受け入れるしかなかったのです。 現 在に生かす過去の知識 現在で過去の経験を活かす場合、「自然に流される」ことが重要です。 相手がなるようになる、といった絶望の受け入れが役立ちます。 絶望の受け入れが出来ると、相手は所詮変わらない、ダメでもともと感覚がもてます。 すると完璧にこなさなければならない言葉を発することから 最低限こなして欲しいことへの言葉を発することに変わります。

心の霧を晴らすには、知り感じることが重要です。

人間は不完全です。不完全な人間の心はもっと不完全といえます。 この不完全な心では、時折、心の霧が発生することがあります。 すると、何事にも感じなくなったり、意欲的に行動することが出来なくなります。 これは問題です。では意欲的に行動するためにはどのようなことに気をつけ 行動すればよいのでしょうか。ここではその方法を記したいと思います。 も やもやは 行動すべきか、行動すべきではないか そもそも何を自分がしたいのかわからん 行動するべきか、しなくてもよいか と感じているとに思います。 これは知らず、感動が無いことで、 人への配慮がなくなっているのかもしれません。 あすなろ白書の掛井君がそういう感じです。 解 決方法 状況を見、私の中に「ある、ない。」を知ります。 「ある、ない」から「好き」か見出します。 そして自発的に自分が行動します。 「素直な心」で自身が感じることが重要です。 また「嫌い」から「好き」が見えるかもしれません。 感 動の訓練 最初は小さな感動を探します。 最近でしたら金木犀がいいにおい!とか 夕焼けがきれいだった!とか。 小さな感動からやがて大きな感動となります。 そしてそれは他者との会話で感じえる場合もあります。 私もカウンセラーさんとの会話から感じない自分に気づきます。

思春期には悩み⇔行動し⇔考える。

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さ なぎの時期の対応は大 蝶はさなぎの期間はあります。さなぎの時期があるがゆえきれいな蝶になります。 人間もいわば思春期が大人になり代わりのさなぎの時期です。 大人になり代わりの時期は、心も身体も不安定になります。 そうした時期に正しい対応をすることは大人になってからも 社会を生きるうえで重要です。そこでここでは思春期 さなぎの時期にどのような考えで居たらよいか書きます。 い つの頃 具体的な時期は18歳、19歳くらいです。 なお、最近では実年齢の7掛けで心の年齢になるといわれています。 理由はわかりませんが、人間の成長が緩やかになっているようです。 ですから現在で言うところの25~28歳くらいの方が思春期になります。 私も27歳のときに「このままで良いのか」と考え 理系の分野を捨て福祉にいくことを決意しました。 ど う対応する 悩みから成長の可能性を有します。 既存ののルールを破ることで自分を見つけます。 また仲間を作り人生の選択をします。 選択が失敗しても「どうして?」「何が原因で」を感じることで、 なんとかやっていくんだ、という可能性を持ちます。 またそういった大人になり代わりの人を支えるには 待てる親や上司が必要で、更に言動一致をすることが重要だと思います。 以下読んで考えました。 和田秀樹 まじめすぎる君たちへ PHP 2003.1です。

緊急時のマニュアル

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マ ニュアル化時代を生きる お客さんがあっての仕事や、自分の心をさらけ出す恋愛関係、そして その人を今後作ってゆくであろう人生設計や自分の看取られ方まで、 まちを見渡すと多くのマニュアルが存在しています。 このマニュアルは平時のもので緊急時にマニュアルは役立ちません。 予想だにしない問題に直面し、マニュアルが役に立たなくなった場合は どうしたらよいのでしょうか、対応方法を考えることは重要です。 そこでここでは対応法の一例を紹介します。 緊 急時における対応 方法は主に二つあると思います。 一番簡単なのは 緊急時のマニュアルを作る ことです。 ある程度練習すれば身につきます。 また普段からマニュアルを基本の形としてさらに1手間加え 緊急時にも対応できる方法を自分なりに編み出す 方法もあります。、 やる気を持ち、どうしたらよいか行動を考え、自分が状況によって変化します。 例 えば心を分析する世界 人の心は人によって異なり、 複雑なため常に緊急時をに対応しているようなものです。 そういった人の心は一つの方法だけでなく複数の方法を混ぜ合わせ あるいは一つの技法をマニュアル以上に考えたりします(折衷派)。 私はまぜこぜの考えから組み合わせて新しいことを模索することが 好きなので、いわゆるこういった折衷派の方の考えは好きです。 以下の文献を読んで考えました。 國分康孝 人間関係がラクになる心理学 PHP研究所 1992.7です。

肌で感じて経験し歴史から学び、共有を図る

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動 いてもらうための方法を考える。 「頭でっかち」ということばが悪い意味で使われます。 これは経験に頼らず知識だけが詰め込まれているものです。 サービスでお客さんと接する場合にはこの知識だけでは 相手を動かすことの出来ない場合があります。 相手に動いてもらって行動をしてもらうことはビジネスの場では重要です。 そこで相手に動いてもらうためにはどうしたほうが良いかを考えます。 感 覚を使って勝負する場合経験が賢さ 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 ということわざがあります。賢者は歴史に学ぶようです。 一方、感覚を使って勝負する世界では常に変化している世の中で、 人の気持ちを読むといった経験をするほうが歴史を学ぶよりも 時間は早く伝わります。歴史を学ぶに検証などをせねばならないからです。 つまり感覚を勝負とする世界では、早さを賢さの基準とした場合逆となります。 経 験を磨くには肌で感じること 感覚を使って勝負し、経験をするにあたっては 私は肌で感じることは大事だと思っています。 特にサービス業や営業をされる方はこれは重要だ思われます。 内勤で一日中クーラーやエアコンの効いた部屋に居るより 実際外に出て熱さや寒さを感じ、そのときの気持ちを味わったほうが お客さんと共有体験を結ぶのに役立つ場合があるからです。 例えば、暑い寒いといった言葉ひとつをとってもそれから 相手との会話をすることが出来ます。 感 じるのと同時に歴史も学ぶ、抽出力から重要ポイントを抜き出す またそうした肌で感じた感覚を磨いた上で歴史を学び よきところを取り入れること重要なのだと思います。これを応用して、 本などから重要な部分を抜き出したりすることも可能ですし 人との会話の中でも重要なポイントを伝え返すことも効果があると思います。 それを以下の本を読んで考えました。 邑井操 なぜこの人は成功するのか PHP研究所 1996.2 です。

残念な人へは距離をとる・諦める→忘れる

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嫌 な人の対応は必ずあります。  世の中たくさんの人が居ます。そのなかには好きな人はもちろん居ますがそれだけでなく、自分に直接害のある人や残念な人、気持ちの合わない人などいわゆる嫌な人も居ます。そうした嫌な人と接する場合、特に仕事の関係などで離れるに離れられない場合どう行動すれば快適に生きていけるのでしょうか。ここではその方法について述べます。 対応策その1) 距離を置く  考え方を否定される、怒っているようだ、そもそも合わない。など合わない人は生きてる中で絶対出てきます。そのような人と私は接したくありません。しかし接せねばならない場合が出てきます。そのような場合、 一番簡単な解決方法は逃げること・距離を置くこと です。 精神的な距離を置く事はもちろん大事ですが、物理的な距離を持つ ことは大事です。物理的距離が精神的距離を離してくれます。 対応策その2 )諦める  物理的な距離が離すことが出来ない場合、 「割り切る諦めること」が重要 です。存在を否定するわけではありませんが、たとえその場に居ても「残念な人なのだな」「悲しい人だな」と諦め、割り切る。 諦めることで自分の傷はそれ以上深くなることは無い と思います。 そもそもの感情。  そもそも否定的な感情を持ってしまうと、それがいつしか拡大しますます悪い印象となることがあります。ですから悪いことの起こったとしても 悪い気持ちを持たない ことが大事です。もしくは寝たり気分転換などをしたりなどして 忘れることが大事 なのだと思います。 以下を読んで考えました。 森博嗣 「やりがいのある仕事」という幻想 朝日新聞出版 2013.です。

見えない感情・気持ちを残す方法

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無 いものを残す方法を考える お金やものはあります。存在していて簡単に残せます。 一方、気持ちや思いはその場にはあっても存在を確認することは出来ず残せません。 この存在を確認できない気持ちや思いは存在するものと同様に重要です。 ではこれを後世まで残す場合、どうしたらよいのでしょうか。ここではその方法を述べます。 共 有の大切さ 気持ちや感情は語り継ぐことで共有できます。 悲しかったら悲しい、怒るんだったら怒る。 そういった同じ感情を共有することで 語り継げるのかもしれません。 また紙などに記録することも大事と思います。 そこで、感情の共有をしたり記録する意味で大事なことは 素直に感じ、それを素直に表現することです。 実 際どうしたら共有できるか お互いの人間差を認め、全てを理解することは出来ないことを認めます。 そして柔軟性を持ってお互いがどのような気持ちになったのか語り継ぎます。 他方、周りはそういった感情を共有できる赦される場を作ることが大事です。 鷲田清一 大事なものは見えにくい 角川学芸 2012.です。