実は人間助け合って生きてる

めて考える

難しいですが普段生きている生活を改めて意識してみる、
見開いて生活している目をそっと細めてみると
なるほど助け合っている部分のあることがあります。

食事中の方が居たら失礼な話になるのかもしれませんが

トイレだって今でこそ水洗が多いですけど数十年前まで多くの家は汲み取り式でしたよね。
もちろん今でも汲み取り式のトイレなおうちもあるとは思うのですが
排泄物をも誰かが処理していることを意識する意味では”あり”でした。

また食事に関して言えば、
一度田んぼや畑で農作物を作る体験をされたらわかりますけども、
なかなかどうしてスーパーに並ぶような形のいい野菜はできません。
それは農家をされている人が努力をして提供をされているのだと思います。



















↑ごみも誰かが片付けてくれているのです。

便利になってきた都会にすむ我々はそのようなことを意識する機会があるでしょうか。
ごみを捨ててもらって当然、生きてて(本当は生かせてもらっているのだけれど)
当然というおごりがあったりしないでしょうか。


供する側としても

物を作る側、特にBtoB(企業間取引 ビジネス to ビジネス)
で仕事をしている場合では、お客さんが見えないため、なかなか
何のために仕事をしているのかわからなくなることがあります。
「このものって何のためにつくっているの?」
と疑問を持つことがありますが、私はこれはチャンスだと思っています。

なぜなら実際自分の作っているものがどうなってゆくかがわかると
仕事としての意欲がわきますし、仕事の深みも増すと思うからです。

意欲がわくことに関して私事ですが、化粧品の粉の表面処理をしていた会社でも
その先に、ファンデーションとなってお客さんに提供できることがわかれば、時に
「おお~、俺ってそんなに役立ってるのか~」
などと、やる気になる部分がでてきました。

また、お客さんのニーズに応える意味でもそれを知ることは重要です。
ものを開発していると時折、コスト削減をするために
どの機能を減らすか(もしくは捨てるか、など)を考えます。
そこで、お客さんが求めていることがわかると
維持するポイント、削減するポイントがわかるのです。

そのような意味では見えにくいですが客さんとつながっている部分がある
それを意識することはものづくりのうえで重要なのだと思います。


先のものを追う

ところで、世の中にはそのようなことを考えず
何をやっても間違った選択をし、目先のものを追う生き方をされる方が居ます。

やれ誰それが悪い、私は悪くない。
逆に私は偉い、あなた方は偉くない、など。
自分ひとりで世を渡ってきたと思っている人が少なくないです。

いやまあ確かにご自分でえらくなってきたと思われる部分もあるのでしょうけど
本当に一人の力で全てがなされてきたのでしょうかねぇ。と思ってしまいます。


して見つめる。

感謝をせよ、と大地讃頌のように強制することはできませんが、
あなたが生きてきた背景にもささえがあったのではないでしょうか。

愚痴を聞いてくれた家族の支えはありませんでしたか?
会社でしたらそこになるまで育ててもらったことはありませんでしたか?
お昼ごはんを創ってくれた人は誰でしたか?
大学を通わせてもらえたのは誰のおかげなのでしょうか。

などなど。。。
奥さんが悪い、会社が悪い、と思うのはストレスを発散させるために
されている部分があると思いますが、時には「ありがとう」
と言葉に出して言うのも、悪くないことかもしれませんよ。
恥ずかしいかもしれませんけどね。

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