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思い込みの使い方

齢36歳になってようやくつい最近ものと言葉の使い方を知った豊島です。思い込みはものによって増幅されるし場合によっては大きな影響を及ぼすことのできるものでもあります。ですから有効に使いたいです。思い込みは有効に使えると幸せになれることのある一方、使い方によっては大変不幸になるものとすることもできます。そこここでは「思い込み」の使い方を書きたいと思います。


知らず知らずに持っている「お金の常識」
 ものとしての「お金」があります。多くの方が「お金が欲しい」と思っている社会の常識があります。しかし、そうした思い込みがあるからこそ、そこに感情が乗っているとお金を得ることで感情が倍増してしまうといった特徴があります。それを考えるとお金と感情はお互いに影響しあっていることで利点でもあり欠点でもあります。
 一般的に「金は天下の回り物」と言われています。これはつまり基本的にお金を投げたらそのまま世の中を回っていくものなのですが、そうした流通があるからこそ、そこに感情がつくと爆発的にお金と感情が増えてゆくといった特徴があります。正式には「金」は多くの人がほしいものだからそれを介して「感情」が「増幅」するといったことが起こりうる、ということです。


お金を使った思い込みの使い方
 例えば「これであなたが幸せになって欲しい」と言って10円硬貨のあげる場面を考えてみます。相手は10円を貰ったおかげで自分が幸せになったと思います。あるいはそうされたことによって相手は自分が幸せになるために10円を使うとします。すると「10円」というただの硬貨が「幸せの道具」と思い込むことが可能なのです。気持ちは満たされるとそれ以上の価値を生み出すことがありえて、以後10円以上のお金を与えたくなる。といった特徴があります。すると最終的に戻ってくる金額は10円以上の価値となります。
 これは悪い風に、すなわち「呪い」としても左右させることができます。例えば「これをあげると私が死んでしまう」と言って10円あげるとしましょう。すると相手は10円を貰ったおかげで相手が死んでしまったと思いこみます。すると10円が命の値段と思い込む部分がどこかにできます。すると以後10円以上のお金を受け取るのが怖くなるといった現象が起きます。(10円×人数分を自分が殺したと錯覚する)最終的には人の命を絶つ金額が10円以下となることが…

運を良くする方法=命をかけることから=

多くの人が考える「運」は普段何気なしに生きている状況では良くも悪くも「引き寄せる」ことや「影響を及ぼす」ことは出来ない。しかし一つにリスクをとることで「自分の行動」から運を引き寄せることが出来る。ここではリスクの中で最大と思われる「自分の命」を使った場合について考え、それを「どう生かすか」例を交えて書きたい。なお、人間死ぬ気で行動すればたいていのことはかなう、とよく言われるが、それは概ね正しい(かなうと言うよりは良くなると言ったほうが近い)ことをここでは書きたい。


多くの人から見た運とさだめ  
 一般的に運はどうしようもない。それは当然のことで、なぜなら人間にはできることの限界があるし、自分のできること以上のことをしようとしても無理だからである。
 そのようなどう頑張っても限界がある世の中で、特に我々が考える普段の「満たされた状態」では決して運を左右することが出来ないわけだが、一方でその「運」と言うものはある「自分の考え方と行動」を通して引き寄せることが出来る。  そのような引き寄せ、即ち「運を良くする」、若しくは「運が良くなるようなチャンスをつかむ」ときには通常「自分の中でリスクを負うこと」が大切である。リスクとはすなわち「価値のあるもの」や「唯一のもの」を指す。例えば「お金」や「財産」はもちろん、究極の例で言うならば「自分の命、人の命」などもそうである。「失敗したらなくなってしまうもの」は価値が高い。  「失敗したらなくなってしまうものの価値は高い」ことを考えると、通常「お金」や「財産から交換したもの」は多く替えが効く。替えが効く意味では価値の低いものとも考えることが出来る。またお金や財産自体もかけて失ったとしてもまた稼げば手に入れることが出来る。そうした意味で「お金は凄く大事なものとは言えない」のかもしれない。

大事なもの=例えば命   一方先にも示したが最も典型的で大事な物として「人の命」がある。「命をリスクの対象にする」と言うことは行動を起こしたときに失敗すれば「死ぬ」と言うことだ。殆どの人は自分の命がなくなることに直面すると(普段は考えることはないだろうけど)惜しいと思う。例えすぐに病気で死ぬ人であってもだ(あくまで一般的な話でサイコパスのような飛びぬけた考えを持っている人は除く)。誰しも最終的には自分の身がかわいいからこそ、それをリスクの対象としてかけることは…

地に足をつけた考え方や行動のおすすめ

最近メーカーに勤める知り合いと話す機会がありました。発言の内容から彼は凄く絵空事のようなことを言っているなと感じました。そのような絵空事を言うこと自体は問題ではなく、私個人としては何も言いません。しかし近年そのような絵空事を言う人が活動の幅を広げて多くの人を巻き込むようになってきています。多くの人を絵空事のような考え方で巻き込むようになると個人が幸せにはなることは難しいと思います。だとするなら問題です。そこでここでは皆さん個々人がどのような考えを持って行動したらよいかを書きます。結論としては地に足をつけた考え方や行動をすることが大事だということです。


障碍者障碍者言う知り合い
 最近私の近くにものづくりのメーカーに勤める知り合いができ、話をする機会がありました。彼はメーカーに何年も勤めており、やたら「障碍者が、障碍者が」と熱く語っている様子がありました。
 話をするに今まで彼は特段障碍者に興味があったわけではなく、身近にそのような人が居たわけでもありません。確かに人と接する上で障碍者向けのエンジニア製品を提供している人と接する機会はあるようですが、それゆえそのような方と話をして感化されたような感じがします。
 障碍者に対して物を売ること自体は決して悪いことではないですし、「協力してくれる人が居たらいいね」くらいにしか思っては居なかったのです。ですが最近はどうも彼がその障害者をネタにした活動の幅を広げてきたそうなのです。このままでは多くの人が「良しと思っていないのに声の大きな人に流されてしまう」危険があるなと考えました。


恐らく一般的な人と彼らの動きの違い
 私はこれまでメーカーで研究者として働いてきた経験から、会社の中でも「はみ出しもの」な部分や自覚はありましたし、良くも悪くも異常者という意味では正直精神障害に近い基質を持ち合わせていると思います。
 ですからこそ僕と同じような人に対しても仲間が居るということ、いててもいいということ、生かせる場所があるかもしれないということをそれぞれ啓蒙していきたいと思い、精神保健福祉士として活動してきました。
 そして恐らく障碍者向けにサービス製品を作っている人も恐らく、僕と同じように自分自身の経験や身近な人の経験から「なんとかせなあかんな」と思ってそうした不具合を対処できるようなものを作ったのだと思います。

 しかしそれをあ…

選択や行動する人に失敗は無い

選択をする人しない人、行動する人しない人が居ます。幸せになるには選択をすることや行動をすることが不可欠ですが、選択や行動する人にとって失敗することはあるのでしょうか。私は無いのではないかと考えます。そこでここでは選択や行動を起こせないのはどこから来ていて、また失敗がどういう気持ちからきているのか、最終的には選択したり行動をするにはどうしたらよいかを書きます。


行動をしない人は何を恐れている?
 何事も生きているうちは選択をしながら生きています。もちろん「選択をしない」といったものもありますが、それも「選択をしない」という選択を取っていることと同じです。
 そうした「選択をしない」という選択を積極的にする人にとっては、どこかに「失敗をしたくない」考えであったり、あるいはそうなることを想定し失敗を極度に恐れていることがあるかもしれません。
 しかしそれが決して悪いといっているわけではありません。ただよりよく生きるためには選択や行動を起こしたほうが良いかもしれませんね、という提案をここではしています。


未来はわからない 
 そうした選択や行動を起こせない考え方のもともとはひょっとすると学校教育における授業によって培われた可能性があります。 学校教育では通常失敗は無く、さも「未来がわかっている」、あるいは「未来が決まっている」ことを生徒さんや学生さんに教えたりすることがあります。
 しかし現実的な問題として、現在と過去以外は誰にもわかりません。ですから学校教育や偉い先生が言う「未来予想図」は、あくまで「未来予想図」なだけで、いうなれば「絵に描いた餅」です。確かに確率的には「そうなる」可能性が高いかもしれませんが、確率が高いだけで「そうならない」ことも十分ありえます。こんな確率論を考えていること自体が無駄だと思います。
 つまり今は今だけなのです。将来に同じようなことが毎日が起こるとも限りません。確かに「同じような毎日」は起きていることがあるかもしれませんが、厳密には「まったく同じ毎日」は起きていません。何故なら自分以外の人や環境には同じように影響を及ぼすことは出来ないからです。自分の認知しうる限界というものが誰しもあります(これを一般的に宗教では「神」といいます)。


行動する場合にリスクが伴う
 未来がわからないような状況即ち学校でない状況において生きるためには失敗を想…

上司の「立ち位置」と「正義」とを考える

上司がまとめ役としての立ち位置を誤って認識していたり、正義としての考え方が一方的だったりすると、相手を押し付けてしまいがちになります。学校や軍隊ならば従わせることが目的なのでそれでも良いかもしれませんが、特に会社組織などにおいて売り上げを上げることが第一目的になっている場合、そのような押し付けは部下など立場の弱いものにとっては非常に厄介なもので、また売り上げの面でも上がらず問題となります。そこでそうした問題を起こさないためあるいは起きないようにするためにはどのような考えを持つのが良いか、一例を書きます。


自分の姿にこだわるリーダーの例
 先日、上司が部下にどうやって売り上げを上げているのかといったことを説いてる場面に出くわしました。その途中でリーダーらしき人が割って入って「売り上げのことなんてまだ部下には関係ない」などと言ってさえぎる場面がありました。
上司が現状組織の売り上げ方とかを部下に説明してるのに、割って入ったリーダーが「そんなことを説明する必要ない」などということがあった。
それ見てて思うけど言うなりゃそのリーダーって組織力を削ぎ落とそうとするマイナス人間なんじゃあないかなあと僕は思う。 — 他人の幸せを買う資産家(豊島) (@KT_socialworker) 2019年2月20日
 なぜリーダーである彼(彼女)はそのようなことをするのか。
 私は①まとめ役として今ある上司と部下の立ち位置が見えていなく、②自分の正義や会社というものはこういうものだ、と、あらかじめ彼の中にある上司としての姿にとらわれすぎていているものと考えます。
 このような方が居ると組織の中でも 本来こうしたら売り上げが上がるだろうなあ場面に遭遇しても、リーダーの機嫌次第でどうするかが左右されてしまい、結果的には上がる売り上げが上がらなくなってしまいます。だとするならばこれは問題です。
 ではそこでどのような問題にならないようにするには上司としてどうしたらよいのでしょうか、ここでは一つの方法を示します。


誤ったまとめ役としての立ち位置
 生まれてこの方、特に学校を卒業してからすぐに社会人になった場合においては、その人にとっては上司のモデルが「親」や「学校の先生」であったりします。

 親は自分が何も出来ないときから面倒を見てくれていて、非常にありがたい存在だとは思います。しかし時に自他…

相手に伝える場合はシンプルにすべし。

物事を伝えようとする場合にはシンプルにするのが良いです。相手には余計なことを想像させないほうが何事も相手に伝わる可能性が高くなります。しかし日本社会ではシンプルに書くことよりもより長い文章を書くほうが重要視されます。それはなぜなのでしょうか。そしてそうした状況を打開するには何をどうしたらよいかといったことを書きます。


私の身近な伝えること
 私が小学生の頃は夏休みの宿題として読書感想文が出されていました。私自身それはあまり好きでもないし得意でもありませんでした。また国語の文章問題では「小説の本人になりきったらよいのか」「小説を書いた著者の感覚でとらえたらよいのか」「小説の著者を扱っている作題者の意図に沿ったら良いのか」などと考えながら読んでいたら結局誰の立場になってよんだら良いのか良くわからなくなり、わけのわからぬまま答えて結局間違った解答をしていた思い出があります。ですから国語の授業は最も嫌いな教科でした。
 幸い国語を重要視しない学校「高専」に進学し、在学時には卒業論文を書いてはいました、が、その時にしていたことほぼデータ整理だけでした。ですので実質的に論文や文章を書くようになったのは大学生のころだったと思います。その時研究室の先生に文章作成のノウハウを教えてもらいました。「短文で」「変な誤解を与えないように」「独立した二つ以上のソースを元に」といったことをはじめて教わりました。
 このときの経験が社会人になってから生き、改めて大学生のころに伝えることの大事さを経験しておいて「よかった」と痛感します。職場の上司との会話ではよく「上司の質問には結論から言うよう」などといわれますが、これに関しても大学生のときに教わった「伝えること」を綿密に実行していたら、上司がよっぽど変な人で無い限りトラブルになることはまず無かったです。


一般的な伝えること
 日本では多く義務教育の段階で読書感想文を書かされます。本を読んで好き勝手に感想を書いてよいよといわれるものです。好き勝手書いてよいので文書校正や論理構成はむちゃくちゃでもかまいません。
 こうしたことがまかり通る原因は樋口裕一さんが数々の本で書かれていますが、日本では諸外国のように「論理学を教える場面」が残念ながら「ない」ためです。ですので「伝わる」文章の書き方をろくに教わらないまま大人になったり、あるいは死ぬまでそ…

仕事ではコミュニケーションが大切

よく仕事場に居て「これはどうなのかな」などと思うことがあります。それは「作業自体としては問題ない」ものの、そこで「働く周囲の人々との気持ちの関係うまく取れていない」ことのあることです。確かにそれでも「ある程度の業績」は確保することは出来るかもしれません。しかしそれだけでは「長期的な仕事場の効率向上」を考えることは出来ないと思います。そこでここでは仕事を行う場合における関係性や気持ちの大切さ、とりわけコミュニケーションの大切さを書きたいと思います。


多くの組織構造は官僚型
 多くのグループは「トップが少数で手足を動かす実働部隊に近づくほど多い」といった「官僚型の組織構造」をとっています。グループの長がそのグループを統括し命令していくスタイルです。

 長はグループを束ねて売り上げの上げることが望まれます。そのためにグループメンバーに命令することはありますが、得てしてそうした場合において重要なのが「グループメンバーの気持ち」です。これを考えてまで行動している方がいったいどれだけ居るでしょうか、実はあまり考えている人は多く無いのではないかと私は考えています。


長の命令なら聞くには聞くが
 自分がそのグループに所属していて、人間関係のあまり無いグループの長から突然何か命令された場合には「そりゃあなたがグループの長やから「やれ」と言われればやるにはやるけれど」と言ったり思ったりすることがあるかもしれません。 少なくとも私はそう思います。

 そうした場合にグループメンバーとの関係性があまり出来ていずに、あるいは納得するのを待たずにグループの長が「あれしろこれしろ」などと言ってグループメンバーに行動を移させることは「物理的には」可能だと思います。しかし言うだけ言って以後関係性の構築に対するフォローが無かったり、あるいは放って置かれたりするならばグループのメンバーの士気が落ちることもあるでしょうし、一時的には業績を維持することは出来ても、長期的な視点で見た場合には売り上げアップさせることも仕事場としての雰囲気も実りあるものにすることはできえないと私個人的には思います。

 これは多くの組織構造を持つものの欠陥として、グループの長が「組織の形」を認めるも、 その組織にいる人の「一人一人の固有さや気持ちあるいは考え方などといったものを認めていない」ことが原因としてあるのではないかと…