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9月, 2013の投稿を表示しています

体験をすることで幸せを得られる

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誰しもが欲しい「幸せ」があります。 それは普遍的にいえるものなのでしょうか。 表現できたらすばらしいと思います。 そこでここではその幸せを得るための方法を述べます。 幸せは見えません。それゆえに大きな意味があります。 見えないものを得るためには体験する必要があります。 何かをしたいと思う体験から機会を得、自由を勝ち取ります。 自由を勝ち取る場合には自由の裏にある責任を持ちます。 それが大切だと思います。 以下を読んで考えました。 山崎武也 幸せの研究  PHP 2005.4

可能性の探し方のひとつとして

決め付ける文化があります。それが行過ぎると、可能性が見出せなくなります。 可能性が見出せないと何でも意欲的に活動できません。それは問題です。 ですから意欲的に活動するためには可能性をどのように探したらよいのでしょうか ここではその方法について述べます。 皆、伸びる可能性を持っています。 生まれたての赤ちゃんをはじめ、就職活動中の学生 定年まじかの方でさえも、延びる可能性はあります。 伸びる分野も数多くあります。 誰がどのような場所が伸びるかということに関しては 一概に言うことは出来ないのですが、少なくとも 存在や能力を認めてあげられる環境や人があるのだと思います。 決め付けやラベリングをせず、一人一人の人間の違いや能力を 認められる雰囲気が大事だと思うのです。

わざとらしくない対応方法を身につけるには

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わ ざとらしくない対応を 支援の仕事を含め、サービス業のしている方の対応を見る機会があります。 すると人によってはバカ丁寧な対応をされていることに目のつくことがあります。 バカ丁寧なを対応をしているのを見ると 裏にいやいやさせられている感が見て取れます。 他人にこう思わせてしまっては失格です。 よい人間関係が築けず収益も見込めません。 そこでよい人間関係を築き、収益を上げるには 日ごろからどのような考え方を持ったら良いでしょうか。 ここではそれを述べます。 覚 悟による態度の違い 介護の現場を見て回ると時々お年寄りに 凄くわざとらしい対応方法を実践されている方の居ることを目にします。 そのような方は凄く見苦しく感じます。 一方介護されるお年よりは自然さを感じます。 この見苦しさと自然さの違いはどこにあるのでしょうか。 店員とお客さんといった立場の違いもあるでしょうが 私はここに「覚悟の差」があるのではないかと思っています。 諦 めて踏みしめる 死への対応もそうですが、決まってしまったなら決まってしまったで、すでに諦め その場の立ち居地を確認して、次へ移るような対応をすることが望ましいと思えます。 先ほどの介護の現場での対応もそうです。 対応方法などといった小手先のわざとらしさを捨てて、 対応する人の素直さや自然さをもつことが大事と考えます。 それを以下読んで考えました。 「生きること、寄りそうこと(柏木哲夫著 いのちのことば社発行 2012.1)」

家族の専門家への支え

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み んなで認めみんなで育てる。 家族間でトラブルの起きることがあります。 これをほうっておくと規模が大きくなってゆくことがあります。 トラブルの規模が大きくなり家族で対処できなくなると社会に助けを求めます。 すると家族の問題を社会で解決することになり、問題です。 ですから、日ごろから家族間での問題を家族間で処理できるようにする必要があります。 そう考えた場合、家族間ではどのような考えを共有すべきなのでしょうか。 ここでは家族間での共有されたほうが良いであろう考えを述べます。 お子さんの専門家はお母さんや、お父さんです。 一方家族を単位としてみた場合は、お子さんも家族の専門家の一人です。 家族が家族として問題対処への機能する場合、 お互いがお互いに仲間としてかかわりあう考えがあります。 そうした「仲間としてのかかわりあう考えを持てる家族」には認められる環境があります。 決して相手に考え方を押し付けない言い方をし、「いる」ことをゆるします。 皆で皆を認め、皆を皆で仲間としてかかわりあう環境を 作ることが大事なのだと思いました。 それを以下の本を読んで考えました。 菅原裕子 子どもの心のコーチング PHP研究所 2007.10です。

空虚感からの向上心を持つ

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空虚感を持っている人はいます。 なぜそのような空虚感を持つのでしょうか また、それを克服することで何が得られるのでしょうか。 それを知ることで大きく成長するチャンスがあります。 その方法をそれをここではのべます。 空虚感を持っている人は素質がある。 空虚感は未体験から生じえます。多くの人はそれを感じず 相談しても人によっては「大丈夫大丈夫」、といいます。 それでもそこから抜け出したい場合、その気持ちが原動力となります。 空虚感をなくすには体験を得ることです。 体験しぶつかって、感じ、そして考え、行動を改めます。 怖いですが、行動しないと変わりません。 行動からなぜを考える 体験した結果、生じた疑問を試行錯誤します。 そこには 「なぜ?」という疑問が先に立ち、 また「なぜ」を潰すことで強力な説得力が得られます。 いい仕事は「なぜ?」からはじまる(伊集院憲弘著 PHP研究所発行2003.1)

人の境界は誰が決める?

違いがあるか無いか 人が人を区別できるのでしょうか。私は出来ないと考えています。 なぜなら本質的にあまり違いが無いからです。 精神医学を学ぶとそれがわかります。 そういった違いがあまり無いのだなと思うことは 人が平等にともに生活する意味では重要です。 そこでここではその判断の出来ないことを述べます。 精神疾患の境目 明らかに他の状態と目視で違いが確認できる場合人は病と判断します。 一方、一部の精神疾患は違います。 症状では判断しますが基本的にどこからが病でどこからが病でないかは 判断することは出来ません、と同時に境を決めてしまっていいのかも疑問があります。 我々の社会において精神疾患は疾患として「お医者さん」が病気だと判断しています。 ICDやDSMと言った基準は一応ありますが、あくまで目安です。 お医者さんの判断によれば日常生活を送っている私たちも精神疾患と認定されると思います。 お医者さんは人間を取捨判別するできた人間かというと、 決してそういうものでもないと思われるわけです。 もしかしたらお医者さん自身が病気かもしれません 。 それを考えると皆違って病気であるとも病気でないとも言えます。 ですから境無く、平等に接したらいいのでは?と思うのです。 文化や立場的な都合で難しいと思われますが 少なくとも私は、対等に接したいと思っています。

状態によって考え方も変わる。ということ。

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選別は重要 時代は変化する中で会社を変えることは重要です。 しかしそのような中で変わらないものがあります。 経営をする上で変わるものと変わらないものを見極める必要がありますが それは何でしょうか、以下に述べます。 変わらないもの 経営者は創業者と引継ぎ経営者が居ます。 経営者としていて、基本的なスタンスは変わらないのだと思います。 事業を続けていく上では好きになること。 社員をほめ、やる気になってもらうことがそうです。  これらを通して経営者が人としてとして伸びてゆくのだと思います。 変わるもの 一方実務やすることや発言は異なります。 これは創業者と引継ぎ経営者とで役割が違うからかもしれません。 創業者は新しく作り、引継ぎ経営者は会社を回すことを考えます。 また企業自体も生ものといわれ、時間の経過とともに鮮度が変わります。 ですから経営者の考え方や役割・発言も会社の状況、鮮度に応じて変え、 事業を行う必要があるように思います。 まとめ 経営者として変わらない部分を持つ一方、 会社の運営者としては変わる必要のあることがわかりました。 以下この文献を読んで考えました。 江口克彦 「きっと芽が出る人」の法則 PHP研究所発行 2005.3 です。

ミスをするものと認める。

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完 全を求めないでください。 テストで100点を取れて嬉しくない人は少ないのではないでしょうか。 しかし逆に100点をとれ、といわれるとやる気がなくなってしまいます。 このやる気のなさはどこから来るのか、というと、人間の不完全さにあると思います。 そこかに完璧ではない考えがあるのではないでしょうか。 完全を求めたい気持ちがあるのは勿論分かりますが それを求め続けるのはしんどいですしつらいです。  そこでその完全な社会から抜ける方法 気持ちの持ちようについて述べたいと思います。 個 人と集団の違い 人は不完全でそれぞれ違います。 それぞれ不完全で違いがあるからこそ、協力をします。 しかし社会の中では、完全を求めよとしている場合があります。 テストの点や、製品不良率などについてです。 これらミスは確かに無いほうが望ましいですが、 必ずしもミスをゼロにすることは出来ません。 なぜなら人間が関与しているからです。 その背景には集団の考え方があるのかもしれません。 人間は不完全ですが、集団になると個々の寄せ集めのため 弱点を誰かかしらがフォローしてくれる感全体に近い存在になります。 すると誰しも集団の基準で状況を見てしまい 人の行動にしても完璧性を求めてしまう部分があるのだと思います。 ですから個人が失敗してもゆるさなかったり、怒ったりするのだと思います。 私 の考え―次回に活かす― 私は他人の失敗をゆるさなかったり、怒ったりすることは寂しいことだと思います。 私は失敗は誰もするものだし、ミスの起こったことよりは ミスを次回の反省材料にすることが出来たらよいのだと思います。 そして同じ失敗を繰り返さないためにも、なぜ失敗が起こったのか 考える必要性があるように思います。 ミスを足がかりにして良い関係を維持したいものです。 それを以下の文献を読み考えました、 芳賀繁 失敗の心理学 日本経済新聞社発行 2004.10 です。

便利になったが思いやりを捨ててしまった。

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立 ち位置しっかりと 科学は日に日に発展し、世の中がどんどん機械化されてゆきます。 すると便利にそれを使う人が居る一方、機械に使わされる人が出てきます。 そういった本来使う目的だったものによって使わされるとどうなるのでしょうか。 一つに他人への思いやりがなされなくなることがあると考えます。これは問題です。 そこでここでは使われることによって生じた問題を 回復・解決するためにどうするか考えます。 技 術者として望むこと メーカーではお客さんが「より便利に」「より幸せ」になるようものづくりをします。 電気やモーターなどの文明のちからを使って新しい付加価値のある製品を作ります。 現状を分析し、どこをどのように改善したらよい結果がえらるか、 実験を通して確認し、そこから改良したりスケールアップしたりします。 我々は正規の使い方を想定しますが それを無視したり、あるいはその新しいことを当然として考えられると それ以前に当然としていたことがまったく伝わらなくなってしまいます。 携 帯電話の普及で失われたもの その一つに携帯電話があります。 昔は家庭に一台しか電話は無く、恋人の家に電話するときなど 家族にどう取り次いでもらう必要がありました。 そこで恋人のご両親に対する敬語の使い方や 電話をかけてよい時間などある程度常識として暗黙のうちに決まっていました。 しかし現在は携帯電話が一人一台にほぼ普及しています。 するとどんなに夜遅くでも友達口調で平気で話し始めたりします。 ですからこれまで出来ていた敬語の使い方や電話をして良い時間など 相手への思いやりや配慮がされなくなってきてしまいました。 こういった思いやりや配慮がなされなることで 今日他人との多くの軋轢が生じてきていると考えられす。 発 生した問題に対しての対策 そこで一度 原点回帰する視点を持つ ことが大事なんだと思います。 具体的には、 目的即ち「なぜそうなっているのか」と考える ことです。 そうすることで、他人への思いやりも獲得することが出来 使われる生活から使う生活に変わることが出来ると思います。 それを以下を読んで考えました。  正高信男 考えないヒト 中央公論新書 2005.7 です。

個への尊重と原点回帰

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このまま順調にいけるだろうと思っていても壁にはぶつかることはあります。 そのような壁にぶつかった場合、どうしたら壁を乗り越えられるのでしょうか。 ここでは個への尊重から考えられることについて書きたいと思います。 年々個が大事にされている社会になっているようです。 携帯電話の普及により家や学校、会社でも個人が中心とっています。 またコンビニや自販機などの普及により人と話さず容易にものが手に入ることから、 会社と家とコンビニの往復だけをする「引きこもり」のような人も多く、問題となっています。 これが過ぎると 健康面や経済面で悪影響となります。具体的には 1、健康面として病気の場合はどうするか   加工品ばかりを食し、身体がいびつになります。 2、経済面として品物の値段が高く、貧困になる です。 そこで、具体的にどうするべきかを考えます。 一つに昔の人の知恵がいかせるのではないかと考えました。 健康面、経済面をどちらも満たすことのできる方法があります。 それは「野菜を作ること」です。 自給自足をして野菜を自分で作ります。 昨今高機能な化学肥料も発売されていますし、野菜づくりの本も多いです。 出来た野菜をぶつぶつ交換することにより地縁も持てます。 また人間よりも成長の野菜の生長を「待つ」ことで 自分の心も落ちつかせられることが出来ると思います。  

経営者の寂しさ

 専 門家は実は寂しい。 専門家で 「お金さえあれば十分だ。」 「打ち勝てれば何でも良い。」 と思っている方がいます。 そのような方は他者との競争に打ち勝っている一方寂しさを持っています。 その寂しさはなかなか知れないと思います。 ですが、心の奥底には誰しももっているものでもあると思います。 その気持ち、普段は意識しないけれけど誰しも持つ寂しさを知ることは重要です。 そこでここでは専門家さんの奥底にある寂しさについて書きます。 専 門家のできるしくみ 専門家は他者から打ち勝って専門家となります。 しかし一方で打ち勝ったからこそ孤独を感じている場合があります。 孤独さの背景には世の中の常識や社会的な理不尽さ があります。 逆に言うと非常識や理不尽さがあり、反骨精神に火がつくと、 誰にでも脅威の力を発揮し、専門家になりえます。 常 識や理不尽さの中身、怒り まず自分の中にあります。 自分をはじめ人間は完全ではないからです。 また家族の中にもあります。 家族に自分の主張を強制すると不満が出、関係が悪化します。 悪化し続けると本来休まるべき家庭が休まりません。 さらに会社でも従業員や仲間との間にもあります。 自分以外の全員がYESと言った場合も 目的を達成するためにはNOをださねばならない場合があります。  そして社外や社会に向けてへもあります。 自分の会社・専門家としてのよがなぜ世に知らせられないのかと寂しくなります。 寂 しさが積もると・対策 これらが寂しさが大きくなると最終的には 病になることがあります。ですから、寂しさを認識し 自分ひとりで処理できなければ他者を頼って対処することが必要となります。

わかり易い単語を使用する

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難 しいことから簡単なことへの説明 専門的学問の研究をしている場合、他者の論文を読みます。 他者の論文に書かれている単語はたいてい専門的で難しいです。 論文の言いたいことも表面的に一読しただけでは何が書いてあるのかわかりません。 ですから本気で論文を理解しようと思った場合、 何度も読み返したり辞書や単語帳を用いたりします。 こういった論文は最終的に読者に著者のしたことをわかってもらうことが目的です。 その目的を達成するにはどのようにしたらよいのでしょうか。 ここでは人との話からわかり易く説明・理解する方法について書きたいと思います。 身 近な難しかったこと 先日、ある衣料メーカーの方と話をしていたところ、その方が会話の中でご自身の担当されている服の形について 専門用語を交えながら話されてきました。 私には彼の言っている単語の意味がわかりませんで、つい 「その単語はどういう意味なのですか。」と発言しまいました。 わからない単語が使われてどんどん話が進んでいきますと 相手は満悦で話をしてすっきりしますが、聴いているほうは 話の意味がわからないため非常にストレスが溜まります。 逆に言うと、専門的に詳しくない素人が「わかる」ことは難しく、 どんなに簡単だと思われそうな専門用語だとしても、それを説明する場合は 相手のレベルに合わせて説明しなおす必要があるのだと思います。 確かに、専門家さん同士で話しをされる場合、共通の認識で使われる 単語を用いて話をするのであれば理解のスピードは早くなりますが それを素人に押し付けるのはいけません。 難 しい話からえられた教訓 他人の振りみて我が振りなおせとはいえませんが この経験を通して少なくとも私が相手と話をする際には、 わからなければわからないなりに 質問をしやすい環境を作る こと。 自分が説明する際、基本的に 素人にもわかる単語を使用する こと。 を実践 したいと思いました。 それをこの難しい本を読んで考えました。 笠巻勝利 人生は好転するから面白い PHP研究所 1994.8 です。

改めて私のしているソーシャルワーク~コンサルタントとの違い~

間 違えられること 私のしているソーシャルワークとは、相手の相談を聴いて考えることです。 それを説明すると、具体的に何をするのかと問い合わせられます。 問い合わせの中でよく誤解される職種にコンサルタントがあります。 ソーシャルワークは前述のカウンセリングと違いますが同時に コンサルタントとも違います。ここではその違いについて述べます。 コ ンサルタント の仕事 日本ではコンサルタントの国家資格として中小企業診断士があります。 その種類は「戦略」や「人事経営」など多くあるようです。 これら数あるコンサルタントさんの仕事で共通して言えることは、 「お客さんに情報を与える」 ことです。 お客さんは生徒さんで、あくまでコンサルタントは先生です。 そのため、コンサルタントを経営者の多くは「先生」と呼びます。 先生が言った情報を生徒に与え、実行させ、業績を上げます。 先 生の責任 経営者さんは事業存続が目的です。 事業存続のためにコンサルタント指示を頼ります。 コンサルタントは経営者の期待を背負います。 ですから、コンサルタントは大変なストレス職です。 ストレスのかかるコンサルタントですが、 そのコンサルタントが出した指示が間違った場合は誰が責任を取るのでしょうか。 恐らく企業側が責任を負う場合がほとんどなのではないでしょうか。  コンサルタントから指示され、行動はしても失敗し 責任を持ってもらえないとなったら経営者はおつらいでしょうね。 私は経営者ならつらいと思います。 ソ ーシャルワーク 一方、私の事業は 答えを直接的にはお教えしません。 しかし考えを一緒に見つける努力はいたします。 間違った選択をしていても、それが良い考えになるよう考え方の転換は図れえます。 しかし、残念ながら選択に対して責任を持つことは出来ません。

(福祉労働)全力を投資し、相手の可能性を見極める。

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勘 違い 仕事はしなければならないため、いかに効率的に捌くかが重要だ。 お金が無い環境で育つとお金の無い生活しか保障されない。 こうした勘違いをされている方は多いです。 福祉の仕事では、一般企業のような「物を売って稼ぐ」 というシステムでお金が回らないため、単純に作業に効率化を求めたり 変な価値観や偏見を持つことは問題だと思っています。 そのような間違った考えで福祉の仕事をすることを考えた場合 考え直したほうが良いかもしれません。 そこでここでは福祉の仕事にとって何が大事か、 どのような考えで望むべきかについて書きたいと思います。 そ もそも福祉、人を支えるに必要なもの 福祉に必要なものは何かと考えた場合、私は「心の充足」 だと考えています。 しかし世の中は、心の充足よりも仕事の対価として得られる「お金」や 「就職率」など、「形」にこだわりすぎている部分があるのではないでしょうか。 目に見える形があると非常にわかり易いですが、それでいいのでしょうか。 それを再確認するために、大学にてシンポジウムを聴いてきました。 テーマは「見えない貧困と向き合う」です。 貧困者とりわけホームレスについての支援者の対応が講演されました。 話を聴いて思いて私は、「支援者は 甘いな 」、と思いました。 甘 いと思った内容 甘いと考えた理由は二点あります。 支援者が自ら制限をかけていることと、 支援者が誤った認識があると思ったからです。 前者は、支援する人が 自分で自分に制限をかけ 自ら支援方法を絞っている 場合のあることを述べています。 つまりどこかに「ノルマをこなさないといけない」との考え方から、 「多くの人を捌くこと」を目的となっている部分があると感じられます。 お客さんを本気で何とかしようとしたら、自分の制限はどうあれ 全身全霊で望むであろうな、と思ったからです。 後者は、貧困な人は連鎖的に貧困になると認識をしていたからです。 日本では、 いくら貧困でも実力があればのし上がれます。 例えば学校でも給付型の奨学金がもらえます。 事業を起こして富裕層から金銭を得ることもできるでしょう。 制度や方法があるのを知らないのならそれを知ればよいと思いますが 貧困であること

ソーシャルワーク~カウンセリングとの違い~

 研究者と開発者、発明家とプランナーなど似たような仕事が世の中にはあります。私のしているソーシャルワークもそれらと同様、カウンセリングとよく間違えられます。しかし、私はソーシャルワークとカウンセリングはまったく違うものと考えています。では、ソーシャルワークとカウンセリングとはどこに違いがあるのでしょうか。これらの違いをを知ることはサービスを選択し、満足してもらう意味では重要です。そこでここでは私のしているソーシャルワークとカウンセリングの違いを述べます。 カウンセリングとは  カウンセリングとは人の話を聴くことです。精神分析や来談者中心療法など、多くの手法が世の中にはありますが基本的には相手との共感を図る意味で聴いて聴いて聴きまくります。  聴いてもらうと話を「聴いてもらった」気持ちは残りますが、場合によっては物足りなさが残る場合があります。  情報を提供してくれることはありませんし、話をすることで問題点や気持ちを明確にすることはできますが、出した問題への結論を出すのには一人でしなくてはならずパワーと時間が多くかかります。 ソーシャルワークとは    一方、ソーシャルワークとは人的資源(人間関係)や社会資源(法律やサービス)を使い「生きること」や「考えること」の支えるお手伝いをすることです。  聴くことの一歩先を視野に入れて問題を一緒に考えてます。問題を一緒に解決する仲間のような存在とも言えるかもしれません。問題を解決する意味では手段としてカウンセリングの技術も使います。  一緒に考えることで一人よりも多くの案が出ますし、偏りがちな気持ちもある程度は平均化されるでしょう。また結論を導き出すためのスピードも早くなるかもしれません。  なお、私はその中で特に専門家の方なら、より深く、より有意義にお話を聴けると思っています。なぜなら私がもともと専門家として仕事をしていたからで、 さらにそのような専門家さんの考えている考えの深さは時にマニアックで、刺激的な部分を有していることも多く私はそれを是非支えてゆきたいとも思っているからです。 聴いた後には  カウンセリングかソーシャルワークか、どちらが良いか、あるいは悪いかということは 選ぶ人の状況や感性にもよると思います。ですから一概にこちらが良い!ということはで

補助金目的では成長しない。

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本日も創業促進塾に行ってきました。経営を続けるための個別相談会と、 商工会の中小企業育成支援の補助金制度、専門家支援制度、共済の説明がありました。 ↑こういった資料が配られました。京都府や国の支援です。 補 助金の必要なケース 事業をはじめる場合、なんにでもお金がかかります。 メーカーでしたらモノ作りのための機械、輸送業でしたら輸送車です。 事業をするうえで必要不可欠なものが必ずあります。 そうした「事業を行う」目的があって、お金が必要な場合、補助金は役立ちます。 しかし逆に補助金をもらうために事業を行い、申請することはどうなのでしょうか。 私はそのような場合、事業の考え方がおかしいのだと思います。 そこでここでは補助金の使い方を通して事業をどう考えるかを書きます。 事 業存続のためか、補助金獲得のためか 必要不可欠なものの購入をするために補助金を用いるのと、 補助金を用いるために事業をするのとでは目的が異なります。 ですから、終着点も異なります。前者は事業が発展しますが後者は発展しません。 発展しないことを詳しく見ると、補助金をもらうための事業では 自分で行動する気力をそぎます。そしていつしか 「身銭を切らないから真剣でなくてもよい。」 といった気持ちがでてくると思います。全てがそうではありませんが。 個 々の心の重要性、審査の重要性 人間の子どもを育成する際、本人が望んでいないもの以上に与えすぎると 「甘やかし」となり、成長しません。これは企業の運営にも言えます。 即ち下手に補助金に頼りきってしまうと、企業の発展を阻害すると思われるのです。 ですから制度として補助金としてはあるものの、それを 利用して 利用されないように気をつける ことが重要なのだと考えます。 また、補助金を審査する側もその補助金が本当に必要なのか 補助金を獲得するための事業ではないかの 十分な審査が必要 と思います。

事業を続けるコツ、事業を始めるコツ

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本日は早朝に八王子から帰ってきました。 9時から京都で創業塾促進会に参加するためです。 http://www.jigyo-keizoku.jp/shien/8546/ 新幹線の乗車率が100%越え立たざるを得ませんでした。 今は帰省のシーズンではないため始発以外ですとゆったり座れます。 創業促進塾ではどのような企業運営をしていくのが是かが話されました。 新しく出来た中小零細企業の5生率は5%と言われていますが どのようなことに注意し、考え行動したら生き残れるかを学びました。 そこでここでは学んで得られたことを書きます。 生き残るための結論は 「考えながら行動すること」が大事だ 、ということ、 事業哲学を深く考えることで成功できうる 、ということです。 前者はトライアンドエラーを繰り返しながら、自分の「よい」方向へ舵を切る。 すると雇われている場合とは違った仕事に対する楽しみや刺激を味わえます。 後者は経営をし「続ける=(成功)」ことが、答えの出ない「考えを学び続ける」 哲学に似ているからだと思います。 なお、これらの考えを持つためにはそもそも強い創業理念を持つことが大事です。 「お金」といった仕事の「対価」を目的としたゴールではなく もっと深いところに理念を置く ことが重要です。 自分の将来したい事業を成功させるためには、一人で学ぶのは持ちろん大事ですが 人と人との交流の場を持ち、意見交換することもまた大事だと思いました。

東京は視野の狭い人がいる。

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東京に来て、事業のチラシ配りをしました。 東京は京都と違って人が多いです。 「人が多い」ということ、および「意外と東京の人は冷たい」 ということを念頭に置きチラシ配りをしましたが不自由を感じませんでした。   しかしわかったこととして人の注意の向くほ方向が違うことがわかりました。 それについて述べます。 京都では歩いている人の視野は広いのに対し、 東京では歩いている人の視野は進行方向の直線のみということがわかりました。 東京では発信される情報が多く、必要以上の情報を仕入れないため 視野が狭くなっていることが考えられます。 一方京都は観光地であるためいろんなものを見ようとし 視野が広くなっているのかもしれません。 最初は視野の違いがわからなかったため、無視されることに抵抗を感じましたが 視野の違いがわかってからは、無下にチラシを拒否されることなくなりました。

少数に惑わされない

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広 く社会を見る方法は変わってきた 世の中の全体的な情報を得るために新聞を読め、とよく言われていました。 確かに情報を仕入れるために新聞を読むこと正しいですが 新聞記事には主張があり、それは各新聞紙で異なります。 ですから、新聞を読む場合は複数読むことが重要だといわれています。そういう意味で真実だけを記載・発信するメディアが欲しいです。 一方、近年ではインターネットを通じて簡単に情報を得られるようになりました。 自分に合う形で仕入れ、情報を編集できます。便利です。 そうした情報を簡単に得ることの出来る社会で 「働くこと」はどのような意味をもって発信されているのでしょうか。 自分が良い働き方や生き方を参考にする意味で 新聞やテレビなどメディアが発信する情報は役立ちます。 そこでここではメディアで発信される「働くこと」について、述べます。 メ ディアの取り上げている例 多くの新聞社やメディアは成功者と呼ばれる人を持ち上げます。 ただし、そのような成功者はマイノリティ(少数な人)です。 よくその成功者に対して成功のノウハウを紹介した特集が雑誌などで組まれますが 皆が皆、その人のように行動したところでよい結果はえられません。なぜなら人は違うから。  またそうしたメディアから安直に成功できる情報を受け入れ、 それを元に成功したとするならば、嘘だと思って間違いないと思います。 本当に成功の出来る人は安直な道をとらず人知れず努力をしているからです。  よってメディアにより単純に惑わされないようにしてもらいたいと思います。 メディアは得てして企業で働くことに対する不安をあおり、独立を成功と書きます。 しかしその後までは書かれません。 極端に言うならばお店の場合、メディアの取材したときには大繁盛しても その直後に破産している場合もあるわけです。 つまり、情報は「信じすぎない」、あるいは「疑う」姿勢が大事なのだと思いました。 それを以下を読んで考えました。 「働くということ(日本経済新聞社編 日本経済新聞社発行2006.9)」

産業医との関係を持ちたい。

産 業医の役割 と私の役割 産業医はどのようなことをしているのでしょうか 私が会社員で仕事をしているときは、年一回 健康診断において問診をされる程度の認識しかしていませんでした。 一方、精神保健福祉士として学ぶに当たり、産業医は企業に接すること、 さらに書物を調べますと、 企業内に入って精神保健活動をしていると書いてあります。 確かある程度の人数が居る会社は 産業医を雇わねばならない義務を負っていたと思います。 また産業医は一人で多くの会社の顧問をしていると聴きます。 そこで私は出来る限り多くの会社との関係をつなげたいと思っています。 その意味では産業医との関係を持つことは 会社での関係を知る上で重要と考えています。

結婚を破綻させないコツ

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結 婚と離婚 近年結婚および離婚数が増加 傾向にあります。 離婚をし最終的に一人で人生を歩むことになることは考えられますが、 結婚期間中は出来る限りよい関係を保ち、長く生活したいと誰しも思っています。 その良い関係を長く保つには、何を大切に考えたらよいのでしょうか、 ここではその人間関係の大事な点大切さを述べたいと思います。 なお、離婚の反対は結婚で、他人の男女が婚姻届という契約書を提出します。 まったく違う環境で育った異なる二人が同じ生活しますから 最初はどんなに意気投合できたとしても、長く生活していくうちに 二人の違いは出てきます。 ですから違いはいつまでも認識してかないといけません。 結 婚して欲する原因 最近は食料、住環境などある程度満たされていて、また少子高齢化です。 このことから子を大事にし過ぎ 、他人をないがしろにする傾向 がみられます。 こうして過度に甘えられた子ども同士が成人し、そして結婚をすると 男女のお互いがお互いに「結婚してる(付き合ってる)んだからわかってくれるはず」  と勘違いします。そしてそれが伝わっていないと不満が生じます。 この不満が積もりに積もってゆくと、離婚などの問題になるのです。 ですから結婚相手は自分と違うことを最初の段階で認めること、 また出来た子どもも認めることでよい人生を迎えられると思います。 「こんなところが好きだよ」「それ、良いじゃん」「こんなところが違うね」 こういった相手を認める発信をすることで関係がよくなるかもしれません。 それを以下を読んで考えました。  「女のものさし 男の定規(NIKKEIプラス1 編 日本経済新聞社発行 2003.9)」です。

自分の生き方を決める。

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決 められない自分の生活 われわれ日本人は生まれながらにして医療技術も恵まれたところで死なず、 育つ家庭では法律やアメリカから守られているため戦争を経験していません。 3食も不自由なく得られ、小学校から大学まで親のお金で通わせてもえることが多いです。  更に大学を出れば就職し、極端な成果をださなくてもそれなりに給料がもらえます。 就職後はそれなりに付き合った異性と結婚し、それなりに子供を作り、それなりに暮らします。 そんな生活が出来れば悪くない、もしくは凄く理想的かもしれません。 こうした状況ではなかなか自分で自分の生き方を決めることは 難しいものなのかもしれません。しかし動物として人間が生きる意味では 自分で自分の生き方を決める必要があります。そこでここでは 生き方を決める方法、決めるための指針を述べます。 理 想と現実で揺れる私 上記の理想的な生活は自分の個性を殺し、自分らしさをなくすと得られると思います。 しかし人間はみな違い個性的です。ですから理想的な生活を送ることは凄く難しいです。 理想はあるけど、理想どおりできない。そう思った方の多くは考えます。 「自分の人生って何だろう」と。 そうした考えは変えられたらすばらしい人生を歩むことができます。 では、どうすればよいのでしょうか。 若 い頃の気持ち 若い頃はそれなりに夢を持っています。 常に同じ日が続き、常によくなり続けるはず、と思っています。 そして甘えん坊です。イソップ物語におけるすっぱいブドウの話のように、 目標物が自分にふさわしくないと容易に考え、別のもので自分の心を満たそうとします。 すると結婚や仕事など形式的で安易な場所に逃げる傾向にあります。 実はそのこれらのことが満たされても、本当は自分は満足しません。 これら気持ちには、何かしらに頼っていたい不安な気持ちが存在しています。 現実に足をつけず、自分に自信がないのだと思います。 さらに周りと自分を常に比較し、自分に劣ったことがあると落ち込みます。 落 ち込みをパワーに しかし落ち込みや思い込みが大きければ大きいほど、深ければ深いほど 大きなパワーになると私は考えています。

町で見かけた節税。

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近 くのスーパーにおける節税 わが家の近くにあるスーパーでは不定期にレシートの額を還元しています。 店で出されたピンク色のレシートの裏に住所と名前、電話番号を書き、 店内に設置された、一部口の開いた目安箱のような箱にそのレシートをいれます。すると 1週間後に当選発表がなされ、当選した方はレシートに記されたお金を受けとれられます。 そのお店を利用し始めたときはなんて太っ腹なんだと思っていましたが、 よく考えると立派な節税方法なんだ、ということが最近になって気づきました。 それを紹介します。 節 税の構造 目安箱に入った住所と名前、電話番号入りのレシートを返品扱いにするのです。 すると売り上げた金額が返品費として経費計上できます。 当選したお客さんに返金するお金は一部損にはなりますが、それを差し引いても お得です。またお客さんも、本来捨てる予定のレシートに名前と住所、 電話番号を書くだけでお金が還元されたら嬉しいと思います。 まさにお店とお客さんとのWin-WIn関係ができあがっているといえます。 コンビニではレジ前に設置してある「レシート入れ」に入ったレシートを返品扱いにしている、 という話をききますが、このスーパーのようにお客さんへ積極的に節税に協力してもらう システムを作ったことはすごいな、と思いました。

The Bestではない関係作りが世界を救う

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学 校での解はひとつ 社会で出される課題への解や解決方法は複数あります。 一方学校において出される課題への解や解決方法は通常一つです。 ですから社会の課題解決に向けて学校での課題解決方法は 活かせられないことがあります。ではそのような場合、どうするのでしょうか。 社会への課題解決を考える場合、われわれは何とか課題解決方法を複数出すようつとめます。 そして複数出された課題解決方法から、その時々で最良の選択をしています。 出来るだけ多くの課題解決方法を出すためには、多くの人間の知恵が必要です。 ですから、課題解決方法を複数出すため、知恵を出すことに協力してくれる 利害関係の無い人間関係いわば平等な友達・親友を作ることは重要です。 そこで、ここでは平等な友達・親友を作る方法を書きます。 人 間関係の本質は 人間関係を作る場合、人は通常最初は受け入れられるかな、という不安を抱いています。 ですからその不安を取り除くため、自分の状態や経験をシェアします。 するとそれを受け入れてくれる人が集まります。これがひとつの関係です。 そしてそれが複数集まることで、多くの方法、課題が解決できます。 順番を書くと 地位や名声にこだわらず素を出し、素を見ます。 同じような感情や動作を受け入れ、共有し、問います。 問いからネットワークが形成され、平等な友達・親友関係ができます。 となります。 出す素や問いにおける言い方によって関係は変わります。 それをこの本を読んで考えました。 藤原和博 人生の教科書「人間関係」 ちくま書房 です。

法律を使うときの注意。

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変 える事ができない制度 我々の住む 日本は 法律が敷かれていて、 良くも悪くも、国民は法律で守られています。 また利益を生む会社も法律の上に運営されています。 この会社は人間関係を元に回っていますが、 時々各人間間でトラブルになることがあります。 そうしたトラブルの解決を考えた場合、 法律を知っていると よい対応ができます。 そこで、会社とりわけ労働における法律について書きたいと思います。 なお、先に結論を書きますと良くも悪くも場合によります。 な ぜ・言い方の問題 なぜ場合によるかというと、 上司や他の社員、経営者との関係によって解決策は法律に勝ることがあるからです。 逆に法律や制度をむやみに頼り“過ぎる”のは危険と考えます。 なぜ危険かというと、法律に頼りすぎることで相手の心象が悪くなるからです。 心象が悪くなると、仕事をし続けるのが難しくなります。 その例のひとつは、警察が交通違反で違反者を取り締まる場合です。 彼らは基本的に「法律違反だから罰金を支払え」といいます。 法律違反か否かの微妙な場合は納得できず腹が立ちます。 一方同じ罰金の命令をいい渡す方法でも 「人をひいたら慰謝料めっちゃとられるんはしっとうやろし、  そのためにこういう法律あるから、今回は勉強代だと思って払いや」 ともい言われると多少なら納得しやすいです。 そういった気持ちの違いです。 ト ラブル前後の問題 また、「仕事」はトラブル以後も続けなくてはなりません。 ですのでたとえ法律を根拠に裁判で会社を打ち負かしても、 以後会社で働くにあたり接しにくくなります。 再度トラブルの発生することは避けたいからです。 そんなの毎回裁判すればいいではないかとも考えられますが、 肩肘張って疲れると思います、会社、自分お互いに。 そもそもトラブル以前に高齢者の雇用や 男女間の雇用にかかる法律の制定に関しても私は疑問があります。 老人の定年を遅らせる代わりに若者の労働機会を奪って良いのか、だとか 違う役割や構造の男女を、法律という決まりで同一とみなしてよいのかと思うからです。 今ある法律は細かくみるといろいろと問題があるのだと思いました。 それを以下を読んで考えました。 大内伸哉 どこまでやったらクビになるか 新

心の充足が高いと思われる国は世界にある。インドだ。

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も のづくりにおける人件費 ものづくりで一番高コストなものは人件費 といわれます。ですからかつて日本の企業はトヨタ自動車をはじめ 「KAIZEN」を合言葉に、人間の行動する時間を減らすよう努めました。 しかし人件費は年々高くなってゆき、これ以上人件費を上げられなくなってからは ものづくりの現場を人件費の安い中国や韓国へと移転させました。 今は、中国で製品をつくり、輸出している会社も多いと聞きます。 そのおかげかどうかはわかりませんが、中国の景気はいいようです。 しかし景気がよくなった一方、最近では中国の人件費も徐々に高くなっています。 そこで企業は中国から新たな土地へ、ものづくりの現場移転を計画しています。 その候補地のひとつとして インドがあります。 インドは人口が中国についで 2番目 に多く、 東京裁判でもあったように親日国 です。 ですから中国や韓国のようにストライキが起こって現場がとまるリスクを考えると 移転しやすいかもしれません。 今後ますます発展し、そして関わりが強くなるであろう インドの文化を知ることは重要になると考えたため、調べました。 ここではインドの状況とよいところを述べます。 カ ースト・インフラ カースト制度が続いています。 そして日本以上に家族関係や体裁を気にします。 水や交通機関などのインフラの未整備なことが多いです。 『ものがない』状況でどう生きていくか考えねばなりません。 移動も、バスや電車で1日2日かかります。 日本では信頼が元に社会が構成されていますが、インドはそれと対極にあります。 心 の充足度 しかし、人間的な豊かさでは、絶対的に崩れないカーストと宗教です。 その中で生きる人の心は日本以上に満たされている可能性があります。 私の父親も昔インドに住みたいといっていました。 そう発言した父親に当時の私は否定的態度を示しましたが、 心の充足度が日本より高いと感じたのかもしれません。      それを以下を読んで感じました。 冬野花 インド人の頭ん中 中経出版 2009.3です。

変えられることを変え、変えられないことを受け入れる。

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自 分の意識 皆さんは仕事をするとき、自分を意識することはありますか。 自分としての自分と、仕事人としての自分です。 自分としての自分を考える場合は哲学的な話になると思いますが、 仕事としての自分を考える場合は、プロとしてのあり方になると思います。 私は時々、人の話を聴いていて自分と仕事人との考えが拮抗します。 そのときは変えられない自分の心に素直になって、気持ちを認めます。 すると割り切った感じがしておさまることがあります。 仕事のプロとしてこのような変えられることと変えられないことを知ることは 自分が関与するか否かの判断をする上で重要です。 そこでここではそうした仕事の変える事変えられないことは何か どうすればプロとして大切なことを述べます。 変 えられない物変えられる物 仕事をする場合、お客さんがあり、お客さんの要望を応えます。 お客さんの要望に応えるために組織や能力の決まりにのっとります。 それは決して変えられない物です。受け入れる必要があります。 一方、自分で変えられるものもあると思います。 そのうちの一つは自分の余裕の持ち方です。 特に接客業や営業をされる方なら無意識のうちにされていると思います。 仕事そのものをしながら相手はどのような人なのか見る。 そして分類しながら全体的に特徴をつかんでいることを。 そういった余裕が無いうちはプロではないと感じます。 目に見えないものは勿論ですが目に見える態度や立ち振る舞いもそうです。 他者を見極め、分類し記憶し、他者と自分との性格とのからみあわせる。 そして自分の能力以上の課題がある場合は他者との協力がされるのだと思います。 それを以下を読んで考えました。 岩崎峰子 祇園の教訓 大和書房 2007.10です。

好きから生業を!

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な んのための仕事か つまらない仕事をしていると、 「お金のためとか親のためとか、誰かのために働いてはいるけども  決して自分のため、自分のしたい仕事していないな。」 と考えることがあります。これは私はおかしいと思います。 なぜなら自分のためのしたい仕事こそ至高だと思っているからです。 そのような至高の仕事を探す・再確認するにはどうしたらよいのでしょうか ひとつに、職業選択の節目やキャリアチェンジ時に 自分の小さい頃にしたかった仕事を思い出す 働きはじめのフレッシュな自分の気持ちに立ち返る ことが必要なのだと思います。 そのことについてここでは述べます。 素 直に感じ、仕事を醸成する 資本主義な世の中です。お金さえあれば ほぼ 何でもできます。 しかし、お金を稼ぐことを目的とするならばどうなるのでしょうか。 「お金を稼ぐ」ことを目的とした場合、犯罪まがいの手段も是 となります。 それは果たして「良い」ことなのでしょうか、私は疑問です。 私はお金が少なくても充実したそれぞれの人に合った生業はあると信じています。また 利害関係なく フラットに等身大な自分を話せる関係がある 、そうも思っています。 そのため、 自分の心を聴き、感情を素直に受け取ることが重要 だと考えています。 「好き」「嫌い」「嬉しい」「怖い」など本当の自分の気持ちを素直に感じます。 そしてそれを元に楽しいこと、好きなこと、したいことを見つけられればいいと思うのです。 しかし仕事は勿論仕事で他人様あってのものですから理不尽なことはあります。 ですが、自分のしたい仕事でしたら多少困難なことがあっても影で努力をするなり 人間関係も何とか形成しようと考えるものなのではないでしょうか。 自分に興味のあることならば決死の覚悟で真剣に仕事へのぞめる と思います。 そして最終的にはしたいことを続けることで自分がプロ、専門家となり、 専門能力に見合った高給がもらえる のだろうと思います。 つまり お金はあくまで結果 なのだと思います。 それを以下を読んで考えました。 中島義道 働くことがイヤな人のための本 日本経済新聞出版 2010.2

現状の不満を解決する!

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不 満がある人はどこへ行く? 現状の生活に不満があり、その不満に苦しんで生きている方は多いです。 そうしたもがき苦しんでいる方は不満を解消するため「自分探し」と称し 海外へ留学、旅行するケースがあります。 不満を認識してそれを行動力に変えることは凄いことです。ですが わざわざ海外まで行く、そこまでお金をかけてするべきことなのでしょうか。 ここでは遠くにまで自分を探しに行く必要性はないことについて記します。 足 元を見れば!? 世には「灯台下暗し」という言葉があります。 最良の幸せは目に見えにくいだけで近くにあるのかもしれません。 それを知ることは自分の限界を知る意味でも、 過剰な欲求をしない意味でも重要です。  そのためには 欲にとらわれず、あるがままを受け入れる ことが必要です。 人は生きるうえで人間関係や経済活動、病気など多くの試練を迎えますが 歪んだ考え方には考え方の転換(リフレーミング)を用いて ほどほどの距離を、ストレスも反発精神に切り替えながら 今ある状態を受け入れることが重要なのだと思います。 それを以下を読んで考えました。 斎藤茂太 自分らしく生きるヒント PHP文庫 1999.1です。

素直に感じ、「したい」を育てる。

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子供の頃、母親が自分の生き方を何でも決めてくれたように 大人になっても自分の働き方が誰かに操作されている人がいます。 そのような操作された働き方をしている場合、いつも心の奥底で 「しなければならない」気持ちを感じながら、同時に無気力さ感じています。 一方個人の「したい」を見つけることは、よく生きる意味で重要です。 そこでここでは、個人の「したい」ことを見つけるにはどうするかを書きました。 思 わぬ自分の勘違い 「上司や親(スポンサー)に逆らうべきでない」 「自分の意見は黙っているべきだ」 と、昔の私は考えていました。そして 「相手の相手の顔色を伺おう」 「嫌われないようにしよう」 と思い行動した結果、周りからは余計に嫌われました。 残念な人生とはこういうことなのだと後になってわかりました。 当時は凄く悲しかったです。 しかし悲しみの経験から自分が 素直になろう「なりたい」と考え現在に至っています。 気 づいたこと ・心の中に思うこと そういったなんでも感じることは大事です。 感じ、お互いに共感することで 新たな発見や、 新しい行動を促せられます 。 またその新しい行動の裏には 「したい」と言った純粋な気持ちができます。 一方個人の集まった集団にも「したい」があります。 それは上記のような個々人の「したい」と異なります。 この違いがない、あるいは影響のないくらい小さな違いであるならば ほうっておけばよいかもしれません。しかし違いが大きくなり続ける場合 最終的には集団が「したい」を個人に守らせようと マニュアルを作成させことがあります。 すると集団が安定を求めて動き出し、 個人を潰す様になります。これは問題です。 ですからたとえ今は集団の中の「したい」にとらわれている方でも その中で個人の「したい」を育て、発達し続ける必要がある それを手伝えるようになりたいと思います。 それを以下を読んで考えました。 山崎将志 残念な人の働き方 日本経済新聞社 2013.7です。

ネットをつかって実践で学ぶ

問 題となっている犯罪自慢 昨今、twitterやfacebookで犯罪や奇行を自慢する事件が多いです。 http://www.j-cast.com/2013/09/04183012.html?p=2 http://jacklog.doorblog.jp/archives/32805237.html 今ニュースを見ていてもこういう記事がありました。 総じて若い人たちのされていることが多いようです。 「馬鹿だー」「ざまぁぁぁ」といって笑うのは簡単ですが、 私には複雑な問題が絡み合っているような気がします。 そこで今回はその複雑な絡み合った問題について どうしたらよいか書きたいと思います。 こ れら問題の原因と対処を考える この問題の原因は 相手がどう思うかといった気持ちの感じなさ、 自分が逆の立場でされたらどう思うかといった気持ちの理解、 公開したという顕示欲、そして実行したときの影響の大きさの不理解 があると考えています。 結果だけで見ると短絡的過ぎて、未来を考えていないことがわかります。 そして、悪い行動をしても、完全に隠し通す技量もありません。 となると、犯罪で捕まったり賠償請求されることも含め 何事も経験する必要性があります。 勿論今後犯罪を増やさないためには十分教育する必要がありますが 果たしてそのようなことを教育できる場は学校、家庭、どこなのでしょうか。 どこにもないような気がしてなりません。

チラシ配りでわかったこと、気づいたこと。

何でも注意深く行動を続けることで その行動の中から法則のわかることがあります。 私のしていたチラシ配りについてもいえることがありました。 そこでここでは どのような場合に受け取ってもらいやすいか どのような服装ならチラシを受け取ってもらえやすいか についても考察したので示します。 受け取ってもらいやすい法則 具体的には以下のように考えられます。 8時から10時くらい>7時から8時くらい>10時から12時くらい 一人>複数 ゆっくり歩き>はや歩き 笑顔の方>表情の硬い方 配る人の服装が会社員風>配る人の服装が学生風 何のチラシかを言いながら>何も言わずに ということです。 時間による人の違い また、朝早くは電車の乗り継ぎで急いでいる人が多く 昼時は友達とランチを一緒にしている場合が多いです。 さらに共感を呼ぶためか配る人の格好に合わせ 私もスーツで配っていると会社員風の方が 多く受け取ってもらえるような気がしました。

ソーシャルワーカーとは何か。

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ソーシャルワーカーが注目されてる  私もそうですが「ソーシャルワーカー」という方が居ます。これは「人を支援する職種の方」です。この 「ソーシャルワーカー」は相手が良く生きられることを目的 に、 危険な場合への対処や環境、関係を改善するための行動をし ています。  近年では介護保険を使われる高齢者さんや身体・知的・精神の障碍者さんの自立が求められている中で、生き方を支援するソーシャルワーカーに注目がされています。  そこでここでは世間で必要とされているソーシャルワーカーとは何なのか、ご紹介したく、文章を書きました。  なお、私は福祉の業界に入るまでそうした方がいることを知りませんでした。 ソーシャルワーカーのすること  彼ら ソーシャルワーカーの一番の仕事は見守ること です。そのためには 待つ姿勢が大事 といわれています。つい助けを与えるといった「援助」と勘違いされがちですが、そうではなく、 待つことで相手の 「自立」を支援します 。  支援対象者はホームレスや精神障害者、不法占拠をしている方、虐待した/されている親子 など、何らかのアプローチを必要としている方々です。   なお、働くには公務員として働く場合と、民間で働く場合とがあります。  公務員として働く場合は、役所やそれの管轄している福祉事務所などで働いています。頑張った分だけ給料がもらえるわけではありませんが万人に対応することが求められます。  一方民間で働く場合は、作業所や入所施設、会社などで働いています。こちらも結果を出したからといって高給はもらえるわけではありません。公務員の場合と違って、特定の限られた方に対応することが求められます。 ソーシャルワーカーに必要なもの  上記支援対象者の方々に支援をする際、場合によっては強制的にでもかかわらないと悪しき状況になると考えられる場合があります。そうした場合は「危機介入」という行動をとります。  危機介入時には、動くことはもちろん、事前にいかに環境調整を図るか、相手の自立をどう促すかといった視点を持つことが求められています。  多くが関係や環境という目に見えくいものを扱うため、結果が目に見えにくく、 努力量に比べて見出せる成果は比べ小さい です。また言い換えると手を抜こうと思えばいくらでも手け

技術者の冷遇を予算と経費で見る。

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技術者は冷遇されている? 2006年ごろ、私は会社でスケールアップにおける実験を任されていました。 それによる結果はある程度出たのですが、 なぜそのような結果になるのかわからないことがありました。 そこで考察のお手伝いをしてもらうことを目的に 私が通っていた高専に行き、先生に結果の解釈を相談しました。 先生に相談すると結果の原因はあっさりわかりましたが、 相談した折、その内容とは別に、その先生から 日本の技術者が「冷遇されている」もしくは 「報われない環境にある」ことを聴きました。 それを受け、確かにそうなのか、 仮にそうだとして何が原因なのか、 会社における研究開発って何なんだろう と考える必要があると思いました。 そこでここでは考えた末に思いついた 会社における予算の自由度について述べます。 冷遇とは、自由裁量の予算が使えないことと考える。 結局技術者が報われないということは 自由裁量で使える経費が少ないといえるのかもしれません。 とすると、どこで多くの出費をしているか考え それは研究者以外の誰かがどれだけ多いか ということによるのではないかと考えました。 そこで会社における自由裁量で使える経費の違いを考えます。 通常大企業と中小企業とでは 予算そのものは絶対的に違いますが 仮に同じ程度の予算がついたと場合はどうなるのでしょうか。 大企業と中小企業とでの経費の違い 大企業の場合は人数の総数が多いです。 それぞれの役割分担はしっかりしていて 研究者は研究に没頭することはできます。 一方で研究を支える管理者も多くなります。 すると一人頭で使える予算は少なくなります。 一方中小企業は人数が少ないです。 何でもやらされる意味で役割分担が明確に決まってはいません。 そうした意味で研究者も事務作業などをすることもありますが 人が少なくてすむ分だけ経費も少なくてすみます。 ですから規模が小さいほど一人頭の予算が大きくなります。 もちろんどのような分野であるとか、 企業規模にもよる部分はありますし さらには研究する内容によっても違うでしょう。 <おそらく濃い研究をするのであれば大企業のほうが 専門的にその予算を取ることができる分だけ適する> ですから一概にどちら

チラシ配りの立ち位置の違い

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慣 れは強い チラシの配りも慣れると、断られてもしょうがないと諦められるようになりました。 また断られるのが当然と思っているうえで、受け取ってもらえた場合は嬉しいです。 今はチラシを受け取ってもらえなくてもかまいません。 まだぜんぜん種まきの時期だと考えているからです。 ですから植物でいうならば栄養をやり水をやりながら 立派な花なり木なりが生えることのできるよう期待しながら精進します。 しかし、直接断られることなく、無視され、そっと避けられると凹みます。 ですからそうしたことへの対策を考え書きました。 断 られている状況 ちょうど人の通り道に私がいるのかもしれないと思いました(図1上黒矢印)。 また、場合によってはチラシを配布できない人が居ます(図1下黒矢印)。 図1.改善前 白丸部分がチラシを配布できる範囲 私は白丸中心地に立つ感じ また、これまでは橋を背にしてチラシを配っていました。 すると私の心理的には寄りかかれる意味で楽なのですが、 そこを通行したい人には、避けなくてはならず邪魔です。 そこで、私が橋から少し離れてみようと思いました(図2)。 図2.改善後 白丸部分がチラシ配布可能範囲      私は白丸中心地に立つ感じ 効 果 このように立ち居地を変えるだけで 今までチラシを渡せていなかった進みたい人や (下の黒矢印の人)にもお渡しすることも出来ました。すると 心なしかチラシを受け取ってくれる人も多いように感じました。 今日はそのような発見をしました。

精神疾患と薬漬け

本来は自己免疫力で治るものですが、 病気を<薬で>治すという誤解が、 薬への依存を高めていると思います。 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3121?page=1

転職時のお助け人がいます。

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キ ャリアコンサルタント・人材紹介業というものの必要性 日本では誰にでも職業 選択の自由 が認められています。 そのため、転職も出来る世の中となっています。 転職をする理由は、新たなキャリアを磨きたいであるとか 今の職場環境が嫌、給料が低いなど人によりさまざまです。 ただしいずれも転職の共通点として環境が変わることが言えます。 こうした環境が変わる場合、特に一人で活動していますと ストレスが溜まって精神疾患になることがあります。これは困ります。 それを防ぐにはどうしたら良いのでしょうか、ここではその対処方法を書きます。 仲間が必要になる場合がある 対策のひとつに 環境変化に対応することも含め、 仕事を選ぶ「仲間」となる者、第三者の専門家を用い、 転職をともに勝ち取る方法があります。 その専門家とはキャリアコンサルタントと呼ばれるものです。 私はキャリアコンサルタントではないのですが、 お客さんの新たな生き方を考える場合、 このコンサルタントの知識はあって損は無いものです。 そこでここではその分類を述べます。 なお、私が生産技術から研究開発への転職をしたときには、 キャリアコンサルタントではありませんでしたが人材紹介会社を用いました。 そうした人材紹介会社に頼んだほうが 転職時の書類提出の手間などが手っ取り早いと思ったからです。 人 材派遣業の型 キャリアコンサルタントさんはもちろん単独で働いている方も居ますが それだけでなく、人材紹介会社で働いてる方もいます。 単独で動かれている方はその人によるところが大きいのだと思いますが  人材紹介会社に関して書きますと、その型として お客さんが情報を登録する登録型 役員など企業とお客さんとをマッチングするサーチ型 企業間で野の取引、プレスメント型 の3つがあります。 例えば電車のつり革広告で見かける転職支援サイトは登録型です。 必 要な資質 こうしたキャリアコンサルタントという職種に向いている方は ①お客さんを待てる人 ②ノルマに追われても気にならない人 です。 お客さんの転職成功が報酬となります。泥臭い仕事です。 紹介会社で働く場合、多くが会社員としての採用になりますが 私は、そぅした中

卑しくない夜の女を求めて

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水 商売 のスペシャリスト 他の方がどう言うかはわかりませんが、 私は「夜の世界でお金を稼ぐ女性」は色恋沙汰や 男性の心を操ることには専門家であり、尊敬できます。 彼女らの働くことのできる聖地として 東京には銀座・六本木・歌舞伎町が、 大阪には北新地が、そして京都には祇園があります。 そられの場所では女性がお客さんとお酒を交わしながら話をし、 時には体の関係を持ちながら、お客さんを支えます。 私は話を聴く専門家として、 彼女らの技術を参考にさせていただける部分もあるかと考え、 一時期、祇園のキャバクラに通っていました。 しかし残念ながらお店が女性の素人性を売りにしていた場所でしたので 通うのを辞めました。残念です。 通 っていたときに感じたこと 私が言った店舗はやはりというかなぜかというか 素人性を売りにしているからかは分かりませんが 話をしているとふとした瞬間に「金使え」という、 心の卑しさがにじみ出てみえ、悲しかったです。 ですので、いつかクラブにいけるだけの人脈を持ち合わせたら プロのホステスさんから卑しくない本当の会話術を学びたいと思っています。 さて、そのような願望を抱きながら本屋で本を見ていたら 興味深い本を見つけることが出来ました 門倉貴史 夜のオンナはいくら稼ぐか 角川(2006)です。 誰か一人が「言ってた」ことを信憑性のあるデータとして扱っていること。 世界の夜の仕事が売春に偏っていること。 やたら韓国に関する話題が出てくること。 からいろいろな要望が入り組んだ本なのだろうなと推察されました。

成長には別れ・退路を断つ

成長には別れ、退路を断つこと 成長をするにあたって必要なものに「別れ」があります。 それは「退路を断つ」ということと同意です。  「退路を断つ」こと、すなわち 「進むしかなくなる環境を作る」ことは、 たとえどんな結果になろうとも自分にはプラスに働きます。 なぜなら物事は捉え方によって マイナスにもプラスにもなるからです。 捉え方の問題例 例えばある選択をして失敗した場合であっても 「失敗したこと」がわかってよかったと考えることはできますし 「何が失敗したか」を考えられる余裕があるならば そうした考えるチャンスが得られた分だけ成長していると思います。 こうした考えには退路を断って行動を移さないとわかりません。 仮に何もしないで漠然と幸せを待っていたとしても それが自分が幸せになれるとは限りません。 されるがままよりも自ら進んで動く ですから自分から動き、幸せを自らつかんでいったほうが 良いのではないか、と思います。

平均とばらつき

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今日の京都はいい天気でした、にもかかわらず、 昨日野暮用で作業をしていたため、睡眠不足から おきるのが遅れてしまいました。 そのため府の資料館に来ていますが、何か話しのネタになる本は ないかなと見ていたところ、毎月勤労統計速報なる 厚生労働省統計情報部が編集している雑誌を見ました。 このような雑誌です。お近くの公立図書館に行ったらあるかもしれません。 これは3ヵ月毎の給与と労働時間を、 各県ごとおよび全国平均で表したものです。 給料の推移 全国的な給与は 決まって支給する給与=基本給+能力給的なもの 特別に支払われた給与=ボーナス とでそれぞれあらわされていて、7月はボーナス月のためか 特別に支払われる額が8月、9月に比べると全国的に多いです。 決まって支給する給与は東京都のものが月35万弱で一番大きく、 次に大阪か神奈川で25万、愛知がその次に続いています。 このようなものをみて、平均がああだこうだと議論するのはナンセンスです。 なぜなら、各県毎、労働者の母集団が違うからです。 それよりばらつきがどのようになっているのか興味があります。 平均の穴 平均だけでみてしまうと、思わぬ穴があることがあります。 例えば4人社員さんがいて、給与が全員50万円なら平均50万円となりますが 一人が200万もらって残りの3人が0円でも平均50万円となります。 前者は4人全員生存できる可能性がありますが、 後者は1人が生きて残り3人は死んでしまう可能性があります。 なお、東京や大阪は多くの人口が居て、いろいろな職種の人が居ますので 給与の幅も大きいのだと思いますが、恐らく、愛知県では トヨタやそのた自動車会社が多く、給与のばらつきが少ないのかなと思っています。 これをみて、どちらがいいかということは、人の価値観によるため、わかりません。 経営者としてみたら、ばらつきをもって勝ち残るのが是でしょうし、 福祉関係者からしてみたら、ばらつきない世界を望むのが是でしょう。 次の一手は立場により大きく変わりそうです。 加えてこの雑誌、各県ごとの労働時間の比較もあるので

逆境には諦め!と知ること!

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苦境に立たされた際、つぶれてしまう方がいます。 一方で、はつらつとなる方も居ます。 こうした違い、特に後者のような 苦境を跳ね除けるパワーを身に着けるにはどうしたらよいのでしょうか。 文献を参考に考えました。 ポイントは喪失 逆境は挫折とも、 喪失ともいえます。 その原因には環境の変化がひとつあります。 昇進への期待や、他者への思い込み、 離婚、病院生活、投獄などでしょうか。 どうしようもないことはどうしようもないのですが だからといってもうだめだ、などといって腐らずに 自然に逆らわず、諦め 自分を見つめ直すことと 書くことが大事なのだと思います。 見つめることは冷静になることであり 書くことでも客観性を持って考えることができます。 さらに遊ぶ さらに逆境にさらされたことを楽しむあるいは遊ぶこと 一方でどうしようもなくないときは休むことが重要です。 場合によっては嫉妬から頑張る気負いも必要です。 いずれも過去を忘れ、積極性を持つことが重要なのかもしれません。 それを以下を読んで考えました。 逆境がプラスに変わる考え方 斉藤茂太 PHP研究所です。

曇りから晴れの人との交流

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今日も朝は冷え、なんともいえない天気だったのですが、 (昨日の雨の影響もあってか、鴨川も濁っています。) 外に出てしばらくしているうちに晴れ目が見えて着ました。 (奥が南側でわずかにはれているのが見えます。) 昼前にはだいぶ雲が少なくなっている状況でした。 (ぬれることがなくなるからよかったです。) こうしたことはチラシ配りにも言えます。 チラシ配りとフルート吹きさん 今日のチラシ配りの途中、四条大橋の下にて フルートを吹いている方をお見かけし、声をかけさせてもらいました。 誰にも受け取ってもらってどんよりした気持ちの中であったのですが 何か音に惹かれ、話しかけた部分がありました。 その際、何か変な駆け引きのない会話をすることがすがすがしく感じました。 仕事の会話は緊張感があってよいですが、それとは違った楽しさがあります。 こうした異なった気持ちや考え方をどう受け止め どう取り入れられるかが楽しく生きるポイントだと思います。

本当の愛を手に入れる本を読みました。

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私 の好きな著者 私は斎藤茂太さんと、加藤諦三さんの本が好き です。心に来るものがあるからです。 加藤さんの本は私が福祉を志すきっかけとなったものがあります。 同じことを多くの見方で書かれているため理解しやすいです。 斎藤さんの本は、ものやさしい表現を使われていてわかりやすいです。 あ るべき形 昔から日本人は欧米などと比べて幼いといわれています。 これは ①同調が好きなことと、みな違うことへの不理解があり ②最高と最良を撮り間違えていることが原因なのかもしれません。 その原因はどのようなことから起こるのか述べます。 同調が好きな背景には自信の無さが考えられます。 こうした自信の無さは ①女性が子供を生むことと ②子供を育てるにあたり弱者になること から、誰かに幸せにしてもらいたいといった考えがあるからかもしれません。 最高と最良の取り違える原因のひとつは、 ①少子化によって子供に多くの手がかけられるようになったことと ②技術の発展によるものが考えられます。 これらが絡み合うことにより と親が子に対して過干渉となり、甘やかされて育った子は限界を知らず、 最良の実感がないまま最高を目指すように育っている可能性があります。 これらが発展すると 個を大事にする社会で孤立してしまいます。 すると人とは付き合うことが難しくなります。 人の気持ちがわかる機会が減ることから たとえば仕事において、大きな影響を及ぼす可能性があります。 それを以下の本を読んで考えました。 斎藤茂太 本当の愛を手に入れる本 PHPです。

宣伝方法を考える。

私は専門家さん向け相談を聴く事 をしようと考えています。 そのため現在は チラシ配り ブログの更新 をしています。 なぜチラシ配りをする 社会に居る専門家さんの数は一般の方に比べ少ないと思います。 ですから少しでも多くの方と接することにより その仲の少ない割合の専門家さんのお手伝いをしたいと思っています。 そこでチラシ配りを行っているのです。 たいてい一人で歩いている方に声をかけると聞いてくださる方も居ます。 そうしたお話のできる方はチラシを持って行ってくれる確立は高いです。 ただ一方的に声をかけても それが相手にとって面倒だから聞いてやるか、 と思われる場合もあります。 しかし、私のようなお話を聴くものもいる、聴いてくれるところがある そういうことがわかってくれるだけでもいいのかなと思います。 他方でブログを利用する。 また簡単に情報を発信できるものとしてブログがあります。 インパクトを与えながら、かつ情報を提供すること、 ただ一方的では自慰になってしまう危険も考えています。 また文章で出して自分で納得する部分もあるのだと思います。 書くととめどなくなってしまい、まとまらないこともありますが 私が真実と思っている事実を書くだけですとおかしくなりますし かといって面白いだけですと何を伝えたいのかわかりません。 他方で石の上にも3年という言葉があるように 何事も続けることが大事なのだと思います。 少しのことでも繰り返すことで得られるものがあればよいです。

季節などの変化を感じること

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今日は雨模様で、雨も降ったり止んだりの中途半端な天気です。 夏が終わって秋雨?なのでしょうか、連日降っている気がします。 この雨も終わるともうすぐ冬になるのかなという気さえします。 私は基本的にぬれるのが嫌なので、いい気はしません。 洗濯物も乾かないし。 ただ、そのような季節を 感じること。 そして自身にも 変化が生じていること。 いつも知る必要はないと思いますが、 時に自分を省みる時間も必要かと感じます。 具体的にどのようなときか、それは変化のときです。 意識的/無意識的にしろ、省みることで 次の一手が打てます。 事前に計画をしていた場合、予期せぬ不具合が生じて 計画通りに行かなかった苛立ちもあるでしょう。 明日は今日の延長だからまた明日すればいいや、、、 と、思われる場合もあるかもしれません。 それはそれで、いいと思います。 その気持ちを大切にしたり、自分の考え方がわかれば。 悪いことはないのですが、日本には 「感情を表に出さない」 という文化があります。 私も日本人なので、わかります。 ただ、これ。自分では本当はあるのにもかかわらず 気持ちや感情を出さないようにしてゆくと どこかで爆発することがあります。 そして、爆発しているときには後先が見えません、怖いです。 当然気持ちを言う言い方も考える必要はあると思うのですが、 無理して感情を押し殺したり、知らず知らずのうちに感情を 押し込めている、感じないような生活を送っていると ショッキングな場面に出くわしたときに対処しきれなくなります。 ですから、少しの変化、小さな変化でも感じられるようになれたら いいのかもしれません。 季節などの小さな変化も、感じられていますか。

のどの痛みと雨と戦いながら。

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本日もチラシ配りをしてきました。 やっぱり今日ものどが痛いので、声は控えめになります。 天気がよくないこともあるのか 行く人々、みな手に傘を持っているため バックなどを持っている人は両手が ふさがっていることもあり 大多数の方には受け取っていただくことは出来ませんでした(図1)。 でも数人でも受け取っていただけたことは いいことなのかなと考えています。 うれしいです。 図1.雨模様なのもあってか四条は人が少ないです。 実は朝、配りはじめは断られることに嫌な気分になるのですが 数人チラシを断られるようになると 何か吹っ切れるんでしょうか、断られることに なんとも思わなくなります。慣れって怖いです。 ただ、慣れたときでも断られた後に 場所を移動される場合があるのは 気が引けるものがあります。

二面性と素直さ

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感 銘を受けたところ 落ち込んだときには 逆にいい面を持っている 可能性のあること 素直に表現することが大事 です。 それを以下の文献を読んでわかりました。 和田裕美 人づきあいのレッスン です。

底からの這い上がり

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近 況 実は数日間、のどが痛くて床に伏していました。 昨日の夕方あたりから動けるようになったので、 リハビリの一環で本を買って読みました。 読んだ本は 「どん底はツキの始まり(西田史朗著 )」です。 参考に出来ることを書きます。 内 容 気持ちが落ち込んでいるときには 表出させることで、 新たな考え方を見出せます。 表出すると「こんな悩みたいしたことなかったわ」 と第三者的な視点で見方が変わります。 「多くの本や経験から、  落ちた時に改善を打つ。」 「認めてもらえる人が居て  人が積極的に生きられ動き」 ます。皆さんにはいるでしょうか。