投稿

12月, 2013の投稿を表示しています

就職活動に必要なこと

イメージ
い ったいどこで間違ってしまったのだろう。 「 風が吹けば桶屋が儲かる 」のような考えかもしれませんが 恐らく現在ある社会問題の根本的な原因は、東京大学法学部が 「今」の最高権力にある「法」に優秀な人材や力を注ぎ、 「未来」の要となる「教育」に力を注がれなかった、 注げなかったためではないか、と私は思っています。 目先の利益を得る社会になりつつあるのは それが原因なのかもしれないな、ともうっすら思っています。 教育の根幹となす「大学」は、本来研究機関です。 ですが、研究機関なのにも関わらず 中学や、高校、予備校、各種学校等のような 感覚を持たれている「ご家族」がいます。 そのような感覚を持たれたご両親や、ご両親に育てられたお子さんは 何か与えられた問題に合わせる、高得点をとると言った 「唯一絶対の解」「最高の解」を求めている気がします。 ところで最近の社会は先行きがみえません。 それゆえに、問題点が見つかりにくいですし、 たとえ見つけられたとしてもそれが本当に問題かはわかりません。 方法も一筋縄ではいかないかもしれません。 ですから、先行きの見えない社会では問題を発見することは元より、 問題に対する複数の解決策を見つける視点 複眼視点が求められています。 しかし先述の「問題を高得点で解く」、 「唯一絶対の解をもつ」といった考えの場合、 「解」はおろか「問題」さえも求められず、思考が「フリーズ」してしまいます。 「就職」や「転職」を目指している人にも 同じようなことが言えるかもしれません。 本来会社組織は、 気分や感情で人を選んでいる部分があるのにもかかわらず 希望者側は必死で「シュウカツ本」という模範解答を読み、 それに踊らされています。 「問題が何なのか」わからず、「模範解答」に藁をもつかむ気持ち、 即ち「もれること」への「怖さ」かうかがい知れます。 また就職は結婚と一緒であくまで通過点です。 しかし、「就職」という「ゴール」を目指しています。 そのような状況を見ていると 何か見誤っている感じがしませんか。 少なくとも私は見誤っていると感じます。 ですからそれを解消するためにどうするかを書きます。 なお、結論を先に書きますと

解った!を考える。

イメージ
  世 にあふれる説明の世界 人と人とが接する場合、必ずといっていいほど「伝えたいこと」があります。 ことビジネスの場であれば就業時間などの 限られた時間内で伝えたいたいことを伝える必要があります。 相手は急いでいるかもしれません。 ですから、ビジネスにて説明をする場合は通常、 中断しても伝えたいことが伝わることを目的として 先に結論を示し、 次に細かいことを示す ことが知られています。 ビジネスにおける説明でなくとも就職試験や転職試験にて 面接官に自分のことを説明する場合にも、 出来る限り簡潔でわかり易い説明が求められます。 ただ、慣れていないとこれは難しいのかもしれません。 その「伝えたいこと」を確実に「伝える」にはどうすればよいのでしょうか その方法を以下に示します。 そ もそも解るということは。 話をきいていても全く解らないこと マルチ商法など詳しい話をきくうちにどこか変だなと思うこと これらは実に無駄な説明となります。きく必要がありません。 そういった説明が世の中にはたくさんあります。 ですからまずは自分がその情報を必要としているのか あるいは自分が説明する場合には何を伝えたいのか ということを大事にします。つまりどこに着目するかを考えます。 そして聞いた話なり仕入れた情報なりを 変化させて取り込むこと 取り込んでもらうことが「理解、解ること」 なのです。 人間の脳は単純なことのみ受け取ることが可能です。 ですから「解る」場合には、 解りやすく変換し 吸収する といった手順をふみます。 なお、必要なことを無理に省くこと、および省き間違うことは 相手に誤解を与えます。 理 解をもう少し詳しく 具体的レベルと抽象的レベルのバランスを持つことが大事です。 例えば学会のプレゼンテーション発表における場合もそうです。 先にざっくり発表の流れを説明してから細かい発表の説明をされると いま、どこの説明をしているのかが解ります。 いまの説明と全体の説明との間でリンクがイメージしやすいのです。 話をきくときは通常ばらばらの情報で取り入れ、 取り入れた後に組み立てなおしています。 しかしばらばらの情報は、細か

就職の目標はあっちだ!

イメージ
  就 職の技、就職の常識 はじめに、これから就職活動や転職活動をする場合、 これさえすればうまくいく方法があります。それは 「自分の興味のあることを探し」 「それに見合う業界、会社を応募する」 ことです。 いかに自分を深く掘り下げて考えられるか。 そして、いかに他人が考え付かないような 自分に合う場所を探し当て応募するか。 これで勝敗が決まります。 結婚相手を探すのも同じだと考えています。 何 を大事にするか 会社選びのポイントとして一番重要なことは 自分が何に興味あるか だと思っています。 興味には分野と職種とがあります。 興味のある分野といった外的要求を求め、仕事を続けるうちに やる気や面白みといった内的報酬が育ちます。 その外的報酬と内的報酬のバランスが取れることで良い仕事ができます。 職種や仕事内容は、基本的に受け入れてもらえません。 しかし長く働いていれば いつかは希望の職種に異動されることもあると思います。 ですから希望は持ち続けていても悪くは無いでしょう。 私は会社の面接時、最初は福井工場の担当だといわれていたのですが 入社日に岡山工場の担当だと急に変更されてショックだった経験があります。 体 験する 何に興味があるのか、それを知るためには 体験を通して、感じ、理解し、行動を起こすのが 重要なポイントになると思います。 会社説明会を回ったり、インターンシップを利用したりし 会社の実情を目で見て感じ、そこで働く自分をイメージすることが大事です。 ただ、 会社側も説明会に来た人や インターンシップに来た人に対し 良い印象をもたれるよう 画策します。 ですから真実を見る目を養うことが大事なのです。 インターンシップを望むなら進んで悪所を願うことで 会社の実態が見えてくると思います。 仕事は説明会で言うような、いいことばかりなはずは無いのです。 さらに新聞やネットなどから興味の無いことを知ることも必要です。 未知の情報から興味が見つかる可能性もありますし、 駄目な情報であったとしても、それを反面教師とできます。 なお、仕事は3年程度続けられる忍耐力が欲しいものです。 「石の上にも三年」という言葉

若者意識

イメージ
  昔 の社会 昔、いわゆる団塊世代やバブル世代は 限定的競争社会 といわれています。 そう、意外性の無い社会、即ち右に倣えで ひたすら高成績、高品質が求められた社会です。 会社などの組織も、基本みんな均質をモットーとした 年功序列制度で後押しをしていました。 今 の社会 それに比べて今は 競争を前提とした機会平等社会 のようです。 外資系会社が多く来、能力主義が一般化することによって 競争がベース となります。 労働環境も派遣社員の割合が多くを占め 先行きの見えない不安があるようです。 今 の気持ち 以前は田舎から都会に行けば裕福になれると思い 東京や大阪など大都市に出てきた人が多かったそうです。 今でも勿論いますが、現在のような交通機関や情報機関が 発達する以前は、今よりももっと強い「憧れ」があったのでしょう。 彼らは田舎での農耕生活を捨て、都会のサラリーマンになります。 マンションに住み、コンビニでご飯を済ませ、と、 みんな画一化した生き方、定型な生き方を是としています。 そのような安定した生活をしている親から生まれた子は、 改めて新しい場へ出ようといった考えを生み出すことが難しく、 また新しい一歩を踏み出すのに不安が生ずるのかもしれません。 将来に対する不安が出てきたらそれをひとまず棚上げし、 競争に自分がいないかのような考えを持ったりすることもあります。 すると、「未来」よりも「今」中心の価値観や生活でいっぱいいっぱい 行き当たりばったりな生活になります。 行き着く先は、行動に対してマニュアルな考えが横行します。 そしてマニュアルを満たすことに満足する、消極的な気持ちが発生します。 イメージ化や努力を嫌い、ラクして儲けよう、コネや運をめちゃくちゃ使いたい 我慢なんて出来ない。と言った考えが出てくるのかもしれません。 即ち、満たされている現状で、 わざわざ苦労してまで得たくない と言った気持ちがあるのでしょう。 今 の行動 接客業ではマニュアルがあります。 そこでそれ以上のことはしたくないだとか 短絡的なゲームや、その場がよければよいといった「きぐ

恋来い

イメージ
年 末恒例 12月の末はクリスマス、正月と一大イベントが立て続けにあります。 ですから恋人や夫婦でどこかに出かけたり イベントに参加されることも多いのでしょう。 旅行をするため特別な交通機関を使ったり、 プレゼントや料理を買ったりなどするため 何かとお金の必要な時期でもあります。 一方、普段はそれだけのお金を使っても得られない感動や 恋人の新たな一面を見られることもあります。 恋心を思い出すいい機会にもなるのかもしれません。 源 流 何事も行動の源として、恋は有用なようです。 自分の好きな人が居た場合、 自分にとっては成就してほしいでと思いますが、 たとえそれが適わなかったとしても 創造するための意欲として用いられます。 成就する場合、通常恋愛は 純粋な真心を持つ意味の情熱的な恋愛 恋することに恋する恋愛 性欲だけの恋愛 付き合ってい無ければならぬ恋愛 の4つがあると考えられます。さらにこれらは自立に関与します。 望ましいのは1の情熱的な恋愛でしょうか。 恋することを愛おしさ、と考え変えると 自分の子供や親御さんにも感じることが出来ます。 底 にある意識 恋する感情には無意識が関わってきます。無意識の中で自分の理想とする アニマ(理想の女性)もしくは アニムス(理想の男性)を探し それを現実で追い求めていると、ユングは言っています。 古 くは 先に示したとおり、ユングやフロイトが無意識を考えたのがはじまりです。 しかし恋を考えることの元をたどると、ローマ時代にさかのぼります。 その時代の一部では は恋は物を狂わすもの、 眠った知識を想起させるもの 人間に備わるもの として考えられていたようです。 無 意識を知ったから 無意識(アニマやアニムス)を知ったからといって 劇的に何かが変わることは無いと考えますが 「知る」ことでも何か意味づけが出来うるのかもしれません。 以下の本を読んで考えました。 「「恋する力」を哲学する(梅香 彰 著 PHP研究所 発行 2004.1)」です。 男性が著者なため、男による無意識下での母親と父親の関係は書かれてい

機微を知る。

イメージ
外 界からの摂取物 私も過去に経験したことですが 毎日晩酌すると、日に日に接酒量が増えてゆきます。 お酒でも薬物でも何でもそうです。最終的には死にます。 外界から摂取させられる「もの」は勿論、「気持ち」でも言えるでしょう。 毎日毎時間テレビを見て、移動中にはイヤホンをし、 お店でもサービスをされるのが当たり前の文化です。 テーマパークの神聖化から、癖の強い作家の喜ばれる文芸界があります。 いずれも 刺激の強さが”キー” となっています。そしてそれを求める人が多いです。 か つては昔 過去は徒然草や更級日記に、毎日は退屈だ、と書かれているようです。 恐らく今のような娯楽施設はありませんでしたし、なおさらでしょう。 しかしその 退屈さがゆえに、詩を読んだりし 体を使った技術を得ていた のだろうと思われます。 江戸時代でしたら寺子屋の存在が代表的なものでしょう。 ここでは一見退屈そうに見えて、心の豊かさはあったのかもしれません。 意味が無いことに意味があるのかもしれません。人生と一緒です。 そ して今 今求められているのはそういった退屈に耐える力なのかもしれません。 そしてそれは以下二点で作られていると思われます。 一点目は、粘り強い継続力 です。 繰り返しされる練習や稽古をすることで培えるでしょう。 二点目は、退屈の中に意味を見出すこと です。 作られたものの意味をすくい出し理解します。 これら二点はもともと子供が持っているものらしく、 例えば同じ童話でも繰り返し読むことからもわかります。 繰り返すことで極めてゆきます。 退 屈なものの中身 極めることで愉しむことが出来るものについて、具体的には 1)武術と、2)芸術と3)学問に分かれます。 1)武術 スポーツを含め、不調時には型に戻り 基本からの思考力や知性を養います。 型を訓練することにより、細部に神経を集中し くじけぬ心、おかしいといった違和感、感覚が身につきます。 また、我慢力の養成、技術的な力も付きます。 楽器を吹く人であればロングトーンが代表でしょうか。 2)美術 一流品を求めることで、本物の目を養えます。 一人の作家を深く味わって

見抜くことから自分と他人との対応を考える。

イメージ
騙 され社会 人は、騙されながら生きています。それは事実です。 しかし騙されるにも限度があります。 大きな損をできるだけせずに上手に騙されたいです。 騙される人には固定概念があると考えられます。 固定概念により、本質を見抜く目が曇り、 もやに包まれながら行動しているのかもしれません。 固 定観念はなぜ出来る 固定観念は癖といわれたりすることもあります。 癖は日々の習慣が積み重なって出来ていくようです。 小さい頃に何気に見ている 親の行動から多くの影響を受けています。 目に見える形で、無意識的に引き継いだ「親からの遺産」です。 癖、ときくと悪い面にとらわれるかもしれません。 しかしそれは「自分らしさ」とも言えます。 人 の集まった時にできる常識 固い意思・癖は、日本人が美徳とする特徴なのでしょう。 そういった固い意志は反骨精神を伸ばす意味でいい反面、 強すぎると柔軟性がなくなり、臨機応変さに欠けます。 この固い意思が他人や周りとの影響を及ぼしあい 組織として人が集まった場合、 実体の無い、皆の共通項目「常識」ができます。 皆実体の無い常識に自分を擬態させ、素直な自分から偽者になります。 自 分の心と常識とのずれ   自分と常識との間には多少なりとも「ずれ」が生じます。 一例で言えば実力主義社会における自分の立ち位置です。 能力を絶対視することにより、心の酸欠状態になります。 自分と常識とで小さな余震(余心、違和感)が生まれ、 最終的には大地震(心の病気や大事故)となります。 余震の発生時からその存在を知り、防災、 即ち違和感無き生き方をするといいかもしれません。 そのためには精度のいい地震感知器をそろえましょう。 (自分の違和感に気づく心を持ちましょう。) 知るだけでも落ち着くことがあります。 また自分の心に素直さを持ち、 駄目なところを完全に0にすることなく 「少なくする」くらいの柔らかな心意気が大事です。 そしてそれはできます。 なお、常識を消すには非常に難しいと思われます。 総 合すると 視野広く 足られずを知る ことで対応可能と考えられます

世の中は回りまわってできている。

イメージ
  バ ラバラと統一化 宇宙は時間経過に伴い 広がり続けているようです。 いまこうしている間にも広がっています。 化学においては、 エントロピー増大の法則 があります。 物事は出来る限り無秩序に広がるというものです。 宇宙だけでなく、何にでも応用することが出来ます。 一方で、 力を用いて物事を収束させようとする動き もあります。 統一化した法則を見出したり、組織運営を厳格に管理したりです。 いずれも凄く(力)パワーが必要となります。 引 いてみる。 さらにそれを引いてみると、物事は出発点が到達点になっていた と考えることもできるのかもしれません。 現在は発散された世の中と考えることが出来ます。 その居る部分を残し、いらない部分を捨てることで 学問として存在しえます。そしてそれは すべての道はローマに通ず のだと思います。 これは学問的に難しい理論を覚えなくとも 身近なものからも考えることが出来るのかもしれません。 空 間 ひととひととの間には空間があり、それが隔てています。 相手と自分と関係を描いたものに「絵」や「写真」があります。 物質的には離れているのですが、絵として表した場合、 それは離れているようで、離れていないのかもしれません。つまり 離れているようで、一面的には同一化 していると考えうるかもしれません。 見 方 物は太陽に当たっている光る面と、あたっていない影る面とがあります。 われわれは、その光の当たっているものに近づくことで光っている と認識することが出来ます。反対に影に近づくと影が見えます。 ですから人間に対しても、見ようと思った面(光なり影なり)を見ることで 両面的に物事を考えることが出来る のかもしれません。 生 きると死ぬ 3歳くらい、即ち言葉のしゃべられる子供に 母体以前の情報を聴くと、共通点があるといわれています。 あの世、と呼ばれる世界から、この世、に飛んでくる というものです。 人間何か知らの使命があり、この世に来ている、という話をする子供も居ます。 ですからあの世と呼ばれるものがこの世を作る部分があるのかもしれません

大企業に立つ者と創業者

イメージ
社 長とオーナー 社長には創業社長と、 押し上げでなった社長 とが居ます。 前者で言うなら松下幸之助、後者で言うなら (漫画から引き合いに出すのは失礼ですが)島耕作でしょうか。 それぞれ 優劣は無い のだと思います。しかし 恐らく求められているもの、役割は違う のでしょう。 ど ちらにせよ、企業は人を育てることが根本にある。 働き蜂のように、兵隊と子育て、 即ち、プレーヤーとマネージャーは異なります。 共通項目として、経営とは実務の追う人を動かすことですが それには重要な点が二点あると思っています。以下に示します。 一点目は考え方についてです。 誰もあがらうことの出来ない素朴さ どうしようもない諦めと責任感の元にある柔らかい強さ、 公の心やお客さんのことを思う思いやりを持つこと が必要と感じます。これらを総合して、 人生で何を達成したいか理念を持つことが大事 だと考えられます。 二点目は行動についてです。 創業者と、大企業においてトップに立った者とで 必要なものが異なると考えられます。 1、創業者 創業者は 虫のような小さな目と、 鳥のような広い場所から見た目、 魚のような時流を読む目が大事です。 死と直面する環境、天国と地獄を経験することから、 物事の良面と悪面を意識します。 また自分の中に加齢や甘えのあることを意識します。 これに「知」を得るスタンスを加え、 ぶれなさ、流されなさと言った決断力をもって、事業を興します。 多少抜けているくらいなほうが、 事業は回しやすい のかもしれません。周りが協力してくれる、という意味でですね。 もちろん諸刃の剣ですけども。 2、大企業でトップに立った者 大企業でも海外勤務を経験することで、創業者のように 擬似的な天国と地獄は用意されることがあります。 しかし、実際は会社に守られていることを考えると、 真の天国と地獄ではないと思います。 一方、彼らに必要な技量としては システムと人員配置 資の分配 エリートを選ぶ といった当たり前なことだと考えます。 そういった企業におけるあり方について、文献を参考に考えました。 「よき経営

職人さんは専門家

イメージ
日 本の現状、製造業の道のり 使い捨て文化が良くも悪くも浸透 しています。 使い捨てのできる分野では、一品一品精工にものづくりをするよりも 工場にて大量、安価にものづくりのすることを是とします。 材料を安い発展途上国から輸入し、 人件費の安い国の工場にてものづくりを行い できた製品を先進国に売ります。 製品を普及させるには工場生産品を売るのも一つの手です。 しかしどうしても 高精度な製品を求めている場合 職人や、高度な技術が必要 なことが多聞にあります。そしてそれには日本人が寄与することがあります。 細かい分析機器や宇宙開発分野などが代表です。 工場で製品を生産すると、誰にでも製造することができる反面 製品の二番煎じができやすくなります。 すると価格競争主義、金儲け主義になることもあるでしょう。 価格競争主義において、会社の発展はもう望めないと思われます。 職 人の発端 職人文化は使い捨て文化とは異なります。 では職人さんはどのようにしてなられるのでしょうか。ひとつに 好きな分野を持つことと 現状を受け入れること とが互いに良いサイクルを形成するのだと思います(下図)。 間口が広く誰にでも出来る分野を長年従事することにより 身の周りを踏みしめ、作業に奥行きを広げます。 FF5で言うところのアビリティシステムです。 職 人さんの気持ちと技術 1、気持ち どうも職人さんというと気難しいイメージがあります。 職人さんという立場に上がるまで多くの葛藤があったのでしょう。 自分の能力の欠点を指摘されたくないための強がりや 辞めたら辞めたで心残りがあるくせに「辞めたい」と言います。 心の甘えをもつ方が居る一方、相手のよさを受け入れる方や 未来を見据えて自分の行く末を考えておられる方も居ます。 2、技術 基本的には職人さんは日々改良をする必要があります。 作業は早く綺麗に作ることを目的とし 機械の能力を知り、その能力を利用する人も最近では求められています。 職人さんの生きる背景には 従業員制度とは違った請負制度のあることが考えられます。 アウトプットする出来も改良することはもち

自分と異なる状況に、演じ、あわせる。

イメージ
変 化する状況 日々変わり行く状況に対応するのは大変です。 その代わり行く状況への策の一つとして 「仮説を立てる」ことがあります。 「こうだったらどうなのだろう」 「もしそのとおりにことが進まなかったら・・・」 などと考えることにより、次の行動への勇気を持ったり 最悪の状況に対する準備をします。 仮 説の一例。精神疾患の対処 仮説の一例として精神疾患を有する方に対し、「策を打つこと」があります。 社会生活になじんでいける自信がないと考えられている方に対して、 「日常生活の予行練習」をする ロールプレイ、 ソーシャルスキルトレーニング(SST) というものです。これは、演劇です。 自らを主人公として、 例えば八百屋さんにお金を支払う時にどのような手順で行うか、 といったことに対し、自分と他者とが意見を持ち寄り行動を煮詰めます。 共同で行う「台本書き」のような作業です。 精神疾患の方でなくとも、好きな子に告白するときは その告白が成功するように、入念な予行練習をされるでしょう。 SSTしかり、告白しかり、このような「演劇」は 知らず知らずのうちにわれわれが日常生活で行っています。 そして気が付くと、皆、男としての役割、お母さんとしての役割など 役割を演じながら生きている 部分のあることがわかります。 それはコミュニケーションを取る場で生きます。 変 化と就職活動 就職活動においてコミュニケーションは重要な役割を持っているようです。 他の人 も書かれています。 これまでの会社員のような和を乱さないといった画一的な考え 言動不一致の考え方、言い方から 個々が違う認識をし、言動一致する考え方が必要となります。 それらは、従来の「国語」という授業で学ぶこと以上に 人と人とが会話をするということ、分かり合う、気持ちを共有する ことを学ぶ必要があるようなのです。 最近の学校ではダンスが必修になっているのでしょうか それが必ずしも表現に生きていくのかどうかは分かりませんが 何らかの形で他の人たちと接する 必要があることは事実です。 コミュニケーションが人格的な問題だといった間違った解釈や コミュニケーション障害に特効薬

行動の分解をする

イメージ
  真 理 不変なことが世の中にはあります。 事実の裏に潜んだ真実です。 例えば、真に話す人が居ない、もしくはすくない さらには人間は不完全である、ということでしょうか。 問題が生じた場合、その真実が見つかれば対策を考えやすいです。 仕 事の心 いくら素晴らしい仕事をしたとしても 仕事にとらわれてしまうと自分が崩れて本末転倒です。 勿論仕事をし続ければ高給はもらえるかもしれませんが 自分の健康は損なう可能性が高いです。即ち 何かを失って、何かを得ている こういったことに気づきます。 行 動=事実+気持ち? 仕事をする、といったような 行動は事実と気持ちで構成 されていると思います。 内容を以下それぞれ記します。 思うようにならない事実はあります。 老いて思うようにならないこと 人生の落ち時を経験すること 相手が自分の思いの通り動いてくれないこと 一本調子にならず停滞する、腐った時期などです。 次に自分の気持ち、考え方です。 考え、感じ、動くこと。それに言葉と環境が関与して価値が創生されます。 現実が現実であることを認め、身近に身近に気付きを得ること。 迷っている場合には迷えるだけの恵みがあること 万全を期して準備すること 相手のために進んですること 苦しみの言いを持ち、耐えること。 この二点、事実と気持ち・考え方が合わさった行動をとることで 他人に話して自分の気持ちが見つかる場合もあるでしょうし 挨拶を通して相手を認める気持ちを持つことがあります。 普段の行動を、改めて事実と気持ちに分解すると 何らかの気付きがあるのかもしれませんね。 それをこの文献を読んで考えました。 「置かれた場所で咲きなさい(渡辺 和子 著 幻冬舎 発行 2012.4)」です。

組織運営に必要なこと

イメージ
何 が大事? 組織の色はトップで決まります。 基本的にトップを最高経営責任者とした ピラミッド型になっている会社が多いからです。 最高経営責任者の生き様が組織に大きく影響します。 人となりが社風として現れると思います。 企 業 多くの会社が世にある中、 何かと注目されている会社のひとつに、ワタミがあります。 私はワタミとう言えば居酒屋だ、という認識をしていたのですが 現在は居酒屋だけでなく農業、介護や宅配弁当まで行っています。 ワタミのトップは渡邉美樹という人物です。彼が起業しました。 ワタミ設立前には佐川急便に勤めていたらしく その教育方針を引き継いでいるのか、経営を行っています。 小さい頃にお母様をなくし、「社長になるこ」とをモットーとして がむしゃらに働いてきたのでしょう。 不屈の精神を持っています。それが事業に関しては生きています。 事業に関する信念はすばらしく、倒産の危機を何度も感じながら 利益を上げていったのでしょう。 しかし私は 渡邉さんが何か 「心の無い冷たい人」 のような気がするのです。 彼が一人で事業を行ってきたから、一人が是としているのかも知れませんが、 協力ということや 人の気持ちを誤解している ような気がしました。 そのような考えは佐川急便で働いていたときに学んだ処世術なのでしょうか。 組 織としてやっていくこと 組織としてやっていく以上、人と人との関係は必須です。 人と人との関係は感情の共有、心の通いあわせが一番だといわれています。 それは「利益優先主義」、「効率最重視」なものとは違った 「温かいもの、甘え」 であるような気がします。 人格を否定するものではなく、温かいもの、甘えを育てた後の 人と人とのかけあわせが重要 なのだと私は思っています。 また、人は違います。伸びたい人も居れば伸びたくない人も居ます。 そして組織の中で上下関係が有る以上、嘘を言う人、状況もあるでしょう。 そういった 個々の違いを認めること その中のひとつでは、人は嘘をつくことがあることを知り、 時には適度にだまされること。 また方法論に集中しすぎないOJT、つまり自分と他人の 文化の違いを認識しな

必要な戦略の考え方

イメージ
人 の一生 人生とは死ぬまで己との戦いである という言葉もあるくらい、 人は常に戦っていゆくのだと思います。 その戦いを勝ち(勝たなくても良いのだけれど) 成長をしていくためには、挫折を経験する必要があります。 挫折の究極は「自分が死ぬこと」にあります。 その死ぬことを考える極端な場面として「戦争」があります。 明日死ぬかもしれない「恐怖」。 恐怖で占められた極限状態にさらされると 人間は飛躍的に成長出来る場合があります。 (決して成長できる場合がすべてではないことをご注意ください。) 戦争は力の論理といわれるため、 戦略を立てる意味での物理学が発達します。 あるいは戦争によって 人の心を知る精神医学が発達した ともいわれています。 また学問だけでなく経済も戦争によって発達してきました。 これら発展させてきた力は火事場のバカ力という言葉のように 極限状態といった外的刺激によって人間の秘められたパワーが、 引き出されたよい例なのだと思います。 なお、日本は戦争をしないこと憲法に定めています。 物理的な戦争は行われないことなっていますが、 一方日々の生活では受験、仕事など 戦い続けなければならない場合があります。 そのような他人と戦う場合にはどうしたらよいか、 一つの形として戦争を学ぶことは、 決して悪いことではないのかもしれません。 勝 つために 人生や、仕事でも勿論ですが、 戦いを勝ち続ける一つとして「戦略」 があります。 「いつ、どこで、誰が、なぜ、いつまでに、どうした。」 と言った5W1Hを含んだ目標を定め いかに損害が無く、効率的に行動するかを考えます。 ターゲットを決め、目標から推察される小さい中間目標をこなし、 目標達成に近づきます。 多くの専門領域を学び、訓練から得られる得意技を用います。 そして訓練から反射神経を磨くことで殺気を感じ、 攻める焦点を明確化します。 こういった 「体験的知識」と呼ばれる知識 を身につけられたかがポイントです。 情 報 目標設定ためには過去と未来からの情報を持ちます。 過去の情報は、情報の取捨選択をします。 以下二点がポイントです。 一点目は人間と環境の影

人生(はある意味)ゲーム。

イメージ
ゲ ーム 人生は目標こそ明らかにされていないものの、手段があり、 時には仲間と協力します。 さらに駆け引きを用いて自分の目標を有利に運ばせる意味で 人生はゲームに近いものがあります。 ゲームならば、運をつかめるかつかめないかが勝敗に影響します。 うまく運をつかめれば勝てるでしょうし、そうでなければ負けるでしょう。 流 行 ゲーム、ここではスポーツとしますが、 これはどう関わる機会があるのでしょう。 世間で調査されて居るものの一つに 「 なりたい職業(バンダイ) 調査」があります。 私が小さい頃、おおよそ20年位前は、まだ野球がブームでした。 テレビでもナイター中継がしょっちゅうなされていましたし、 小学生時代の友達に「お前何になりたいの」と聴いて 「野球選手!」と応えていた子も多く居たような気がします。 ですが 最近は野球(選手)を抑えて サッカー(選手)が人気 なようです。 サッカーは野球と違って 待ち時間が無く常に集中 しなければなりません。 観客は勿論、選手でさえも試合時間中は休めません。 その分、試合時間が大きく変わることは無いのだと思います。 私が高専生のときのクラスメートはそれを感じていて、 「サッカーは野球と違って  休憩時間が無くぶっ続けで試合をするから  トイレに行く時間がハーフタイムくらいしかなく、                        かなわん。」と言っていました。 なお、昔から運動が得意でない私としては、プレイする立場としても この常に臨戦状態で居なければならない緊張感が疲労感を生み 好きではありませんでした。 セ カイの状況 日本ではサッカーが人気ですが、 アメリカではアメフト が人気です。 アメフト、というとハーフタイムにマーチングをしているなぁ ということしか思い浮かばないのですが、 これもサッカーと同じような時間の進行で動くスポーツです。 日本ではラグビーとか言います。 これらの連続して集中し続ける競技に人気があるのは、 皆、野球のように「待つ」時間が好きでなく、 想定外な事がおきにくい、言い換えると 時間的にコントロールしやすいプレイを 望んでいるのでしょうか。

騙し騙され

イメージ
何 から行動が考えられるのだろう 人は 人との共感から信用が生まれ 時に騙されながら信頼を崩すことなく 憤りにより「変わる」原動力、行動をもつ のだと思います。 これらは心理的・遺伝的な優劣を通して学習・影響し、 より環境に適応し生きていくと考えられます。 騙 し(だまし)の立ち位置 信頼関係を崩す要素として「騙し(だまし)」があります。 これは自分の所属する組織の秩序を乱す、悪い影響と考えられます。 一方他組織を攻める場合にはよい「手段」となります。 微生物の増殖という一つ事象に対して 発酵という良い印象を持つ一方で 腐敗という悪い印象を持つこともあります。 人に有益か有益でないかで言葉を選んでいます。 これらどんな行動、例え「騙すこと」でも 良い面と悪い面の両面があり、 偏りすぎない  ことがポイントとなる気がします。 生 物の進化 ところで生物として遺伝子を引き継ぐことが目的となります。 その場合、 有用部分は先天的、遺伝子的に引き継がれ また生後も環境などで後天的に発達します。 遺伝的にはメンデルの法則に従い、 また生後は学習や文化を利用することによって 本来遺伝的な欠点があっても 欠点が無いのと同じように生きていける場合もあります。 なお、生物はDNAの複製時にエラーが発生します。 (これを突然変異という) 人間だけでなく猿などの霊長類をはじめ 鳥類や原始生物にいたるまで より環境に適応するため突然変異を繰り返しながら 進化の過程をたどっているといわれています。 種の起源ではサルから人間へと変わった、といわれています。 人 間の進化 私は、猿から人間への進化途中の生物が居ないことから 本当に全て猿から進化したのかは疑問があります。 ですがそれはそれとして、人間は他の生物と違い、生きるために 信頼や騙しを通して分業化、分業化にかかる能力の多様化をしています。 かつて狩猟では皆、ある程度均一な益を得るため 狩猟で得た肉をお金や贈り物というもので交換し また言葉という概念を用いて、現実と気持ちとのギャップを埋めました。 さらに規則や法律をつくり、縛り時に縛られ騙し合いながら 騙された怒

苦労や経験は善

イメージ
手 っ取り早く済まそうとするのは悪? どうも、世の中がなんでも手っ取り早く済まそうとする傾向にあります。 すると確かに結果は簡単に得られるのですけども、最終的に 回りまわって自分のためにはならないような気がします。 その場だけの利益や雰囲気に流され、結局自分が損すると思うのです。 「急がば回れ」 これは物事全般に言えることなのだろうと感じます。 「若い時の苦労は買ってでもせよ」 「臥薪嘗胆」 など、苦を得ることは悪いことでないことが 過去のことわざでも多く見られます。 豊 かとは 最近はインターネットで容易に情報を入手可能になったほか 離れたところでもすぐに状況を確認できる携帯電話の普及、 東京大阪間のような数百キロ離れた環境でも 数時間で行きかうことが出来る交通網の発達がなされてきました。 少し前の話になりますがJR東海の技術で出来るリニアモーターカーにより 東京大阪間の移動に、これまでの新幹線では2~3時間近くかかっていたものが 1時間程度で行くことが出来るようになるそうです。 なんでも時間がかからず得られることで、効率化されるようになったものの 人間が待てなくなっているように感じます。 人 間関係でも 便利になったことは親子の関係でも影響を及ぼしていると考えます。 育児時、駄々をこねる子供に安易に物を買い与えたり 公共サービスが当たり前のサービスだと思って教師や学校に子供の責任を 押し付けたりすることがある話を良く聴きます。 即ち便利になった一方、親子共に 耐えるといった心は育たず 悲しみや我慢などと言った感情が出来にくくなっていると思うのです。 別 にそれでもいいじゃないか。 確かに、それはあくまで進化だ、ということも出来ます。 そう割り切るのであれば、 バカヨケ 的な策をもてればよいのでしょうが 以後バカヨケのためのバカヨケ対策、 バカヨケ対策のためのバカヨケ対策のバカヨケ対策など、 細かい規則で細かい作業を縛り挙げた挙句、 人間が人間たる心まで失ってしまうようで、 何か悲しいです。 (バカヨケのためのバカヨケ・・・は、極端に言うたらですけどね) 人間関係で言えば最終的には他者への思いやりが薄れる

ボランティアとは。

イメージ
昔 の、世界と日本の流れ 社会主義が世界でにぎわっていた頃は 「差別が無かった」、「精神障害者が居なかった」 などという論を見ることがあります。 これが本当だったかどうかはわかりません。 なぜなら被差別者や精神障害者を 表に出さないようにしたのではないかと思う部分があるからです。 日本は社会主義国家ではありませんでしたが 戦中、そしてそれ以前も社会主義のような お上に従えといった押し付け教育をしてきました。 終戦後も一部の方はその考え方を崩せなかったのだと思います。 しかしそれにより追いつけ追い越せの考えが生まれ、 貧しかった日本が高度成長しえたのでしょう。 今 の、日本と障害 時代は流れ行くものなので今の日本が いつをさすのかは明確に区別できませんが、 戦後は自由な資本主義社会となりました。 しかしどんな環境でも 障害(特に心の)を持つ方は出ます。 その方々のため国が支援しています。 年金や、障害給付などです。 これらは明確な条文という根拠がある一方 制度の特性上どうしても”漏れ”が生じます。 制度を作ってしまっても漏れがでるので結局はいたちごっこなのですが 少なくとも(資本主義社会の形上、 国家の制度上で)漏れそうな人を防ぐため、 ボランティアの方々が活動してくれている場合があります。 ひとつに、近年増えつつある「自殺に対する支援」です。 支 える人 いのちの電話 そういった自殺対策ボランティア団体のひとつに日本では 「いのちの電話」 と呼ばれる、電話相談のできる組織があります。 また日本だけでなく世界中にあります。 他国が日本と同様ボランティアで活動されているのかわかりませんが 日本では無料で電話相談を行っている性質上「生活」「家族関係」、 「性」など多くの分野における問い合わせが寄せられるようです。 「いのちの電話」の対応者は研修受けた一般の方です。 また匿名性が守られています。 よってお客さんとは基本的に一度限りの関係となります。 タイミングが合えば連続して同じ対応者、 もしくは同じお客さんと話せられるかもしれませんが 確実に同じ人が対応してくれるというわけではありません。 疑 問