見抜くことから自分と他人との対応を考える。





















され社会

人は、騙されながら生きています。それは事実です。
しかし騙されるにも限度があります。
大きな損をできるだけせずに上手に騙されたいです。

騙される人には固定概念があると考えられます。

固定概念により、本質を見抜く目が曇り、

もやに包まれながら行動しているのかもしれません。


定観念はなぜ出来る

固定観念は癖といわれたりすることもあります。
癖は日々の習慣が積み重なって出来ていくようです。
小さい頃に何気に見ている

親の行動から多くの影響を受けています。

目に見える形で、無意識的に引き継いだ「親からの遺産」です。
癖、ときくと悪い面にとらわれるかもしれません。
しかしそれは「自分らしさ」とも言えます。


の集まった時にできる常識

固い意思・癖は、日本人が美徳とする特徴なのでしょう。
そういった固い意志は反骨精神を伸ばす意味でいい反面、
強すぎると柔軟性がなくなり、臨機応変さに欠けます。

この固い意思が他人や周りとの影響を及ぼしあい

組織として人が集まった場合、
実体の無い、皆の共通項目「常識」ができます。

皆実体の無い常識に自分を擬態させ、素直な自分から偽者になります。


分の心と常識とのずれ
 
自分と常識との間には多少なりとも「ずれ」が生じます。
一例で言えば実力主義社会における自分の立ち位置です。
能力を絶対視することにより、心の酸欠状態になります。

自分と常識とで小さな余震(余心、違和感)が生まれ、
最終的には大地震(心の病気や大事故)となります。

余震の発生時からその存在を知り、防災、
即ち違和感無き生き方をするといいかもしれません。
そのためには精度のいい地震感知器をそろえましょう。
(自分の違和感に気づく心を持ちましょう。)
知るだけでも落ち着くことがあります。

また自分の心に素直さを持ち、
駄目なところを完全に0にすることなく
「少なくする」くらいの柔らかな心意気が大事です。
そしてそれはできます。

なお、常識を消すには非常に難しいと思われます。



















合すると

視野広く
足られずを知る

ことで対応可能と考えられます。
これが鍛えられると、たとえ勝つと分かった勝負場面でも
見落としていることがないかの心配作用が働き、万全を期せます。


人との係わり合いを世間一般で見る

上記のように自分をしっかり持つことは大事です。
加えて人間関係を構築することも大事でしょう。

教師は権威者であり生徒から学びたくないようだ、とか
テレビ局や新聞のメディアが上から目線になっているだとか
他人の悪い点は日常茶飯事目にします。

だからといって、制度を変えろ、日本から出て行け!等、
他人に行動を強制させたり、規模の大きな話をするでなく、

身近な関係を見直すのはどうか、と思います。

これは

1上下左右の立場の関係を持つ
2外と内とのバランスを保つ

ことです。


それらを以下の文献を読んで考えました。
「人を見抜く技術(桜井 章一 著 講談社 発行 2009.1)」です。


















著者が絶対を求めていないので、違和感無く読むことができます。
私もある意味人を見抜く仕事なので、親近感を持ちました、
麻雀のプロとソーシャルワーカーで形はぜんぜん違いますが。

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