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10月, 2014の投稿を表示しています

問題解決法とパートナーの必要性

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 世の中に問題はたくさんあります。こうした多くの問題に直面した場合、どのように問題解決できるでしょうか。考えますと解決方法の一つに 「ディベート」というもの があります。このディベートとはどういうものなのでしょうか。ここではそれを記したいと思います。 これまでそしてこれから重要となる考え  多くの方は大企業を崇拝する考え方や医学部至上主義など、自分では何も考えずに何かの考えに乗っかることで安心します。しかしこれは今後時間とともに変化する世の中において得策といえるのでしょうか。  確かにわけのわからない世の中で、自分で自信を生み出し、生きることは不安が有り、失敗を恐れることがあると思います。  しかしどこかで けじめを付け、期限を決めて、なぜそうするのかを考え、決断し不安を絶つ必要がある ような気がしています。 考えを導くため方法  そのためには多くの選択肢が必要で、不必要な選択肢を捨てる必要があります。こうした選択肢を増やす方法の一つに、ディベートがあります。通常自分を含めた二人以上で行います。  新しい発明をするとき同様、枯れた技術(自分や他人の考え)から新しい技術(そのときの最善の策)を生み出すことができます。武器と思っていなかったものが思わぬところで武器に変わる可能性もあると思います。  ディベートは 仮説を出してそれを反論する、といった科学的手法 を用います。なければならない理由や重要性、それがなければ問題が解決しないといった解決性を、総合的に判断して賛成、反対の両面で見極めます。 方法の一例:細分化と組み立て  ディベートでは前提として 嘘をつかない、素直に謝ることは謝ると言ったルールがあり 、そのルールにのっとって問題を細分化します。  例えば叱られているのならば怒られている感情に目を向けるのではなく、言いたい事実は何なのか。問題の生じている原因は単一か、複数ならば原因は何か。一般論といわれているものは誰が言っているのか。こうしたことを明らかにして結論を論理的に組み立てます。  なお、場合によって解決に際し賛成・反対を越えた偶然性、というものも必要になることが有ります。 そして結論:自分で行動、補助人が必要。  また、こうして他者と自分とで得られた結論を実行・行動するに際し、最

人間関係のトラブルを回避する

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 人間関係のトラブルが発生し問題になることが有ります。そうした問題はどのような原因で起こるのでしょうか。一つに勘違いしていること、割り切れないこと、そして余裕が無いことがあるのだと思います。かつての私もそうでしたが、そのような場合、どうすることで割り切る、対処することができるのでしょうか。ここではその方法の一つを書いてみたいと思います。 人間関係のトラブルが発生する源  皆立ち位置が違いますし、成長のしかたも違います。それを完全に理解することは難しいのかもしれません。  しかし、人と人ととは違うことをある程度は理解できないと、数々の問題を生み出すことになります。例えば・・・ 野望に執着すると過去に目が向き、忘れるという未来へ踏み出せません。 人間関係のトラブルについていつでも10:0ということは無いです。  どのような場合でも人が二人以上居る場合には個々の違いは必ず出てきます。ですから社会で生きる我々は 個々の違いをどう認め、そしてどう付き合っていくかが重要 となります。 かつての私、傲慢な吹奏楽部の部長  かつて高専の吹奏楽部部長であった私豊島は、部長という役回りである以上規律を守り、 統率をし“なければならない”と思っていました。  ですから部員は部長に合わせて当たり前。部員は従わせるものでそれに従えない部員に腹を立て、自分が何でもできると思い込んでいました。出る杭は打つというスタイルをとっていたように感じます。  こうした誤った考えを有していることは、他人以上に自分のバランスが崩れているからで、それゆえ事実を事実としてとらえることはできず、見誤ります。(上記の例で言えば統率しなければならないなんてことはない)  何も問題が無い場合は事実を見誤っていても放っておいていいと思いますが、いざ問題が発生する状況になると、事実を見誤っていることから誤った対策をたてがちになり、問題を解決できず困ってしまいます。 私を含めた傲慢な人の心の中  上記の(見)誤った関係はいじめっ子といじめられっ子の関係に似ています。誰かしらを下げ、憎みや妬みをもって常に対決姿勢を持っています。  つまり他罰するか(いじめっこ)自責するか(いじめられっこ)の違いだけで、二つは大して違いません。悪たる原因を自分や他人に押し付け、

交際が発散してゆく

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特殊な環境に居ない限り、発散したものは戻りえないのです。 物事は発散する傾向にある。  水が高いところから低いところへ流れていくように、また形あるものがいつか壊れるように、人間の生き方も時代が進むにつれ多様性を富み、発散します。  日本人としての生き方は、1980年から90年ごろにかけて経済成長をし、より多くの生き方が考えられてきました。  選ぶ選択肢が多くなるにつれて、これでいいのかと思い、選択が間違っていたのではないかと不安になることがあります。  そうした不安を持ち続けるのはできれば避けたく、それゆえプランを作り、それが思い通りに行くことを信じます。  そうした考えが肥大してくると、しまいにはプランからの大きな逸脱や失敗を恐れるようになります。するとプランの形を維持することに重視しすぎてしまうのです。 交際も発散してる。  これは、他人との交際に関してもいえます。他人との関わり方で平均でいる事がなれてくると、それがあたりまえとなり、いつしか平均でいることが目的となってしまうことが有ります。  すると自分にそれだけの価値があるかどうかは別にして、平均でいることこそが素晴らしいと感じてしまいます。  こうした思いはやがてエスカレートしてくる場合があり、エスカレートした場合には接する相手や交際相手に理不尽な要求や不必要な不満を抱えたりすることも有ります。  例えば女性の場合、子供を生むには若いほうがリスクが少なく良いですが、上記のエスカレートした思いを増しますと変に高齢で出産しようと思ったり、あるいは結婚を考えた場合に収入と時間との兼ね合いが出来ない場合でも、両方共に求める場合もあります。  こうしたいわば "無理な”生き方は実際に自分の望んでいたことなのか、一度真剣に考える必要があると思います。そしてそれが間違っていたのならば迅速に、何が何でも変える覚悟を持って欲しい です。 交際の行き着く先:結婚(一例)  こうした交際の行き着く先の一例として「結婚」があります。結婚はあくまで「契約」のはなしですから、それを維持することに対して経済状況も影響します。  かつて日本では過去に男女雇用機会均等法が制定されたことにより、男女間の雇用格差や賃金格差が少なくなり生