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8月, 2015の投稿を表示しています

組織を超えて個人を支援する重要性

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 福祉も慈善事業、フィランソロピーの一つです。これは日本と外国とで様相が異なっています。日本では特に団体前提の考え方があり、どちらかというと団体や組織だけの内輪な支援になりがちです。これでは本来支援を欲しがっている個人に対して適切にアピールすることは出来ず、問題です。そこでここではフィランソロピーがどのようなものでどうして行くのが望ましいか、といったことについて書きました。   身近にあるフィランソロピー  フィランソロピーとは慈善事業といいます。これは魚が欲しがっている人に直接魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えることに近いです。偽善と似ていますが相手のためにする意味で異なります。フィランソロピーをするには何を発信するかが大きなポイントとなります。考え方として何かを提供して何を得るかを考える意味では、仕事もある意味「フィランソロピー」といえます。  日本社会において多くフィランソロピーはありますが基本的に団体前提で団体への支援をしている場合が多いです。通常学校もフィランソロピーのひとつと考えられますが、それを良い形で社会への還元ができているかと考えると疑問です。誰かに搾取されたりせず、 ストレートに支援を望んでいる人に響く形が望ましい と考えています。   アメリカのキリストと日本の儒教  そもそもフィランソロピーの発祥は外国です。ですから日本と外国とは文化の違いがあり、それゆえ国同士におけるフィランソロピーへの価値観も異なります。  外国特にアメリカですが、ここでは何でも中身や企画さえよければ個人から周りの寄付を得られます。そうした寄付が社会に回ることで循環が起こっています。これはキリスト教の他を愛する文化に起因するのかもしれません。  一方日本ではフィランソロピーの考え方はあるものの、中身よりもコネや形にこだわる傾向があり、出過ぎるのをあまり善しとはしません。こうした 日本の文化は中国の 儒教的な文化に背景があります。官僚文化もそうですが偉い団体や組織があってのもの で、本人より家族、個人より団体や組織に意思決定権があります。これは自分は無力だから相手に寄りかかりたいといった、本当は弱い弱い部分があるからのかもしれません。残念です。   団体を超えて個人還元を目的にする  ですから例えば部長島耕作において初芝電

探偵と福祉とによる情報取り扱いの違い

 大衆はゴシップや興味本位なことが大好きです。これは相手の知れうる情報を自分だけが知ることで、悦にひたっているところがあるからなのかもしれません。こうした相手の情報を知ることは、福祉をはじめとした支援者にもあります。しかし支援者の場合と大衆ゴシップ誌などの場合とでは情報の取り扱い方法が違います。その違いを知ることは重要です。そこでここでは①ゴシップ誌をはじめ情報を得る『探偵』と②支援者として情報を得る『福祉(従事者)』とでどのように情報の取り扱いが違うのかを書きました。 違いは、知るか使うか    探偵と福祉とにおける情報の違いは「知る」か「使うか」 です。具体的に書きますと、支援するための 福祉の行動には 「知ってからのもう一歩の踏み込み」 が大事となります。  どちらの場合でも情報を知る意味では本質的にはしていることは変わりません。しかしもう一押し、あと一歩を踏み込めるか踏み込めないかで、場合よっては相手の反応が正反対に変わることがあるのです。 探偵と福祉の特徴と共通点  以前私は探偵になりたいと思っていたことがあり、実際に面接を受けに会社まで行ったことがあります。その際、所長さんにお話を聞かせていただいたのですが、そのときの話を要約しますと 探偵という職はあくまで情報を知る、得ることを目的 としているそうです。つまり あくまで依頼者の意図のみに従って調査対象者の情報を勝手に根掘り葉掘り得ます。時には違法なこともすることもあるそうです。  一方、対するものとして 福祉では、得た情報をどのように役立てられるか、即ちどう使うか、ということを目的 としています。福祉の場合は探偵の場合と違って調査依頼者と調査対象者が同一な場合も多く 福祉では調査依頼者であり調査対象者であるお客さんの意図に沿って、一緒に対応策を考えてお客さんのためにどうするかを選択し ます。  人間には誰しも他人に踏み入れられたくない環境や、生い立ちを持っていて、そこで人知れず悩んでいるものです。そうした知られたくないような情報に踏み込む点では探偵でも福祉でも共通している部分ではあります。  これは他から見ると些細なことかもしれませんが情報を提供する側からすると大きな違いです。 情報に対する責任  そしてもっとも大きな違いは情

自分の考え方の歪みや勘違いを防ぐ方法。

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 相手は何とも思っていないのにもかかわらず、被害をこうむっているように感じていたり間違った解釈をしているような方がいます。そのようなずれた考えや歪んだ考えを持たれている方は、相手とのトラブルとなってしまう可能性があります。これは問題です。そこでそうした問題とならないようにするため、①自分として何ができるか、②どうしたら考え方の歪みを解消できるのかといった方法をここでは考え、その対応策を書きました。 顔は感情で動く。間違うと間違う。  通常他人は他人をまったく何とも思っていません。しかしそれを変に、無闇に疑って考えを張り巡らせたり、あるいは悪いようにとらえてしまったりする方がいます。  例えば変に偉ぶっている人あるいは変に落ち込んでしまう人がそうです。そのような方々は他人が怖く、歪んだ見方で相手を見ていることがあります。それゆえ相手のいっていることを素直に受け取ることができず、そればかりか場合によっては悪い人に騙されてしまうことがあります。そのような方は、相手だけでなく自分にも心の面で嘘をついていることがあるようです。  すると、瞬間的には悪い顔になることが考えられ、それが日常化することで「しわ」もその悪い顔の形にあわせてできあがります。そのようなことを考えると思いが表情に反映される場合もある、といえます。 怖さや歪みは与えられてるからでは?  こうした考え方の「歪み」や「ずれ」の起こる原因は、消極的な「させられ」ているような気持ちであったりあるいは無闇に「与えられている状況」のあることから自分の欲しているものを与えられているものと勘違いしてしまっている、と私は考えます。  つまり本来求めていないものを求めていると錯覚する、いわゆる代理欲求を求めることによるのだと私は思います。  するとでこぼこの表面をつるつるだと勘違いしてしまったり、あるいは本質よりも形だけを追い求めてしまったりするのでしょう。例えば、地味な人は強い場合が多いことがあるものですが、地味になることで強くなると勘違いしてしまう場合もそうではないかと思います。 歪みを正す方法  そうした歪みが問題だと思われ、かつ何とかしたいと考えた場合に対し、解決策を考えると次の二点①現実を見直すことと②戦うこととを持つことが大事だと思われます。それぞれの詳細を以下に示し

メリハリのある生き方を見つける方法

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 惰性に身を任せて生活していることがあります。こうした場合、物事を深く考えることができずやがては何もする気がなくなる危険性があります。これは問題です。そこでここでは生活を文章校正になぞらえ、普段の 生活でもメリハリ を持つにはどうしたらよいか。その対策としての方法を書きました。 なんにしてもまず目的や目標を持とう  多くの行動には 目的のあることがあり ます。私がこうしてブログを更新するのも、他の人にいろいろ知ってもらいたいことがあるからですし、生きているのも何らかの理由があるのかもしれません。  こうした行動に対し目的が見出せないと生活でも文章でも実践することの意味がわからず、苦痛の続く危険性や無力感から無気力になる危険性があります。 目的や目標を見出すには何が必要か  そこでそうした生きる目的や文章を書く目標を見出すには 日々考えることが必要 です。  さらに考えることと同時に発信をすることで、発信物を他人が見て、他人が情報を追体験できます。  ちなみに、考えることと発信することとの間にはある程度距離があると思っています。ですから必ずしも発信する必要はないかもしれませんが、少なくとも考えることは重要なことであると思っています。 考えるあるいは発信するには発散と収束をする  そうした考えを見出したりあるいは発信をする場合には、考えたり発信する 種を見つける必要 があります。  そのためには最初に①多くの体験を通して複数の現状の事例を持ちます(発散)。②次に共通点を見出しグループ化し要らない情報を捨てます(収束)。  発散はできる限り多くの情報を取り入れ、一方で収束の際は情報が自分の思っていない方向へ不用意に発散しないように注意します。また収束の場合は、捨てる基準は「正しさ」や「善悪」など価値判断のかかわってくることが多いです。  そうした発散と収束を繰り返すことで見方によっては遠くのものが近くに見えたり、あるいは逆に近くのものが遠くに見えたりします。すると新い発見を見出せることが多く、場合によっては「なぜ」を考えられるかもしれません。さらに、生き方も文章も構成が明確になる場合があります。 発散と収束に関しての問題点と改善点  ただこうした発散と収束を続けていくことは、読書における斜め読みを

発明と特許で独自性を見出す。

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 多様化する社会で自分の独自性を見出すにはどのようなものがあり、それを証明するためにはどのような手段をとったらよいのでしょうか。ここでは独自性を示す代表的なものとして発明と特許とを示し、それぞれどういう仕組みか、どうしたらこれらを得ることができるか、といったことを書きました。 多様化する社会で独自性を見出す発明  地球上の人間は年々増え続けています。2013年現在では71億人ほどいるようです(図1)。このように人が増え続けるようになるということはその分考え方も多様的になっていると考えられます。 図1.経年における地球の人口  そうした多様化する考えがあると考えられる世の中で、通常生き残るには自分の独自的考えを示す必要があります。その独自的考えの代表的なものとして発見や発明があります。  通常 発見や発明というと0から新たなものを作るものと考えがちです。しかし必ずしも0からのスタートだけではないです。組み合わせでも十分新しいものを考えることが出来ます。 発明を証明するための特許・知的財産  またそうした独自的な考えである発見や発明を 本当に新たなものと証明するものとして特許 があり ます。いわゆる知的財産権としての証明物です。  多くの場合、自分の独自な発見や発明だと思っていたとしても すでに他者が考えている、あるいは考えられていた、といったことがあります。ですから今回見出した発見や発明がすでに作られた特許で存在しないかを申請前には調べる必要があります。そのためにはインターネットなどで 特許検索 をします。  検索の甲斐あって今回の発見や発明が独自性のありそうなことがわかった場合には、特許を作ります。その場合、その発明が他人に真似されないようにあいまいな部分を残しながら登録をすることが可能です。  例えば左官材料の配合であれば、配合割合に幅を持たせることで効果的な配合が行える範囲をおさえられます。 特許を通す方法  あいまいで幅のある特許の場合は多いですが、これは見方を変えることで新しい発見や発明となりえます。  見方を変えることとは、たとえば特許内容を回避する形で別の分野において用途を横展開したり、あるいはひとつの特許を別の特許と混ぜ合わせたりすることです。  例えば3

問題発生時の防ぎ方・予防法

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 組織で働く場合において、問題の発生してしまうことがあります。問題が発生してしまったらそれはもうどうしようもないですが、今後、問題の起こる前にそれの発生は防げるかもしれません。そこでここでは働く組織において問題を防ぐこと、働く組織における問題の予防方法を書いてみました。 危機感の薄い社会・精神保健でも  最近、周りの管理をする危機感が薄い気がしています。例えば防災訓練も形がい化していることがあります。役立っているとは言えない事が多いです。これは日本だけのことなのかわかりませんが、 見えにくい業務や行動、予防に関して軽視されている ような気がします。  これは私の行っている精神保健の分野でもいえます。大事になってからでは遅いのではないかと思いますが、対処を考えているような方は少なく、残念です。  少なくともまずいと思っていらっしゃる部分があるようでしたら、大事になる前に予防する心がけは持っておいたほうが良いのではないかと思います。 危機感の薄い原因は見えにくいものを考えたくないから?  確かに見えにくいことの安全性を見たり、対策を練ったりすることは必要以上に予算がかかることはあります。 ですから予算対効果が確実にあるのかというと、すぐには回答できません。しかし大事になってからでは遅すぎます。そこで必要経費とみてリスクを負って行動する 方法があります。  それには臆病なくらいのリーダーが必要で、そのような方は問題が起きた場合の策を容易に考えやすいです。  なお、そうした臆病な方に似た例として決断できない上司がいます。決断できない上司はは部下の話を一切聞かない、あるいは相手を信じない心もあり存在を無視する傾向にあります。これは間違っているような気がしています。 ミスはつきもの  そもそも基本的に人間はミスをする生き物です。ですからそれを想定して何でも行動する必要があります。  ミスをしないことはそれはそれで望ましいことですが一方でそれにこだわりすぎると事実をゆがめます。そこで ミスに執着しすぎないことが重要 です。 ミスの予防には①多くの知見を持つ。  そこでミスを執着しないための方法としては、一つのソースや一人の人の情報のみを宛てにせず 複数の知見や情報をもちより自分で判断を

相談員の自信と母性や父性といった考え方

 相談員としてその特性が見出せない場合があります。そのような場合、お客さんに適した対応が出来ず、さらには自分のアイデンティティも確立出来ません。これは大変問題だと思っています。そこでここでは相談員としての特性を見出すために相談員が必要と思われる資質(自信と、母性・父性)を書き、自信についてどのようにしたら身に着けられるかを書きます。 相談員は控えめなほうがいい?  多くの福祉組織では相談員という職種の方がいます。こうした職種の方は一般的には控えめなほうが良いそうです。しかし私はそうは思いません。なぜならば、控えめでないほうが自分の自信がつきますし、相手へ自信を与えるきっかけとなりうるからです。  そもそも相手が相談しに来ているということは相手が何らかの不安を有していることが考えられ、自信がなくなっている部分があると思われます。そうした自信のない方からの話を聴いたり指導する場合、相談者以上に相談員の自信がなくなっていては相手に自信をつけてもらうこともできませんし、本来出来ることもできなくなってしまいます。ですからこれは問題です。  確かに気持ちを共有するという意味では控えめなほうが相手の気持ちに寄り添える部分はあると思いますが、相談員としては 寄り添うことは大事なものの、それが必ずしも目的になるとは限りません。自信を持って相手が巣立ってもらうことが目的 です。 自信をつけるには  そこでどのようにすれば自信がつくのかを考えます。自信をつけるには通常二つの方法があると考えられ①自分の心を真剣に向き合う方法と②取り急ぎ行動から自信をつける方法とがあるように思えます。そこでここでは②の方法を紹介します。  一般的に笑顔を無理やり作るとそれに合わせて気分も高揚するといわれています。これと同様に、通常自信のある場合には声が大きくなることが多いです。ですから、自信と声の大きさが関係あることを知り、声を大きくすることで自信を持つ方法があります。  岡野雅行さんの「心が折れない働き方(青春出版2011.12)」にも書かれていますが、自信を持つことは同時に自分の存在をアピールしていることとも言え、声が大きいということは自信も大きいと考えられる部分があります。 自信以外に必要な母性と父性  また自信以外にも必要な相談員の資質や考え方は

相手を慮って行動の半歩先を行く方法

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同じ目でなく、自分独自の目を見据えることも重要です。  お客さんが相手の場合でも共同で相手と課題を解決する場合でも、相手が何を求めているかを考える必要があります。これが考えられず相手の求めているものを提供できない場合、相手は困ります。それは問題です。そこでこうした問題に陥らないようにするためには、どのような行動をしたらよいのでしょうか。ここでは行動の先を考える場合に対し何を大事にするかといったことを書きます。 KYという言葉が流行る慮り文化の今  かつて「KY」という言葉が注目されました。これは「空気が読めない」という言葉の「KUUKIGA-YOMENAI」のそれぞれ頭文字「K」と「Y」をとったもので、相手の言葉や状況が理解できないという意味です。  これは仲間の間で共通の課題を達成しようとする場合に、足並みがそろわない意味で問題です。特に無意識にKYな行動ばかりしている人がいると、同じ課題を達成する仲間が、いつもKYな人が害を発生させないか注意せざるを得ない状況にあり、しんどくなってしまいます。ですから、意図的にKYすることは大事だと思いますが、無意識にKYなのは問題だと思っています。(ただし発達障害や認知症などでどう頑張っても空気が読めない場合があります。そうした場合には病院に行きましょう。)。  なおこの「空気を読む」とは日本に昔からある「相手をおもんぱかる」という文化です。相手の状況や言動、気持ちを理解し、それに対し自分が相手にとって害のないような行動をする、ということです。ちなみに ことバンク では慮るとは   動ラ五(四)] 《「 おもいはかる 」の音変化。「おもんばかる」とも》周囲の状況などをよくよく考える。思いめぐらす。「相手の 体面 を―・る」  という意味で使われます。 慮る相手の半歩先を読むことは今後重要  このおもんぱかることと同じことは相手の行動の半歩先を読むということです。  そのためには本でも相手の話でも自分が情報を手に入れて使わないと身につきません。ですから何らかの手段で受け取った情報を「いかに次回につなげるか」「いかに相手に合わせて使うか」といっ

精神疾患は協力して生きる。無闇に排除しない。

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 何が正常で何が異常かわからない世の中です。そうした世の中で異常と言われて、一方的に排除される精神疾患の方が居ます。こうした精神疾患の方を排除をすることは人間構成が変わる意味で問題です。そこで①精神疾患の方に対してどう対処し、②また世の中をどう生きたらよいのでしょうか。お医者さんや精神疾患の方に近しいわれわれ社会の人のの役割とは何かについて考え書きました。 病気や正常とは何か  精神疾患の方は異常だといわれて排除されています。異常とは正常ではないということです。それを考えますと出来る人も出来ない人も異常という意味では同じです。また異常がすべて、精神疾患となるわけではありません。  そのなかで精神疾患は①性格に起因する場合と②その他に起因する場合とがあります。  性格に起因する場合への対処は、性格を改善しようと考えます。そのため、例えば認知療法などを行う場合があります。  一方その他に起因する場合の中にはひとつに脳が原因であると考えられる場合があります。その場合、脳に作用する薬を用いて対処していることがあります。  実際は上記①と②とが単一である場合だけで無く混在しているこもあり、本当のところは病気の原因というものはわかっていません。 正常と異常の違い  そもそも正常とは何なのでしょうか。一般的に正常は平均といえ、「確からしい」と言うことです。そのように考えると、実は正常が正常かはわかりません。あるいは異常も異常ではないかもしれません。  とすると 自分が異常だと思うことが異常であることもあること、正常が正常でない可能性もある ことを知る必要が有ります。 お医者さんも必要だけどかかわる人はもっと重要  お医者さんはこうした「異常かもしれないし異常でないかもしれない」原因がわかるかもしれないし、わからないかもしれないといった精神疾患の方の治療に当たります。  その場合、大学病院や研究所など一部のお医者さんは精神疾患の方が症状の起こる原因を調べたりすることはもちろんあるのでしょう。  一方で町にいるお医者さんの場合は、取り急ぎ症状を抑えるため状態を見て診断します。相手のことを見ることが何より必要で、となると お医者さんとして「原因を撲滅することを目的とした従来の医学モデル型治療としての役割」は大きくは無いのではない

他人視点で自分をはかる。第三者視点の重要性。

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他人の視点を持つことは自分に秤を持つこと  気持ちの面で問題が発生した場合、私は勇気を持って自ら立ち向かうことが重要だと思っています。しかし世の中にはそのようなことをせず、他人に依存することがよいと考えられている方もいます。こうした他人に依存するということは人の視点を持てず、問題です。それはどこがどのように問題で、反対に依存しないこと他人の視点を持つことはどのような利点があるのでしょうか。ここではそうした利点と、利点を得るための方法を書きました。 割り切れていないのは分解しきれていないから  サイコパスな方はもちろんですが、一般的な方の場合であっても他人は自分でないためわかりません。ですから相手が嫌であったり、違ったりすることで不満を持つことは必ずあると思っています。  そうした不満に対しては個人の気持ちを大切にし、勇気をもって相手に立ち向かう必要があると考えています。そのためには常日頃から気持ちを味わい、場合によってはとことん落ち込んで、反省することで策を練るか、あるいは問題そのものから離れ、忘れるという方法もあるのだと思います。  私個人的には前者の勇気を持つことが重要だと思う一方、世の中のそうした気持ちに対処する方法として後者の方法や、あるいは他人に依存するといった方法があるのだと思います。  例えば朝のテレビ番組で放映されている占いを見て一喜一憂したり幸せにしてくれる基準を相手に求めたりする場合がそうです。あるいは自分探しの旅に出てぷらぷらしている場合や白馬の王子様を待つことなどもその類といえるでしょう。  これらの事例のような行動をとることは確かにラクですがどこか責任感がありません。当然他人に従って行動しますけれども行動から問題が起こった場合にはその原因を特定することができません。となると問題も改善を図ることができません。これは問題です。  ですからもしそのような他人に依存していることが問題と考えそれを解決したいと考えるならば、状況に対する策として相手と、自分との比較とをそれぞれ分けて考える必要があると考えています。 原因は脳なのかも、しかし使い方しだいで有用に。    なお、こうした都合よく考える解釈は脳がしていると考えられます。脳が都合よく簡単に解釈するこ

心の利益を向上するには

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 結婚、仕事、世間体など目先の利益が得られればすべて良い、という文化があります。これらは確かに安心のもてる部分があるのかもしれません。しかしそれでは革命的なこともできませんし、続けてゆくと何のために行動しているのか、あるいは何のために生きているのかがわからなくなってしまいます。すると場合によっては悪いことを良いこと勘違いしかねません。これは私は問題だと思っています。そこでそれらの状況を打開するにはどうしたらよいのでしょうか。ここではその考え方の転換方法と、気をつけるポイント、行動する場合において考えたほうがいいであろうことを書いてゆきたいと思います。 目先の結果重視な社会はおかしい  一般的に金や地位を得ることが満足と思われます。しかしそうした金や地位などという目先の利益を得ることの考えが大きくなると、いずれ「砂をいかにして金として騙すか」といった悪意を持った行動を「良し」としかねません。すると「働かないことが素晴らしい」などといった間違った考えが生まれてくる気がします。これは私は問題だと思っています。  そこでそうした考え方への対策として ①価値観の転換を図り②継続することから力を蓄え③組織や個人に感謝をしながら④行動する ことが必要です。 そこでこれらとはなにか、といったことを以下に詳しく書きます。 ①価値観の転換を図るには   はじめに、価値観の転換を図るには 「挫折を経験する」 必要があります。それは理想と現実との差を埋めることです。  かつて 「電力の鬼」 こと松永 安左エ門 さんは「大病、投獄、浪人を経験せねば人は大成しない」といっていました。これらは挫折しすることで大物になれる、言い換えれば大物になるには理想と現実を埋めることが必要だ、といわれているのだと私は解釈しています。  なお、挫折の経験には自分で意図のできない部分があり、気がついたら経験するといった場合もあります。   そうした挫折を経験することにより、これまで存在した価値基準をずらせられます。 無駄が無駄でないことを知る機会ができるといえる場合もあるのかもしれません。  また金という対価の先に何があるか、・何をスキルとして生かし・何が出来るかということ・何のために働くか、を追求することでも見出すことが出来ると思います。 ②継続する

(精神保健福祉士の)実習や実習計画でおさえること

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夏や冬など長期休みは実習にもってこいですね。  精神保健福祉士の取得するには実習が必要です。実習を行うに当たって大事な点を記している記事は少なく、問題だと思っています。そこでここでは実習において大事な点を記します。なお、私はPSWの実習は基本的に業務への延長線上にあるものと考えています。ですから常に改善のサイクルを用いることで段階を踏んで良くなる必要があると考えています。 はじめにおさえること:目的  実習をするとき、はじめに「実習が実習であるための目的」を十分詰めておく必要があると考えています。実習前、実習中、実習後問わず、その目的を通して「なぜ、いま」実習をするのか、ということを知ることは重要だと考えているからです。  これがなされないと指導員や職員の指示にただただ従っているだけの操り人形になってしまいます。それでも資格を取るためだから仕方がないと考えられているならそれでも良いのかもしれませんが、せっかくの実習をするのでしたら明確な目的、明確な視点を持って実習をしてほしいと考えています。  その際、目的を見出すヒントとして①外発的動機付けと②内発的動機付けとをおさえる必要があると思われます。 ①外発的動機付けとは他人のためのものです。 ・お客さん利用者さんを喜ばすため。 ・資格をとるため。 ・権威を振りかざすため。 ②内発的動機付けとは自分のためのものです。 ・興味関心から発せられるもの。 ・実務の延長戦と感じ修行と感じるもの。  ①の外発的動機付けに比べ②の内発的動機付けのあったほうが学ぶ意欲はあがると思われます。なぜなら自分の気持ちは目に見えるもの以上に高いと思われるからです。しかしこれは目に見えないといった問題があります。よって見出すのには困難を伴うことがあると思います。また②の内発的動機付けの中でも単なる興味関心(即ち野次馬的見方)しかないようならば、浅い実習計画とはなりかねません。  そこで②の、しかも深い内発的動機付けを持とうと考える場合にはどうするか考えます。私は、 これまでの自分の生育暦や自分がこれまで学んだ理由を振り返り、「なぜ」「いま」実習をする必要があるのかを改めて自分に耳を傾けて丁寧に聞く 必要があると考えています。  そのためには他人と議論しあ

成長や進化をするため小さなうちから『慣らす』

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わらじも慣れて地面と人間とを支えます。  この世は変化の無い生物は淘汰されます。われわれもそうです。そうした淘汰されることが起こりうる世の中で、われわれがこれから生きていこうと思った場合淘汰されてしまっては困ります。問題です。そこでここでは人間が淘汰されず良く進化するためには何が必要かといった方法を書きました。 生物間で生の時間は異なる  動物の生きる時間は大きさによって変わります。それはひょっとすると一人の人間の場合でもいえ、人間の身長も時間経過によって大きさが変わることから時間の見方や感じ方も変わるのかもしれません。  例えば老人と話をしていると彼らはよく「時が立つの早い」といいます。確かに彼らは同じことを基本的に繰り返しているからそのように感じる部分もあるのかもしれません。ですが、もしかしたらこれもわれわれ若者の場合と老人の場合とでは、大きさの違いから本当に時間の感覚が変わっている可能性もないとはいえません。  ですから大きさで時間の感じ方が変わるならば 成長の過程で時間の変化のあることを認識し、それに時々に対応した行動をすることが望まれ ます。 不用意な気持ちに対処するため早めに行動する  また進化によって生物の大きさも変わります。  コープの法則というものが世の中にはあり、基本的に大きい生物は後から生まれるといわれています。 コープの法則とは・・・コトバンクより 分化度の低い生物の属は多種の生体を発生するが,よく分化した属は変種を発生することはまれである(非特殊型の法則). これは無生物や態度の問題でも言えるかもしれません。  例えば化学の実験でも最初は試験管レベルの実験をしてから成功後に現場の実験をすることがあります。  また態度においても時間の経過につれて小さなものがだんだん大きくなることもあるかもしれません。  ですから特に態度などの 不用意な気持ちは大きくなる前、出来るだけ早い時間に対処すること、ここでは即ち自省することが望まれます。 成長を得るために必要なこと  上記のことを踏まえ(1)その生きている時々、変化する時間を見極める。(2)(態度が)大きくなる前に人との関わりや干渉を持つ。ことが生きていく場合には重要です。  それは自分

良いを手に入れる方法3点

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古ぼけていてもしっかりした柱や点はあるものです。  仕事でも人生でも何でもそうですが、良くなるには何をどうしたらよいのでしょうか。ここでは主に以下の三点について考え、新たな道を出せる方法や考える方法についてどのようなものがあるのかを書きました。 自分の気持ち 自分の強み 他者と協力 自分の気持ち:だめだと思わない限り可能性はある   自分の気持ちとして ・目先の利益を得ることだけを考えること・終わりだと思うことで良くなることの目は摘まれます。  ですからあまり 目先の利益やゴールを意識することなく、常に良くなる、成長できる可能性を持つことが大事 です。  そのためには問題だと思われる 危機的状況でも機会と捉え 、場合によっては 考え方の転換をする 必要のあることもあります。 自分の強み:商品開発の要  通常出来事には二面性がありますがそのうちどちらか一面を 選択することで強みを持てます。  古い技術もさることながら、それら古い技術を組み合わせることで新しい技術を作ることが可能です。  また高利益品を少数に売る方法がありますし、一方で少利益でも多くの方に売るという方法もあります。  例えばお医者さんの世界でも、病気の際にあれもこれも考えられるという医者と病気と対処法をズバッと決めると医者とがいます。    いずれもどちらにも良い点悪い点があります。ですからそれら 良い点や悪い点を自分の中で咀嚼し、どちらかに特化することで新たな良い道が見えて きます。 他者との協力:お客さんや仕事仲間との関係  加えて 他者とのやり取りを通して ストーリーを作ってお客さんに 共感してもらう 。 相手が何を望んでいるのか 選択肢を複数持つ 。 スタッフ間の 連携・チームワーク持つ 。 ことが 良いを手に入れる上で大切 です。  これらを得るためには陰の努力が必要です。つまり社長椅子などの見た目ににふんぞり返らず 評価を気にせず汗を流して動く 必要があります。 それを以下を読んで考えました。 一億人に伝えたい働き方 鶴岡弘之著 PHP研究所発行