精神疾患は協力して生きる。無闇に排除しない。


 何が正常で何が異常かわからない世の中です。そうした世の中で異常と言われて、一方的に排除される精神疾患の方が居ます。こうした精神疾患の方を排除をすることは人間構成が変わる意味で問題です。そこで①精神疾患の方に対してどう対処し、②また世の中をどう生きたらよいのでしょうか。お医者さんや精神疾患の方に近しいわれわれ社会の人のの役割とは何かについて考え書きました。


病気や正常とは何か


 精神疾患の方は異常だといわれて排除されています。異常とは正常ではないということです。それを考えますと出来る人も出来ない人も異常という意味では同じです。また異常がすべて、精神疾患となるわけではありません。
 そのなかで精神疾患は①性格に起因する場合と②その他に起因する場合とがあります。

 性格に起因する場合への対処は、性格を改善しようと考えます。そのため、例えば認知療法などを行う場合があります。
 一方その他に起因する場合の中にはひとつに脳が原因であると考えられる場合があります。その場合、脳に作用する薬を用いて対処していることがあります。
 実際は上記①と②とが単一である場合だけで無く混在しているこもあり、本当のところは病気の原因というものはわかっていません。


正常と異常の違い


 そもそも正常とは何なのでしょうか。一般的に正常は平均といえ、「確からしい」と言うことです。そのように考えると、実は正常が正常かはわかりません。あるいは異常も異常ではないかもしれません。
 とすると自分が異常だと思うことが異常であることもあること、正常が正常でない可能性もあることを知る必要が有ります。


お医者さんも必要だけどかかわる人はもっと重要


 お医者さんはこうした「異常かもしれないし異常でないかもしれない」原因がわかるかもしれないし、わからないかもしれないといった精神疾患の方の治療に当たります。

 その場合、大学病院や研究所など一部のお医者さんは精神疾患の方が症状の起こる原因を調べたりすることはもちろんあるのでしょう。

 一方で町にいるお医者さんの場合は、取り急ぎ症状を抑えるため状態を見て診断します。相手のことを見ることが何より必要で、となるとお医者さんとして「原因を撲滅することを目的とした従来の医学モデル型治療としての役割」は大きくは無いのではないかと感じます。

 確かに現在、上記でも示しましたように精神疾患は脳が原因と考えられている部分が有り、それに対する薬物を投与をすることで症状がおさまることはあると思います。

 しかし本当の原因がはっきりとわかっていない以上薬物投与だけ、あるいはお医者さんに任せっきりにせず、精神疾患の方を支える家族や友達、仲間、恋人や上司と部下など、治療に当たる人同士の協力する必要があるように感じます。


求められる必要悪


 そうした対処が考えられる一方で実際に異常を排除してしまうとどうなるのでしょうか。異常が排除されると正常だけになりそうだと考えがちですが、あながちそうなるともいえません。新たな異常が発生することが考えられます。

 その一例として「働かないアリにも意義がある(長谷川英祐 メディアファクトリー新書)」という本にも書かれていますが、蟻の世界ではこうした怠け者の蟻も、いることで他の蟻が生きるつまり「必要悪がある」ことが言われています。

 これは人間にも言えるものだと思います。人間組織が集まる場には通常2:6:2の法則があり、どんな状況であっても優秀な人2:日和見6:ダメ2の階層に分かれるといわれます。
 つまりある程度の悪があるからこそ正常や優秀さを保っているといえるのです。いい換えますと優秀な2を除いてもダメな2を除いてもいずれも除いた後の集団で2:6:2の法則が成り立ちます。

 ですから以上のことから考えるに、むやみやたらに異常を排除するのではなく、異常があるのを認識したのでしたら、その異常が悪い影響とならない程度に騙し騙し慣らすことが重要なのではないかと考えます。




それを以下を読んで考えました。
病的性格  中央公論社発行 1965.5です。

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