恋と愛との違い、愛への昇華方法


 現段階でのたたき台として文章を書いています。変だったらコメントください。
 世の中には「恋愛関係」というものを多くの人が持っていて、それが転じて子供とを作ったり結婚したりして複数人で生活します。その他者との関係を作る場合において「恋すること」と「愛すること」とがありますが、これらは違うことを知ることは重要と思われ、特に「恋」から「愛」に昇華する方法はあまり書かれている文章はないのでここではそれを書いてみました。


恋と愛の違い

  まず、「愛すること」と「恋すること」とは同じようなものであると認識している人がこの世の中には非常に多いですが、実は恋と愛とは違うものであることは認識したほうがいいです。


愛することとは


 「愛すること」とは「相手を認める」ことです。故マザーテレサが「愛の反対は嫌いではなく無関心である」と言っているように、これを論理的に解釈すると「無関心であること=無視すること=存在を認識しないこと」の反対が「愛」であるといえます。いうなればそれ(無視することの反対)は「存在すること・認めること」であることが考えられます。この「存在すること」や「認めること」というのは「相手がどうあってもそのままを受け入れること」です。もちろん他人と自分とは違う部分があるので、特に価値観や考え方の違う部分は一般的に発生しますが、それらが「大きく違ったとしても受け入れられること」、「違っていてもゆるすことができること」を「愛すること」と言い換えることができます。これすなわち「相手が自分とは違うことを知ること」、あるいは「何が違うのかを明らかにすること」でもあると言えます。
 例えば恋愛だけでなく子供を育てようとする親は「子がどんなであっても認める=愛する」 ことがあります。もちろん親である自分の思い通りに子供が動いてくれたらそれ以上に楽しい部分はあるかもしれませんが、親として子供が育つにあたっては社会的に好ましくない非行に走ろうともあるいは犯罪者になろうとも無条件で子供の存在を認めることができるのではないでしょうか。逆に子供の存在が親である自分にとって認められない、もしくは子供は自分の一部のものであると主張するような親がいるとするならば、その親は子供にとって血のつながりはあるかもしれませんが子を育てる意味での親ではないと言えます。


恋することとは


 一方「恋すること」とは「手に入れたくて仕方がないこと」と言えます。主に「嫉妬すること」「自分が勝つこと」と言い換えることができます。
 「嫉妬すること」とは執念のようなもので、自分にないものを相手が持っていることを妬む、嫉むことで、字の通りです。これは相手と自分とを心の奥底で比べている部分があって、相手と「本来自分が持つ権利のあるはずものを相手が持っていて憎い」といった感情です。つまり心の奥底で「相手と自分との違いがわかっていない」ことが考えられます。これは主に小さいころから自分と親との分離ができていないことが原因として考えられます。なぜなら人間が社会性を有するためには通常一番最初に親との関係がなされていることが言われているからで、親との関係形成につまずくと以後の他人と自分との関係もつまずき続き、結果的には嫉妬心が生まれると思われるためです。ちなみに僕にとっての親は別個体であると認識しているので、あくまで「自分のルーツに最も近い他人」であると認識しています。ですから嫉妬心は生まれにくいです(生まれないとは言えないです。なぜなら今後生まれないことを証明するのは悪魔の証明だからです)。
 また恋することとは「相手に勝つこと」でもあります。特に重要なのが「自分が勝って相手を負けさせる」 ことが重要とみていて、人生においての「最高」(≠最良)と同じような意味です。「自分が勝って相手を負けさせる」とした考えは最終的に自分に返ってくることが言えます。因果応報という言葉が日本語にもあるように、自分のしたことが最終的には自分に返ってきて負けるでしょう。一般的に勝負はその瞬間だけにを見ることがあるかもしれませんが、これはあくまでその瞬間の勝負なだけであって、それが自分が死ぬまでの長い人生の中でどれだけ意味のあるものなのか、必ずしも短期的な部分の勝負に勝ったからと言って「どうせ最終的には死ぬ」ことを考えるに「相手を負けさせて自分が無理やり勝つこと」自体にはあまり価値を見いだせないのではないかと個人的には考えます。世の成功者やお金持ちの中には勝負を勝ち続けて相手を負けさせ資産を保持する人もいるにはいますが、そうした人は必ずしも自分が幸せではないのではないでしょうか。いやむしろそのような方は相手を負けさせてお金持ちになったことで他人からの反感も同時に買う部分があるので、お金や資産を持っていても心の貧しい人が世の中にはたくさんいる気がします。変に勝負を勝ち続けて一時的には財産を手に入れられたとしても、同時に他人の恨みのような感情も手に入れるのだとすれば、あえて勝負に負けて貧しくても心の平穏を保つ方が人生としての幸せ度は高いかもしれません。むしろ貧しいくらいの方がそうした他者からの恨みを買うことがなく、「生きること」や「存在すること」といったことに集中できることから多くの先に示した不幸な金持ちの人より幸せ度は高いと思います。

 以上のことから基本的に恋することは奪うニュアンスが強いと考えていて、相手を傷つけ自分を傷つけて最終的には誰も得しない、全体としてマイナスに作用することがあると考えています。 一方愛することは相手も自分も得をすることで全体としてプラスに作用することがあると考えています。


恋する相手から愛する相手に変わるには


 先の「嫉妬すること」と「勝つこと」とが「恋する」ことと考えられる場合、それを「愛すること」へと昇華させるにはどうしたらよいでしょうか。

 嫉妬することへは自分と相手との違いを認識することが大事だと考えています。先にも示しましたが人間関係の最初の在り方は親との関係にあるとと思われるため、あくまで親とは血はつながっているかもしれませんが、別個体であることを認識することが大事と思います。そのためには親から独立して親以外の価値観を手に入れることが重要かもしれません。相手との分離を考える場合には一般的にカウンセラーの立場ではよくあることなのですが、相手とは感情面で薄皮一枚隔てていると認識することで解決することができます。これは相手の感情を理解することはできたとしても相手の感情を自分の中に取り込まないようにすることであって、相手に自分の人生を巻き込ませないようにするための技術でもあります。つまり相手と自分とは別物であることを前提として考え、相手よりはまずは自分があっての人間関係であることを認識することが重要です。自分を大切にすることから相手を大切にすることがはじまります。僕は仕事であっても基本的に好きでもない人とはしませんが、これも自分と相手とをともに尊重する意味では重要なことと考えます。
 また、勝つことへの対処方法として相手を自分として認識した場合に相手にとって気分の悪いことを基本的にしないことが重要です。逆に言い換えると相手が好ましいと思われることは積極的にすることが重要かもしれません。ただし相手が何を望んでいるのかといったことは相手さえも認識していないことが世の中には多いです。確かに態度や言葉で認識することができることがあるかもしれませんが、それもあくまで推察の域を出ない予想です。推察から一歩先をゆき言葉にせよ態度にせよ、ありのままを観察できるようにするためには相手が本音を引き出しやすい関係を作ることが大切かもしれないと僕は考えます。そして自分のことを自分の言葉で表現できるようにすることが大切なのかもしれないとも考えます。そもそも言葉を適切に表現できていない人がこと「関東」に多く住んでいると思います。関西のように漫才文化が発展していないことも一つに言えるのかもしれませんが、それは残念でなりません。僕は大学生の頃に関西に行って言葉の大切さを教えてもらったことがあり、どちらかというと関西の言葉をそのまま表現できる文化は好きです(ただし京都は思ってもいないようなことを平気で言うことがあるため除きます)。
 
 いずれもこれらのことをするためには相手だけでなく自分自身をも信じることができるのかといったこと、自己肯定感を持つことが重要になる気がします。それには自分や相手の言っていることや感じていることをストレート・ありのままに認識あるいは納得することが大事かもしれません。常にひねくれて認識しているような状況においては相手の状況や感情も、そして自分の状況や感情も認識することができないでしょう。すると例えば相手の感情も自分勝手に解釈して真実を自分勝手に認識してしまうことがあると思います。これは相手を相手の通りに認識できない意味で問題です。確かにおなじような文化で生きている相手であるならば自分勝手に相手の感情を解釈することで似通ったような反応を推察・認識できることがあるかもしれません。しかし、根本的に相手と自分とは違う人間である以上、相手のことを自分勝手に認識することは間違いも発生しうります。そうした意味で真実を認識する意味では二つ以上の独立したソースから導き出すことが必要であると考えられ、自分の感情と後は全く第三者の感情とをもって本当の真実を見極めることが大切なのかもしれません。 そうした意味では一つでも多くの信頼できる人間関係を構築することが大切であるように思います。よっぽどの価値観転換が起こって一人で二つ以上の価値観を有していけるような状況であるならば別ですが、基本的に一人で悩み続けていては問題解決はしません。ですので心を許せるような人を身近に起きましょう。

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