瞑想で心を満たす。



私たちは、学校や会社など多くのコミュニティに属していて
そこでのルール、常識に伴って活動していることがあります。
そのコミュニティに属しているメンバーもさまざまで、
学生/会社員/経営者/主婦など多種多様です。
彼らは立場の違いによってそれぞれの常識も異なってきます。

立場の違いがあると常識も異なる
(最終的には人がひとりひとりも違う)
ことは当たり前で、それを認識した上で、よりよい組織運営
を考えるのならば時に相手の立場を考えながら活動してゆく
必要があります。

日本にあるそれぞれの組織なら、上流には日本という国があり
国以上に上流のもので特に文化的な側面を考えたならば
宗教があります。佛教であるとか、キリスト教です。
私からすると、これらの宗教は実は根底で繋がっているというか
本流は実は同じところにあると考えられます。
ですが文化的な違いによって見方であったり
使われる言葉であるとかが異なってくるのだろうなと感じます。

世界の人々の考え方を学ぶために、
そのために入信することは無くとも
宗教を一つでも精通していたほうが良いことが言われています。
これはその地で多くがされている宗教を知っていると、
国の文化的なルール作りにも起因してくる部分があるからです。
また他者を共感することが容易になることが考えられるからです。

ともかく、われわれ日本人に馴染み深いものとしては
佛教がありますが、その中でも実践する方法として考えられる物に、
瞑想というものがあります。呼吸瞑想法が挙げられ、
半年くらい前に読んだ「スタンフォードの自分を変える教室
という本にも心を集中するために「瞑想」が挙げられていました。

この瞑想の方法を実践することによって数ある満たされない欲望や
誰しもが持つことがあると考えられる不満を解消することが
出来るのかもしれません。それが書かれた本がこれ
「「自分」から自由になる沈黙入門(小池龍之介著 幻冬社発行 2008.3)」です。



















佛教を基にして、考え方、実際の瞑想方法が記されていました。
キリスト教などの西洋の宗教では
自分がするから他の人にもするのを認めようといった
自分の考え方が先にたつ考え方だと思うのですが
この本を読んで考えたこととしては恐らく佛教としては
他人に抑えるために自分を抑えよう、といった
考え方となっているようです。
思わず「見方が違う!」と考えを持ちました。

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