依存することとはどのようなことか。

公開日: 12/06/2013 ソーシャルワーク 感想 共依存・からめとる愛 親子 生き方 読書 恋愛






















事な大事な人との関係

社会を生きている以上、人と人との関係が出来ます。
最初は親子の子供の立場で、大きくなると恋人を作り男女の立場で、
最後は親子の親の立場で、それぞれ人間関係を育みます。

通常、時間がたつにつれ自立し、問題なく徐々に関係がなくなります。
一方、時間がたつにつれ自立出来ず関係が悪化し、
問題の発生する場合があります。
そのような場合、関係の悪化した誰かしらが訴え、問題が表面化します。

カウンセラーさんをはじめ、「自立を支援する人」は訴えを聞いた後、
お客さんと親族とが密な関係を作れるよう支援し、
もしくはお客さんとの擬似的な関係を作ります。
その関係から依存をし依存をされ、
最終的には「自立の支援する人」や親族がお客さんから離れる関係、
「自立の支援する人」や親族が必要のない関係を作ります。

問題が発生している関係は

「共依存的な関係」

とでもいいましょうか。
直接それで死んでしまうことは無いと思いますが、
暴力などの行動の原動力になると考えています。



れは。。。


依存関係という名の通り、人との関係です。
アルコール依存やDV、親子関係でもこれが原因で
生き難い生活をしている場合があります。

ざっくり書くと

アルコール依存では酒を飲むことで無力感や必要とさえれていない感から
支えられる者が暴力を起こし、支える者が世話をします。
すると支える側が「私しかこの人を守れない」と思ってしまう。
いやいやながらもさらに暴力を受ける、というものです。

DVの場合は、支える側が支えられる側の行動を何もかも先取りすることで
支えられる側の心が弱体化し、最終的には暴力に発展します。
暴力後は支える側が「私しかこの人を守れない」と思い
時にそれで満足し、再び暴力を受ける日々が続きます。

親子関係では親が自分の正当化をしようとし、子供を犠牲者にして責めます。
子供は親の期待に応えようとして、親の行動に過剰適応します。
親は子に「私しかこの子を守れない」と考え、子に依存関係を強います。
最終的には子供の心が疲れ、引きこもり、摂食障害などとして問題が出ます。


これらは連続的に続く悪循環であると考えられるため

「逃げ出すこと」
「だれかに助けを求めること」


が解決の糸口となります。
訴えを聴く立場にあるとき、家族全体の関係をよく見る目が必要です。
局所的に見ると間違った対応策をとってしまいます。


められていない感覚。

これらの問題の心には、満たされていない感があると思います。
暴力をするほう、されるほう共に。

暴力をするほうは助けてくれる人が居るのにも関わらず
それを認識していないということ。
間違った方法で心を満たしていること。

暴力を受けているほうは相手に尽くす「形」を誤解してる。
また相手から逃げ出すという勇気を持てない無力感がある。

いずれも相手につくす「形」を求めて、
残念な人が残念な人同士でつるんでいるような気がします。
小さい頃の認められなかった感の反動だと思いますが
それを如何に早い段階で見つけるか、というのは課題ですね。


それをこの本を読んでいて考えました。
「共依存・からめとる愛(信田 さよ子 著 朝日新聞出版 発行 2009.5)」


















想と課題

共依存関係を支配と言い換え、それが暴力との循環関係で
心の面と行動面とが関与していることを理解しやすく書いてあります。

信田さんの扱った事例を元に多面的に共依存の関係が書かれていました。
私は依存関係にある人は、その関係に縛られ行動を起こせないことがあるので、
それを如何に顕在化してもらうかがポイントになるような気がします。
なお、顕在化させるだけの大きな影響になっていないだけで
実は話せば誰でも出てくる物なのだろうとは思いますけども。
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