情報発信者・拡散者の責任

公開日: 1/27/2014 メディア 感想 読書 報道被害




















 報道関係者や記者と聞いてどのような印象を持ちますか。私は以前新聞記者さんと話していて、ぐいぐい押し迫るような気、何か言わされる雰囲気を強く感じ、悪い意味で驚きました。また、彼らは当人の前では平気で笑顔を振りまきますが、うってかわって裏ではぼろくそに言ったり書いたりします。それを知ってからマスメディアの人は信用ならないなと思いました。仕事とはいえ、相手のことを考えられない、一貫性がないのは相手にとって失礼なことなのだろうなと思います。


メディアの存在


 変な正義感や野次馬根性を持って取材する記者は居ます。その人たちは知らず知らずのうちに、もしくは知ってて意図的に犠牲者を生みます。ここでの犠牲とは何か、他人の築いた信用をメディアが崩すことです。

 そのひとつとして、罪を被る場合警察は敵となることがあります。本来なら真実を言えば警察は守ってくれそうだと思いますが、摘発率向上、事件の迅速解決のためありもしない執拗な自白が迫られたりします。
 たとえ無実であったとしても、容疑者として警察発表があることでそれをメディアがたきつけ、大々的に報道し(報道)被害の出ることがあります。

 これが起こる背景にはメディアによる警察へのストーカー的な夜回り、密着も原因としてあるようです。執拗に警察の日常生活を追いかけ、情報を得ようとします。またそうすることで警察からの情報に依存し、警察に記事を「書かされる」こともあるようです。

 今はわかりませんが以前の朝日新聞では良識を持っていた方もいて、疋田さんという方が、警察の情報を疑え、として記録していたそうです。

 報道なんて自分のこととは全く関係ないわ、などと言っていられません。メディアによる報道被害はいつどんなときに身近なこととなるかわかりません。被害を防ぐために弁護士さんがメディアと被害者間に入って仲裁や訴訟を行えます。問題が起こったとき、起こる前にも手段を事前に確保することは重要です。

 被害が起こると、真実の自分とメディアによって作られた自分との違いを周囲に弁明をする必要があったり、家族が被害に受けられた場合、ショックで言葉も出ない場合でもメディアにより執拗に感想を聞き出だされたりし徒労します。

 メディアが競争を持つことは悪くはありませんが、やりすぎなのはまずいです。メディアの人間は、そのような報道被害の発生していることは認識しているものの、システムを変更することは出来ない、と、えてして評論家のような意見を述べます。文の作成技術・構成技術は素晴らしいのでしょうが、これでは問題です。


道の集まりとその問題

 メディアは本来権力を監視し、少数を伝えることが大事だと思われます。しかし少数が多数・全てではないわけです。ついついメディアで映っているもの、書かれているものを見るとそれが大多数の意見かのような錯覚を受けますが、違います。

 メディアに属する彼らは情報の早さが第一で、警察の誤った情報も平気で報道します。また中には真の情報を得、事実を的確に伝えようとする記者の方も居ますが、記者の多くは経営者の指示で動いている手足で、事実性はあまり考えません。(そのようなところしかないと書くわけではなく、そのようなところがあるということです。)
 近年、メディアの質低下を危惧してか大学で報道を学問的に学んでいるところがあります。そこでは早さが全てでなくバランスよく情報を知ることを大事としているようです。

 なおメディアは報道被害の対策の一つとしてBPOを作ったりしています。しかし皆一致して金銭主義のため制度を曲げることがないのでしょうか、疑問です。ですから、ランビックと言った専門弁護士の居る第三者組織を利用したり、個々人の自立を促したりすることが必要になるのだと思います。

 報道被害の原因は、情報発信者あるいは情報拡散者が誠意を見せないものと、情報発信者あるいは情報拡散者が責任を持たないものがあると思われます。そこで、それぞれに対処する必要があります。

 誠意を見せないことに対しては、裁判や差止め、和解ができます。裁判・訴訟では、意向を固めることが大事です。記事や報道の物語の出来事を真実と対峙させます。発言の一貫性を持つことが重要で、弁護士を用います。公開原則です。差止めでは報道してはならないことです。嘘か、公益を意図する目的で無いものなら差止めできます。たとえ小説でも誰だか特定できる場合には差止め・訴訟されます。

 責任を持たないことは、強い権力を持っているという問題と己の心の弱さに分類できます。強い権力を持ってしまっている問題は、皆がメディアはすごいもの、すばらしいものと思っていることが一つにあると思われます。強い権力を持っていることからコントロールを失い、記者も学ぼうという気がないのではないでしょうか。アメリカのように罰則規定があるわけでないため、いわば何でもやりたい放題です。ですから、メディアから情報を受け取るわれわれはあくまでメディアは全てでなく一つの意見だという認識を持つ必要があります。

 己の弱さに関しては、記事を記載した人間が被害者と同じようにさらし者になったり、他人のプライバシーの踏み込む以上、最悪殺されても仕方がない程の覚悟を持って(ようは責任を持って)取材してもらいたいと思います。



害を受けての制定された法律と新たな問題点

 他方報道被害を受けて、近年では個人情報保護の法律で個人情報の守られることが出来るようになりました。しかしメディアへの国の介入、選挙候補者の情報が未公開でよいのかといった報道被害とは別の側面で問題が出てきています。

 また、このような法律、人権擁護の権利を逆手にとって、権利を持つためになんでも出来るのだ、と考えている人たちが少なからず居ます。それを見るにつけ、寂しい人たちだなと私は思ってしまいます。

 いずれにせよ、メディアとは上手に付き合って、もしくはある程度距離をもって接していきたいと私は思いました。さらに私が情報を発信する際も責任を持たねばならぬな、とも思いました。

それを以下の文献を読んで考えました。
梓澤和幸 報道被害 岩波書店 2007.1です。
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