受け入れられないことへの対応

 























一人ではどうしようもない、他人に理解されにくい問題はあります。
それを解決するため声を上げる必要のあるときもあります。
声をあげるときには、
 「現実」を見据え、「目的」を持ちながら「適度に」主張します。


け入れられない問題をどう対処するのでしょう。

セカイに差別はあります。差別を受ける人たちは手を取り合って生きています。
差別、とりわけ障害の人口比率において日本は5%で程度だといわれます。
20%のアメリカ、33%のスウェーデンと比べるとすくなく、障害の認定が厳しいようです。

障害でなくとも雇用でも男女による優劣があります。
女性は「家事手伝い」という伝家の宝刀を用いることで
数年無職の期間があっても雇用されたりすることがあるようです。

これらの優劣差、バリアに気が付くことが主張する場合は大事(区別とは別)です。
実際どうにもならない問題というのが発生した場合どうしたらよいのでしょうか。
そこでここでは障害の中で性同一障害を挙げ、どうするのかを考えます。
ちなみにこれは同性愛と違い、自分の性が受け入れられない障害です。


く社会全体で見る

広く見ると家庭、医療、社会の影響があります。

家庭において受け入れてもらえる家族や働きかけてくれるボランティアが必要で
受け入れられることで自分らしさを出すこと、自分が自分で動くことが望まれます。

医療も日進月歩で進化しています。現在考えられる性同一障害へは
1)精神療法2)ホルモン療法3)手術と言った治療が行われますが
障害の程度によってどこまでの手段をとるかは人によるようです。
手術には絶対は無く、リスクも大きいことは知る必要があります。

社会では行政への働きかけが必要となります。
書類は性別をまるで囲めばそれで終わりとなりますが、
それでも公的書類を出せなかったり、
戸籍が「家族の価値」として認識されていて改定は出来ません。
ですから生き方を変える意味では政治的に働きかける場合があります。


人で見る

本人、個人として見ると広く見た場合とは状況が異なります。
根底には自由進歩の雰囲気が必要です。

自身の性や身体を受け入れられない場合、
違和感を感じることを誰にも話せず、落ち込み、ジレンマも大きいようです。

よって周りとの軋轢を避け、恐れ、得てして嘘をつきます。
他人に対しても明石家さんまと大竹しのぶのやり取りのように
嘘をつき続けることで他人を混乱(5分くらい~)させることもあります。

また自分にも嘘をつき続けると、場合によっては身体異常が出てきます。
本来は「自分の性が受け入れられない」
といった精神疾患での治療が必要ですが
それを知らないならば自分でおかしくないのに
おかしいわけわからない状況となります。

本当は周りからは「そうね」「わかるわ」
と言った認められる言葉が欲しかったりします。


決方法を考えた

そこで、解決方法を考えます。
アウトローとして生きる方法もありますが、それが難しい場合
公に声を上げて責任を持ち行動します。政治的にいえばロビー活動でしょうか。

訴えるとした場合一般的には多様性を認め、愛することの出来る社会
尊厳を認める社会を作ることを望みます。そのため議会議員になる方もいます。

ただ、私はそれも行過ぎると困る箇所、注意箇所が二点ある気がします。
一点目は要望の先取りをしてしまうことです。
先取りをしすぎてしまうと、過保護の母親のように、
訴えていない人(母子なら子)が
「私が言わなくても良いや」といった無気力状態になると思います。
二点目はどこに限界点を引くか、ということです。
市役所の他国語表記において、少数国の表記をでかでかと表示しすぎると
大多数の人が住んでいる国の表記が見難くなることになります。
言い換えると、権利が行きすぎて逆差別にならないかという懸念です。


とめ

ですから、どうしようもならない場合、
「状況、現実」を見極め、
優先順位に即した「目的」が何かを見定めます。
加えて自分で自分を否定しないよう、
学校教育などの「未来」を見据えながら、
問題の存在を意識しつつ適度に主張することが望まれます。

一方で受け入れられない部分を主張する前に
我慢するか、または主張するかは焦点となります。
また主張の内容以上に「あれしろ」「これしろ」
といった表現方法を考える必要があります。
いくら正しいことだとしても強制的に皆を縛ってしまうことで、
反発することも予想さるからです。
ですから表現方法もほどほどに、と考えています。


以上次の文献を読んで考えました。
上川あや 変えてゆく勇気 岩波書店 2007.2です。

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