複眼的視点複眼的ものの見方を求める。

とんぼも複眼視点


 1980年代からインターネット(以下ネットと表記)が普及し、今では何でも「使ったもの勝ち」で便利な世の中になっています。また情報が得やすくなるだけでなく、発信もしやすくなっています。これは自然発生的に生じたものなのでしょうか。実はそうでなく、誰かが意図した広がりである場合があります。こうした「誰か」が「意図した」広がりがある、ということは広がりの中で何かしら問題が発生した場合はもちろん、広がりを利用して変化しよう、情報過多になりつつある時代を生きようと考えた場合に、意図を「気づく」必要があります。そうした「気づき」を得るためにはどうしたら良いのでしょうか。ここでは複眼的な視点に気づく見方・考え方のひとつを述べます。


二つの考え方


 一般的な考え方には恐らく旧来までの日本的な考え方と、これからのアメリカ的な考え方があると考えています。以下にそれぞれ示します。
 日本的な考え方とは省略文化を使用した一極集中型です。中央集権型と言いましょうか。例えば政策は国が主導し、それを信じてそれに皆が従います。自分で考えなくて良いためラクで安定と判断のスピードは速い一方、疑いがないことから騙されることにがあり、判断は面白くありません。
 一方アメリカ的な考え方とは情報を全て明るみに出し、広げます。地方分権型と言いましょうか。例えばこちらの場合ならば政策は皆が自らの意見をぶつけ合い、議論をよしとします。当然決まった型などが無いため不安定で苦痛です。さらに判断のスピードが遅い場合もありますが、一方で各自が納得した形で決定に参加できることから判断は面白いです。

 これらの違いは表裏一体でどちらも正しく、間違っていることはありません。一方でこれらはそれまで常識を思われてきた見方をわずかにずらすことで発見することができます。なお、成長を期待する場合には両方の考え方が必要です


これからの考えと問題点


  見方をずらすとは具体的にどのようなことなのでしょうか。以下に具体例を示します。
図1.視点Aと視点Bとでの見え方の違い

















 見方をずらす方法とは実施主体な視点なだけでなく、他から見る視点、冷めた視点や別の視点を持つことがポイントです。こうしたひとつだけではなく複数の視点を持つことを複眼的視点と言います。 こうした複眼的視点は、情報を発信することを目的とした世界、即ち現在のインターネットの世界は日常茶飯事に見られます。

 特に近年ではADSLや光回線などの高速通信技術の発展と2chやブログ、facebook,twitterをはじめとしたSNS等の情報発信の出来る場の整備とがなされることにより、これまで以前にも増して複眼的なものの見方が可能です。

 例えばひとつの事件を報道する複数の見方を持つ新聞社の例があります。具体的には読売新聞・産経新聞のソースの場合と、朝日新聞・毎日新聞のソースの場合とでは見方が大きく異なります。これは事件を報道する裏に社の思想的な部分が事件のあり、それが影響していると思われます。こうした異なるものの見方、もしくは似たものでも多くの視点にたって情報を見ることにより、それぞれを比較することで真実を推察することができるだけでなく、場合によっては発信者の何らかの「意図」を汲み取ることも可能と思われます。

 ちなみに、こうした複数のものの見方が得られやすくなった一方で、ひとつひとつの情報の価値が落ちるといった問題や、善悪や用途を含めかが何かしらの判断をしないと情報がたまる一方になる、といった別の問題が考えられます。
 ですからそれを防ぐことを考える場合には、あえてある目的を持つことで、その目的に合致していないものはどんどん捨てる必要があります。ですので現在のような情報過多になりつつある時代を生きるには、なんで情報を集めるのはを明確化し、それに沿って片っ端から情報を捨てるもしくは取り入れる判断をすることが重要なのだと思います。


それを以下を読んで考えました。
森健 グーグル・アマゾン化する社会 光文社発行 2006.9です。

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