ほどほどに自分を見生きることのススメ

公開日: 3/07/2014 感想 視線が怖い 生き方 精神保健 読書


 「自分の理想と社会における現実との差」に対して不満を持つことで、精神疾患になってしまうことがあります。こうした病になってしまうことは社会を生きるわれわれにとって問題です。そこで問題への対策・予防するには、どのような気持ち・考えをもてば良いでしょうか。ここではその持ったほうがよいでろう考えの一つを示したいと思います。


社会問題の発端


 動物は満たされるとそれ以上を求めません。成長できません。しかしその中でも人間は満たされると、満たされていることが当たり前、前提と考え、逆に満たされないことに不安や不満を持ちます。
 すると心がすさみます。最終的には不安を抱いたり不満から精神疾患になったりします。そう考えると戦後、物理的に満たされた社会は成長を阻害する原因の一つとも考えられます。

 しかし現在のように物理的に満たされつつある日本でも、擬似的に満たされない状況を自分の中に設けることで、自立・成長できます。


ルールの限りを決める


 そこで満たされない状況を擬似的に設けるには、はじめに問題に対する限界を決める必要があると思います。時間で決めてもいいですし、規模で決めてもいいと思います。この限界を決めないと、矛先をどこまでも広げてよいかわからず、混乱します。

 また満たされない状況を自分で決める必要があります。「組織や世間」の常識に状況を合わせると、「組織や世間における常識の状況」は実体がなく、その基準線は時代や環境によって変わり、自分ではコントロールできない場合が多いです。


生物の成長方法


 限界を決める場合には、10割全てをとろうとしてはなりません。パレートの法則にあるように、通常、成長は10中2の余裕やリスクがあってはじめて成り立ちます。余裕やリスクはヒト、考え方、時代、環境により変化します。

 そして、成長は感情をもとに言葉で表し行動することです。・・・行動⇔情動⇔感動⇔行動⇔情動・・・といったサイクルで成長します(下図)。
図1.行動、情動、感動サイクル

















完璧とはなりえずほどほどがよい


 限界を作る場合、人間はどうしても完璧性や完全性を求めてしまいます。医学でも理学でもそうです。無生物による最適解を求めますが、社会に生きる生物へは適応し切れません。

 精神疾患でもそうです。精神疾患をヒトとヒトとの関係性の病と捉えらることがあります。そうした場合、人間はもともと不完全なものですから、不完全な人間同士の関係を治療薬という完璧なもので改善しきれないと思います。

 ですから生きたものへの対処は生きた考え、生きた社会への問題は生きたヒトとの関係で対処する必要があると思います。問題を対話することで、相手が自分や問題の鏡として認識することが出来ます。するとはじめに戻って基準や限界を作り対処することが可能です。


自分を見る=自分を他者に生き写す


 まとめますと①自分で不満などの問題を見つけ、ほどほどの目標を立てる。②周りとの対話から、自分を見て問題をあらわす。この2つが循環し、よりよく生きることが可能と考えられます。

 自分の感情を素直に感じ、本当に話すことの出来る相手をもち、自分で歩む必要があると考えています。

以下を読んで考えました
上野玲 視線がこわい 集英社 2012.9です。
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