全体を見据えて都合のいい点を見つける


かつての私もそうでしたが、多くの若者が大企業の会社員や公務員になりたいようです。これは国や大企業といったある程度資産のある組織にいればつぶれまい、そして会社員という駒になって手っ取り早く「金が欲しい」考えが根底にあるように思います。この考えの裏には選択したくない、選択意欲の減退があるのかもしれません。
 こうした考えを作るのには周りの影響も大きいです。親を代表とした大人が、何らかの思惑を持ち、その思惑を隠して子どもに接する場合があります。また「子を一人前にする」よりも、「子に支援すること」に満足する方も居ます。
 このような一部の考えに支配され、時間の経過とともにそれが多くを占めるようになると自分の考えがわからず、精神疾患の問題になることがあります。これは問題です。そこでここではその問題の原因と、今後どのような考えで行動していったらよいかを考え、その対策のひとつを記したいと思います。


良くも悪くも情報化社会


 かつては、統計学なり何なりのデータを「誰か」が意図的に利用し、普及させ、周りがそれを信用し、周りは「意図された情報を考えずに乗る」ことで安心していました。

 しかし昨今情報技術の発展によって、その意図や「誤り・真実性」を容易に入手できるようになっています。すると社会に本来安心・安定が無いことがわかり、より安定を求める傾向にあります。
 一方で一つの問題に対して複数の視点を持つことが容易となり、何事も役立たせることが可能だ、という点でいい面でもあります。
 勿論強制することは出来ませんが、次の行動へ結びつく有益な視点を容易に持つことが可能です。

 例えば社会で良しとされる姿はネアカだと信じられてきました。実はそのようなことはなく、社会には①ネアカ的な面と、②ネクラ的な面とがありそれらがバランスを保って存在しています。
 「あの人はネアカだ」と他人がいうことはあっても、そうなりなさい、それが正しいという考え方は間違いになってきているようです。なぜならネクラ的な考え方でもリスクを考える上では重要な役割を果たすからです。


社会的に弱い立場も見方を変える


 どうしても人間は放っておくと暗いほう暗いほう(即ち死)へと考えてしまいます。うつ病の場合などが例として挙げられます。
 無職やフリーターという言葉をとると悪い意味で使われることがあるのは事実ですが、見方を変えると「楽しみを見つけられる」時でもあると考えられます。そうした楽しみを仕事にすると多くのお金を得られない可能性は高いのですが、それでも悪条件を覆すほどの力も持つことが出来ると思います。
 そうした意味では一般的な「評価が悪いもの」の場合でも、見方を変えることで新たな一歩を踏み出す活路を見出すことができるのかもしれません。


それを以下を読んで考えました
長山靖生 若者はなぜ「決められない」か 筑摩書房 2003.9です。

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