物事を伝えるには

エスカレーターでも連続的に動いているんです。


 先日、母校の東京高専へ行ったときに、学生や教師など皆が皆ぱっと出の規制やマニュアル、階層などへの執着をし過ぎている気がしました。本来新たに物を生み出す工学系の学校でもこのような規制やマニュアル・階層に執着する人が多いことは、かなり深刻な問題なのだと思います。なぜならこうした執着は、とらわれすぎると技術の伝達が途絶え、場合によっては本来必要としないはずの無駄な教育や制度が増加したりするからです。(俗に言うバカヨケのバカヨケで更なるバカヨケが発生する)これは問題です。そこで、ここでは技術や物事の伝達を目的とした場合、受け取る側としてどのようなことに気をつけて考え、行動したらよいかまた情報を提供する側としてどう考え、行動したらよいかを記したいとます。


伝達には連続性がある


 何でも完全な終わりは「無い」のですが、仮に伝達の終わりがあったとするとやり方8割、気持ち2割で伝わっていきます。こうした伝達は世代を経て行われます。しかし伝言ゲームにおいて意図した情報が、ひとりの他人でさえも伝わることが難しいように、自分と完全に同じ情報を相手に伝えることできません。「伝達」は人を介し、少しずつ変わりながら連続性を持つことを知る必要があります。そしてこの伝達される情報には①深さと②広さがあります。


伝えられる情報には深さと広さがある


①深さ、これは捨てることです。状況をあらわした絵などが例としてあり、ノイズは出にくいですが、全体はわかりません。最近小保方さんで何かと話題の論文も全体実験の一部を示しています。
②広さこれは拾うことです。現場の状況をおさめた写真が例としてあり、全体を見渡しやすいですが、ノイズがあります。吹奏楽におけるスコアなど、自分の立ち位置、現実がわかります。論文における全体実験のノートがこの広さを示します。
 これらの深さと広さがどちらかに偏りすぎると大概問題が発生します。例えば機械設計上のミスが発生する場合であるとか、期限の決まっている宿題に間に合わないことなどです。

 この問題へは深さと広さのバランスを保つことが大事です。


深さと広さのバランスのとり方


 これら深さと広さのバランスをとるには、素地を築いて歩みながら考えることが大切です。素地を築くためには、情報への親和性・即ち親しさ、情報への近さが重要です。情報と自分との位置か近くなることで吸収速度の増すことが期待できます。

 具体的な方法として、ネットを道具として用い、距離や時間を越えたコミュニケーション・情報共有をすることがあります。

 また上記の機械設計と宿題の例では、機械設計の例ならば現物の出来上がった機械を見て設計図との違いを確認し設計図を修正する。
 宿題の例ならば自分がどこまでやっていて相手がどういう意図で何が欲しがっているか自分が得た情報だけでは不十分かを調整する、などです。


情報提供者の立場や役割できること


 一方情報提供者は・相手を見て、聴いて何が必要か判断し、それに合った情報を出すこと、教えるのならばともに教えられる気持ちを持つこと、短期的な能力の上下に左右されず、待つ気持ちを持つことがそれぞれ大事なのではないかと考えます。

 仮に技術情報を提供するならば、多くは自分と同じ苦労を他の人にも味わって欲しくないと思っています。でしたら同じ苦労を味わうことのないよう、相手へ伝わりやすい形はどういう形か、配慮や思いやりを持って考えたほうがよいのかもしれません。

 こうした伝え方を考えることは難しく、遠回りになるように思われがちですが、情報が相手にあらかた伝わり、そして伝えた技術が伸びることは、結果として大きな意味があるように思います。



それを以下を読んで考えました。
畑村洋太郎 技術の伝え方 講談社発行 2006.12です。

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