流れを知り流れに乗る。

流れを知ることで、乗れる可能性があります。





















 現在は昔と比べ、比較的自由にいろいろなものが選べる時代です。選択した結果によっては安定や安心からラクを得ることもできます。しかしこれを前提に、即ちラクや安定を前提に選択するとどうなるのでしょうか。恐らく真の満足は得られないのではないでしょうか。こうしたことは、私は本来の流れに逆らっているようで不健全だと思っています。そこでここではこうした本来の流れに乗れていない人が、本来の流れに乗って生きるにはどうするかを記します。


変わる価値観


 結婚や恋愛の価値観は時代や状況により変わり、個人間でも異なります。昔の日本ではこのような人と人との関係は周りが決めていました。今でも田舎や農村部に行くと、周りが人との関係を決める考えの受け継がれていることがあり、特に男女の結婚でさえも平気で他者へ介入してきます。これは問題です。


生物は進化しにくいことを知る


 何が問題かというと、「人間という生物進化の流れに逆らって周りが気持ちを押し付け、無茶なことをしていること」が、です。私はこれに違和感を感じます。通常、単位時間当たりの変わりやすさは「気持ち>社会制度>生物進化」なのだと思うのですが、行動や考えの第一を周りの気持ちといった短期的なものにすると、社会制度や生物進化といった長期的なものを無かったことにするのではないでしょうか。それぞれの特徴を以下に記します。

 (生物進化)とは少しずつ、何百年、何千年あるいは何万年という時間を経て変化します。自然界が決めるものです。必要ならば残し不必要ならば無くします。

 (社会制度)とは数年単位、あるいは数ヶ月単位で変化します。人間の社会が決めるものです。意図を持って増やしたり減らしたりすることが出来ます。

 (気持ち)とは瞬間、もしくは数日、数ヶ月で変化します。個々人が決めるものです。私が誰かを好きになったりあるいは嫌いになったりすることです。

 自然界や人間社会などはどうしても自分の融通が効かないので、ついつい自分で決めやすい「気持ち」を前提に行動してしまいがちですが、そうすると、制度をはじめ、生物進化などの遅い変化を無かったように、即ち認めなくなります。

 すると表面的な褒めや全てを掌握したいといった考えから、安定のために強制させると言った考えを生み出すことがあります。福祉を前提とした資本主義のようなものです。

 こうした考えは結局何も生み出せず、本末転倒で権利を義務と勘違いしている気がします。


循環しながら変化する


 ですから、自分の決める考えから発せられる、守る前提の社会で安定のために強制させる考えよりも自分ではどうしようもないこともあることから発せられる攻める前提の社会で余力分を守る力に回す考え方も必要になるのではないかと思います。

 ただ、攻めるばかりでも、時間が経過するにつれ守り一辺倒のようにいずれ流れに乗ることができなくなります。

 これは世の中は一定期間ごとに攻めと守りが循環しているためです。(下図)。
図1 循環に乗る。守るタイミングで攻めない。



















 そこで循環があることを知り、上手く乗っかることができれば良くなるのではないかと思います。

 先の結婚の例で言うならば男女二人のやりたいようにやらせ、それをサポートする立場をとるのが周りのものとしての立場とします。そして男女から得られる労働力なり何なりを受け入れるよう考えることです。


今を知り、何が大切か考える


 こうした流れに乗ることは、今何が大切かを考えられることだと思います。そしてこれは男女関係だけでなく、さまざまに応用することが出来ます。

 例えばバブルのような幻想的な世代の人がいて、他の現実的な世代の人たちの考えに合わせようと思うのならば、変わりつつある現実を知り、どう自分が協力できるか、考えることが大事になるような気がします。


それを以下を読んで考えました。
牛窪恵 「エコ恋愛」婚の時代 光文社発行 2009.6です。

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