義務を負うものの選択


選んでいるように見えて、実は選ばされていることもあったりします。




















 日本は戦後、アメリカによっていろいろな選択の出来る国となりました。そうした選択が出来る国の中でも、義務的な部分があります。例えば教育です。中学校まで行われる義務教育は強制的に課せられるものです。ですから先生などの指導者はついつい、押し付け型の教育になってしまいます。しかし押し付け型の教育をされると、本来伸びる能力を潰してしまいかねません。これでは問題です。そこで、こうした問題を防ぐため、義務を負わされている、強制させられている(生徒の)側としてどのような考えを持ち、モチベーションを保って行動してゆけばよいのでしょうか。ここではその良い生き方をするための、一つの方法を書きます。


義務と権利は表裏


 教育のような義務(強制)も権利(選択)も実は循環で表裏一体なものです。ですから義務の裏側には権利を見出すこともできます。


義務と呼ばれる強制への対処


 通常、強制的にさせされると断れないことから、せざるを得ぬ気持ちをもちます。するとこうした強制的に断れないことに対して抵抗したい場合も出てきます。そうした場合、最も簡単な対処としてその場で暴力を振りかざすことが考えられます。

 しかし、暴力を振りかざして解決することは、結局暴力が暴力を生むこととなり結果痛めつけられることになりえます。私は自分の痛いことは嫌なのでこれは嫌です。ですから暴力を使わずとも義務への対策を考えた場合、私は他の行動をします。

 その行動の一例を言うと、例えば相手を気分良く乗せるだけ相手を乗せ、相手がいい気になっている間に自分の力をつけて(選択し)最終的に見返す。もしくは義務の中にも深みを持たせて自分なりの選択できる部分を見つける。といった行動をとります。


権利と呼ばれる選択を利用する


 また、余裕があるのならば相手と自分との価値観の違いを見つけ、自分の意図した主張や選択を相手に選択してもらいます。するとせざるを得ぬ義務は確かに表面上は義務なのだけれども、その中でも「自分の意図した選択が裏にある義務」を負うことができます。

 例えば会社において業務内容について上司の命令に従わざるを得ない場合、「Aという方法も、Bという方法も、Cという方法もありますよね、 いろいろ考えられますが、どれをしましょうか?」等と言っていくつかの自分なりのしたい案から上司に選んでもらうようにします。自分の意図した内容を義務でさせられている分には気分が悪くないと思います。

 なお、上記における会社の例で、「上司にこんな言い方できないよ」と思われる場合、仕事として話をする以前に人間として上司との関係がよくないのかもしれません。そうでしたら、仕事での話を進めるより先に、上司との良好な人間関係を築くことが望まれます。


結論


 これらをまとめますと①義務の見方を変えることで義務の中に選択を得られる。②自分の意図や自分の選択を持った義務を相手に選択してもらう。ことで良く生きることが出来るのではないかと思います。




それを以下を読んで考えました。
西原理恵子 生きる悪知恵 文藝春秋 2012.7です。

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