情報を疑い、使う。

ひょっとすると拡声器から流れる情報を疑えってことも無理があるのかしら。




















 政治家の老人への異常な待遇、世間の若者軽視。多くの情報が流される中、これは明らかにおかしいと思うことが少なくないように思います。そうした場合、情報を上手にネットを使って収集し、自ら考えることで問題の解決が図れる可能性があります。一つの考え方でなく、複数の視点から物事を見て自分なりに最良の道を歩んでいって欲しいと思います。ここではそういったことについて書きました。


臭いものには蓋文化


 日本は思想信条として死したり、見たくない物を無かったことのようにする文化があります。加えて、農作物などを天候(即ちどうしようもないことを知ってる)の影響から栽培していたことも有り、天からの恵み、ひいては権力者からの恵みを素直に受け入れる考え方があるようです。


国という組織にも


 この考え方が国の巨大組織においても水平展開されてます。保身のために他人を犠牲にしたり、個人的な恨みを組織として対応としていたり、縦割り行政が緊急事態に対応できなかったりし、基本的にフェアではなく、ないないで済まそうとします。


不平等を宣伝するマスコミ


 そうしたフェアでない情報をそのまま受け継ぐ宣伝屋のマスコミがいます。彼らは国など大きな組織にべったりで良し悪しで考え、深く考えません。批判のための批判はしますが、基本的に責任を持ちません。虎の威を借りる狐のような存在です。ですがスポンサーには弱いです。


マスコミにいる記者も


 そのマスコミに所属する記者も官に取り込まれるものが多く、国の批判記事は書けないようです。すると、伝聞や噂、想像などを平気に新聞に書きます。これは日記です。そうしたメディアの中で報道の専門家というものがいるのでしょうか。


これから変わってゆく社会


 こうした役割や立場の存在することが何十年と長い間続いてきました。これに対し、現在ではソーシャルメディアの発達により、個々人に情報を発信するチャンスが有ります。
 ただ残念ながらそれほど開放的であるとは言えません。使い方を間違えれば確かに問題ではあるのですが、上手く使うと商社や株屋等、中身も無いものはだんだんと淘汰されるようになります。


変わってゆく社会を生きてゆくために


 マスコミによる変な価値観として、本来老人は死ぬ運命なのにそれを過剰に待遇したり、その情報を真に受けて接する政治家や国民がいます。
 臭い物に蓋をし、既得権益を若者に世代を譲りたくない大人がいます。そうした人間はいまだ多くの疑問が世の中にある気がします。
 こうした多くの疑問がある世の中に生きる私たちが真に生きるためには流れてくる情報を一度疑い、情報技術を使って他の情報を仕入れ、自分で考えることで、「良い選択」が得られるかもしれません。


それを以下を読んで考えました。
マティン・ファクラー 「本当のこと」を伝えない日本の新聞 双葉社 2012.7です。





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