きまりを作るもの、きまりを使うもの

公開日: 6/19/2014 感想 思考停止社会 読書


決まりは足かせと考えられなくもない、か。























現在は前年度比停滞、あるいは衰退している社会です。
法曹、経済ともに80年代へ回帰し、
大盛況だった頃の日本を取り戻したいと考えています。
しかし、なんでも規制を持って制限しようとする国や
それを後押しする放送局が我々の生活の中にあって
その既得権益を利用して癒着をしている者がいます。
多少の規制や癒着があっても結果としてよく働けばよいですが
たいていは悪い形で表出します。
すると何者かが意図するところにとって
都合の良いことは大々的に出され、
都合の悪いことは隠されてしまいます。
それに巻き込まれ、槍玉に挙げられたほうはたまりません。
例えば食品偽装と呼ばれる問題に関して、品質的に問題なかったとしても
公表したらしたで攻められますし、
隠したら隠していることを攻撃されます。
どちらにしても良いようにはなりません。
こうした外野が騒ぎ、マッチポンプな社会が現状存在しています。
これは非常にフェアでない社会で、好ましくないです。
そうした状況にはどのような考えがあって、
  1. 決まりを作るものとしての考え
  2. 決まりを守るものとしての考えから
どうしていったら快適な生活を迎えられるのでしょうか。
ここではその両者についての考え方を書きたいと思います。


縦割り社会の限界

現在日本は縦割り社会です。
縦ごとに個別個別で割り振られ決まり(法律)ができ、
横のつながりは基本的にありません。
ですから複数の縦にまたがる問題が発生した場合は
各縦によって作られた決まりにより結論や見方が変わります。
また決まりのできる背景が“過去”を基にしているため
“今”との矛盾を生ずることも多いです。

こうした矛盾が拡大解釈、水平展開されるようになると
おかしな結論に達することがあります。

例えば「人間は生きていることが罪」として
気に入らない人をむやみやたらにしょっ引き
犯罪者に仕立てることも考えられます。
こうしたことは、決まりのフェアさより感情が優位にあり問題です。



情報を発信するものとして


こうした決まりと現実との矛盾が発生した場合に対して
日本はアメリカのように決まり(法律)がすぐ変えられません。
また、決まりや法律が市民社会に根付いていません。
ですから決まりを作る方、即ち法律なら法律学者さんは
  1. 現実社会との矛盾を少なくするような決まりを作る
  2. 矛盾を前提として、矛盾からの解決策を啓蒙する
必要があるのだと思います。



情報を受け取るものとして


もとをたどれば、日本における決まりや法律は
社会に対して最低限のものであり、中心ではありません。

しかし情報技術の発達により
余裕がなくなっているためか解りませんが
本来最低限である決まりや
法律が前提であるかのような考えを持ちつつあります。
また、やましいことを知られたくないためか知りませんが、
悪意ある情報でも真意を隠し、
さも皆の正しい意見であるかのように国やマスコミが広報します。
これは場合によって問題となる場合があります。

そうした問題を防ぐためには
決まりや法律の前提を知っておく必要が有ります。

例えば
  1. 建築基準は時にテキトーに考えてられている部分があったり
  2. 裁判員制度は何の目的に設立されているかが不明確であったり
することがあります。
こうしたことを知らないと決まりの中で問題が発生したときに
形をや決まりを守ることに注視し中身を見なくなることもあります。


提示された情報を見極めるために

こうした前提を知るにはどうしたらよいのでしょうか。私が考えるには恐らく
  • 決まりや法律が制定された背景や一歩先の連続性を見る。
  • 時間がかかってでも学び、表と裏を通して本質的な部分や真意を見抜く力を育てる。
ことが必要になるのではないかと思っています。

我々の生活は広く、日々広がっています。
ですからその生活の限られたごく一部に決まりや法律があること
それが前提の社会ではないことを知ることが大事なのだと思います。
ダメや規制を中心に置くと、結局何もすることが出来なくなってしまう、
そんな気がするのです。


それを以下を読んで考えました。
郷原信郎 思考停止社会 講談社 2009.2です。
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