物事の連続性を考え、社会で生きるには人と話す。


巻き方はともかく、物事は紐と同じで連続性がある。
























 ものごとは必ず関連性や連続性が有ります。これまで連続性を無視し突拍子もないことを受け入れてきた場合、理解することや他人に納得してもらう説明をすることは難しいです。こうした難しさを防ぐにはどのようにしたら良いのでしょうか。一つに連続性を考え、関連つけることが重要と思われます。そこでここでは「ものごとの連続性を考えることの重要性」について考え、仕事と社会においてどうしたらよいか書きたいと思います。


受け入れることとアナログ→デジタル変換


 日本人はなぜか突拍子も無いものを受け入れるのが好きです。血液型診断をはじめ、分別することに集中し、考えない傾向に有ります。加えて最近ではデジタル的なものの見方が流行っています。
 本来人間の能力はアナログなものであるのにもかかわらず能力をデジタルと勘違いして蓄積し、デジタルのデータがその人の全てでもあるかのような考え方が出ていることがあります。
 そうした考えが前提となる社会では恐らくミスも赦されないでしょうし、見たくないものは見ない、と言った「臭い物には蓋」な文化がはびこります。


ミスのゆるされない社会


 こうしたミスの赦されない社会とは得ることを前提とした社会であり、「かくあるべし、せねばならない」といった考え方を持ちます。しんどいです。国で言うならば税収は取ることを前提として考えます。突拍子も無いデータを支配し、それ以上の可能性を破棄します。

 例えばケータイの所有率が高ければ犯罪率が高いといったこともあるのでしょうか。こういったことを単純に受け入れていくと、受け入れた対象は考えることを放棄し考える力が衰え、目的を見失います。すると徐々に弱体化することが考えられます。

 またこうしたことが繰り返されると突拍子も無い情報を前提とした枠内でしか人間は育ちえません。そして突拍子も無い悪意のある情報をも簡単に受け入れて、簡単に騙されてしまいます。また相手が納得する説明も出来ません。


ミスのゆるされない社会に対して


 それに対して、得られるかどうか解らないがやってみるという考えもあります。自己の反省から成長し、やりたいことを見つけたりします。

 仕事を挫折の中から見つけたり、かつての職人でしたらいやいやな仕事の中から「やりがい」のようなものを見つけてきました。


ミスのゆるされる社会の前段階として


 仕事の例で言いますと最近では中学校の生徒に職業体験をさせているところもあります。若いうちから職業意識を植えつけようといった意図があるのだと思いますがどうも「金を儲ける」といった、小手先の技術だけが先行してしまう気がしてなりません。

 すると、「金がもらえるのなら何だってしてもいい」と本末転倒的な考えにいたってしまうのではないでしょうか。こうなってしまうと他人に迷惑を掛ける(自分に迷惑がかかる)可能性があるので問題だと思います。

 ですから自分は自分として職業意識をしっかりと持つため、仕事のうえで役割意識や意気込みを育てるためには仕事の小手先スキルよりも先に他人と話すことを通して反省できる心を育む必要がある気がします。


結論まとめ 社会を生きるには話をする


 勿論仕事だけでなく、社会では人と人との関係性が重要です。それを考えると、ネットが使えて距離を時間を節約できる世の中ですが、節約できているからこそ社会で生きるには、まずは人と人とが話をする必要があるように思います。




それを以下を読んで考えました。
鈴木謙介 カーニヴァル化する社会 講談社 2005.5です。

コメント

このブログの人気の投稿

精神保健福祉士の実習 指導者が必要なもの5 細かい考え、コメント

理系と文系とにおける論文作成方法の違い

恋と愛との違い、愛への昇華方法