良くなる考え、良くなる行動

公開日: 7/08/2014 ムダなことなどひとつもない 感想 読書


体重が一定速度で増え続ける、停滞なのもいいチャンスなのかも。
























 失敗だからダメだ、終わりだ等と物事を悲観してしまう人たちが居ます。一方、何とか物事を良くしようと必死に行動している人が居ます。
 前者と後者とではどのような考え方の違いがあるのでしょうか、そして例え今は前者のような考えを持っていたとしても、それを校舎のような考えにするにはどのようなことに気をつけたら良いのでしょうか、ここではそういった良くなろうとする場合における考え方について考え、記してみました。


世で新じれられるのは誠実さ


 人間は幻想を見て、それを信じる傾向にあります。ですから、ダメだと思ったらダメな結果になるのですが、一方で千里の道は一歩からという言葉もあるように継続していかなければ思いはかなわないともいえます。究極はなるようにしかならないのですが、これは一つに心の持ちようかもしれません。

 その中でやはり一番問題なのは甘やかしのように、ごまかしながら、即ち誠実でなく嘘をつきながら筋を通さないことは一番の罪のような気がします。これは子どもとか大人とか関係なしに、人としてです。


自分の中の気持ちと相手への気持ち


 実際一本筋を通し、表明するような場所は少ないわけですが、かといって、それを盾になぁなぁで対処できるわけでも有りません。ですから、何事もできないことは人間にはるのだから、それを認識した上で、ないことを味わうようにすること、もしくは諦めて自分は他人ではないことを知り、実感する有限性を持つことが大切のような気がします。

 他方で限りある人生の中で他人様に生かされていることを知り、それをどう役立てられるかを考える必要があるように感じます。自分を他人のように考えて敬うという意味では自分の生き方を選択した人に対して、過度に手を出したり、おせっかいをしたりしないことで害になるのを抑えます。


他人との接点から気持ちを大切に持つ


 いずれも、そうした自分が何とかしていくんだといった気持ちや、自分がされたくないことを他人にしないようにしよう、といった気持ちが言葉などの概念から行動を起こす以上に原動力になることが考えられます。これはやらされることとは逆です。意欲があっての学びや成長のあることが考えられます。逆に意欲や感性がない限り成長することは無いのではないでしょうか。

 こうした意欲を育むための環境として人と接して、自らを省みることが大事なのだと思います。

 例えば吹奏楽において上手い人と一緒の舞台や合奏をすると緊張する代わりに、何とか相手の良いところを取り入れよう、という気になります。


環境を受け入れて続ける


 気持ちを有した上で、大事なのは行動をして連続性を見出すことです。短期的に見ると何も変わっていないかもしれませんが、少し長い目で見ると世のなかの多くのことは小さいスパイラルの積み重ねで成り立っています。 その一つ一つを認識することが大切だと思います。
 ついつい頭のよい方の場合、行動をすることよりも理屈どおりに物事が進むことを善しとしようとしますが、やはり理想だけでは物事は進んでいきません。
 体調にもいえることだと思いますが日々の積み重ねで、悪い状態が続いたとしてもあり続けるとは急激な変化をするよりもエネルギー負担が少ないと考えられます。

 その際、郷に入っては郷に従えという言葉があるように、同じことの繰り返しのある環境で何を学ぶかを注視する必要があります。学問では過去の人と同じことをしている場合がありますが、たとえそのような場合であったとしても、そこから先人とは同じ、もしくは違うことを思いつくことができるかもしれません。そしてそうした意識的な行動を繰り返すことで、無意識かに刷り込むことが出来ると思います。

 恐らく日本人にはこういう改善のパワーというのが非常に強く、だからこそものづくりにおいて、限られた資源をどう用いるかといった、製品の高品質化が可能になったと考えられます。


結論


 誠実に、筋を通しながら環境に適応しながら続けることで長い目で見たときに、良くなっていくことが考えられます。



それを以下を読んで考えました。
酒井雄哉 ムダなことなどひとつもない PHP研究所 2011.12です。

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