問題解決には、自ら考える。


問題を解決するには考えることといっても過言ではないかもしれません。




















 どこに行っても理想郷を大事にしすぎて他人と衝突する人が居ます。そうした人は、現実を見ている周りの人にとって迷惑します。問題です。では、逆に自分がそうした問題を発生させないようにするにはどうしたらよいでしょうか。ここではその方法を書いてみました。


自分で考えて


 与えられることで意欲を削ぐことがあります。例えば国が一方的に言っていることを全て正しいと妄信したり、学校は正しいことを教える、などと言った誤解です。時には与える代わりに応答を強制させることから、自ら考える意欲を減退させることも有ります。

 こうしたことが行き過ぎると現実を見ない学者のような無責任で桃源郷的な理想ばかりを発言する連中が増えます。エントロピー増大の法則で考えると至極当たり前なのですが。

 これに対し、与えられることはなく自らの意欲があるもの、考えて、自由と責任を持ち、自立するものがいます。自立するためにはなんでもはじめに「たたき台」を作り、それを調整することでより良い状況をつくることを目指します。

 調整の過程では①最初にある情報を圧縮してから伝達し②相手が解凍する過程を踏みます。こうすることで情報が小さくも大きくもなります。


現物あわせのいろは 圧縮と解凍



 こうした調整をすることとは、「ある循環」を持って導き出される「近似解」を導き出すことだと私は考えています。

 どこから始まってもいいのですが①評価することなく、相手を受け入れ情報をフラットに仕入れるだけ仕入れる。②目的を確認し、目的に沿った形で情報をできるだけ数量的に評価する。③伝えたい情報以外のノイズを全て捨てる。④伝えたい情報を、過去の視点から、定性、定量問わず可能性を持たせる。と4つの過程から導き出されるものだと思っています。
2、では特に目的が無い場合、本来要らぬ情報を雑音として捕らえる危険があります。
4、では既知の知識を用いて思考の関連性(スキーマ)から情報を引き出せます。

 こうして圧縮と解凍を繰り返して得られた結論はあくまで暫定解、近似解なので例え行き着いた結論が失敗だと思われそうな場合もあります。そうした場合でも考え方次第で良い循環に変化させることができます。例えば、会社の売り上げについて一時的に売り上げが伸びなかったとしても投資のための経費と考えれば、次回の売り上げに貢献することができます。

 こうした考え方の転換や後押しするには、自分以外の存在が必要なのだと思います。基本的に一人の人間は一つくらいしか考えることができないからです。また、いくら考え方を後押ししてくれる人が居たとしても、いつ何時も必ず有効な方法や結論が得られることはないと考えています。なぜなら、自分も他人も、環境も、常に変化し続けていて、何より自分と他人とは違うからです。自分の問題は自分の問題なのです。


行き着く先・結論を出すのは誰か


 ですからこうして考える場合、近似解、暫定解を出すには他者の協力は必要になってくることはあるものの、最終的な結論は他者ではなく自分の中にあると思っています。

 たとえば会社経営なり人間関係なりで問題が発生したとしても、それを改善するための策を時間がかかっても出そうと思われたり、辞めたと自分で決断を下さぬ限りは良くなり続けられる可能性はあるのだろうと考えます。

 方法を書こうとしながらそうした気持ちを育てることが実は方法以上に必要なのかもしれないと感じ書きました。




それを以下を読んで考えました。
伊藤進 <聞く力>を鍛える 講談社発行 2008.3です。

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