問題解決法とパートナーの必要性


 世の中に問題はたくさんあります。こうした多くの問題に直面した場合、どのように問題解決できるでしょうか。考えますと解決方法の一つに「ディベート」というものがあります。このディベートとはどういうものなのでしょうか。ここではそれを記したいと思います。


これまでそしてこれから重要となる考え


 多くの方は大企業を崇拝する考え方や医学部至上主義など、自分では何も考えずに何かの考えに乗っかることで安心します。しかしこれは今後時間とともに変化する世の中において得策といえるのでしょうか。

 確かにわけのわからない世の中で、自分で自信を生み出し、生きることは不安が有り、失敗を恐れることがあると思います。

 しかしどこかでけじめを付け、期限を決めて、なぜそうするのかを考え、決断し不安を絶つ必要があるような気がしています。


考えを導くため方法


 そのためには多くの選択肢が必要で、不必要な選択肢を捨てる必要があります。こうした選択肢を増やす方法の一つに、ディベートがあります。通常自分を含めた二人以上で行います。

 新しい発明をするとき同様、枯れた技術(自分や他人の考え)から新しい技術(そのときの最善の策)を生み出すことができます。武器と思っていなかったものが思わぬところで武器に変わる可能性もあると思います。

 ディベートは仮説を出してそれを反論する、といった科学的手法を用います。なければならない理由や重要性、それがなければ問題が解決しないといった解決性を、総合的に判断して賛成、反対の両面で見極めます。


方法の一例:細分化と組み立て


 ディベートでは前提として嘘をつかない、素直に謝ることは謝ると言ったルールがあり、そのルールにのっとって問題を細分化します。

 例えば叱られているのならば怒られている感情に目を向けるのではなく、言いたい事実は何なのか。問題の生じている原因は単一か、複数ならば原因は何か。一般論といわれているものは誰が言っているのか。こうしたことを明らかにして結論を論理的に組み立てます。

 なお、場合によって解決に際し賛成・反対を越えた偶然性、というものも必要になることが有ります。


そして結論:自分で行動、補助人が必要。


 また、こうして他者と自分とで得られた結論を実行・行動するに際し、最終的には自分で決める必要があるように思います。なぜなら自分の人生は他人の人生ではなく、自分で責任をもって歩んでいかなければならないと思うからです。

 こうしたディベートの考え方が独りでできれば多くの問題が解決できて望ましいのですが、独りでするにはなかなか難しく、さらに周りに真剣に話のできる人が居なかったりする場合は問題を問題として考えることができません。
 ですからそうした考え方の補助をする役割として、パートナー的な存在が必要になってくるのだと思います。

例えば私のような、です。

それを以下を読んで考えました。
瀧本哲史 武器としての決断思考 星海社 2011.9です。

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