自立するには

公開日: 2/25/2015 感想 自分で決められない人たち 読書


 依存は確かにいい面も有していますが最終的に「生きること」を考えた場合、依存とは反対の自立的な考えも必要になります。日本は母性的な社会と言われていて、依存的な文化が背景にあります。すると周りの多くが依存的だと考えられますが果たしてそれに合わせて自分も依存的になってよいのでしょうか。「誰か」の指図に従って行動し、失敗したら指図した「誰か」を批判し満足するのでしょうか。それではあまりに生産的だとはいえません。そこでここでは生産的、自立的な生活をするにはどうするか。自立の方法を書いていきたいと思います。


見方を変える


 日本では謙遜文化というものがありますが、これを卑屈と勘違いされる方がいます。しかしこれらは決して同じではありません。自立的な考え方を有していたとしても、自分の良いと思うことを相手にしてあげたいと思うことから謙遜的な行動を取ることがあります。そうした意味で見方を変えることは重要です。


世にはびこる人との接触


 昨今では技術の発展によって効率的な生活ができつつありますが、一方ものづくりだけでなく人間関係でも効率的な生活を目指し、人間関係の調整する労力を放棄しつつあることがあります。
 これが問題となって表面化していることもあるようです。例えば引きこもりの問題などが考えれるでしょうか。

 普通、社会化の第一歩は家庭と言われていますが、近年はだんだん家庭も小さく、個室的になっています。最小単位、最低限で家庭が存在し、昔で言うところの父親のような抑止力になるものがなくなってきています。

 そのため抑えを失った家庭は刺激をどんどん求める結果、例えば家庭の後の学校や会社において、どんなヒトでもいいから昼食を取る仲間がほしいなどといった事からランチメイト症候群になることもあるようです。
 他人とご飯を食べることを第一に考える暇があるなら仕事や学業を専念しろ!と私は思います。


かつての日本と現在の日本


 こうした文化が起こった歴史的な背景は古くは縄文時代から、自然を大事にし、どこかで自然には打ち勝てないことを知っていた、つまり自分ではどうしようもできないことのあることを知っていた、からそうなったのかもしれません。

 国だけでなく庶民の文化でもこれが大く浸透していて、行き過ぎると、いずれは内容よりも箱があれば良い、といった考えになります。(いわゆる箱物文化で、なぜといった考えを放棄します。)

 小さい頃はこっくりさんが流行したこともありましたが、こうした文化はどこか安心なものにすがっていさえすればなんとかなる、長いものに巻かれれば成長できるのではないかという誤解があるような気がします。現在で言うとABO型の血液型性格診断やマニュアル文化や、メニューブック信仰主義がそれで、間違っていたとしてもそれを盲信し、反対意見を持っていてもマニュアル以上の解決策を自ら出すことをしません。


マニュアル文化の背景、そして予想されるこれから


 また、こうした何かに依存する選択を取る気持ちの面での背景には責任をとりたくない、あるいは批判されるのが嫌だ、思われる部分があるのだと思います。

 自己肯定感の低い人達同士で傷を舐め合い、良くも悪くも相手をコピーすることで安心します。どこか人間的な生々しさはありません。

 これが続いてくると他者と自らの違いを出したいと思わず、また自分の良い所や特性を無視しがちになります。すると就職や転職、ヘッドハントでは損をします。

 これは良い生き方をしようとした場合問題です。ですから問題にならないようにするために予防するにはどうしたら良いのでしょうか。


具体的対策 戦う


 私は方法として成長するために、顔色など表面的な部分を相手に合わさず一歩を踏み出すことが大切だと考えています。つまり殻を破るということです。ただしこれには痛みが伴います。場合によっては自身やご子息と戦う必要も出てきます。

 例えば仕事で妥協して頓挫した案件でも反対意見の矢面に立って再挑戦してみるとか、ニートなご子息がいる場合に支援を打ち切るとか。

 先延ばしが出来る間は先延ばしされたらよいのかもしれませんが、後が無い、背水の陣となった場合には相手に嫌がられてもする、あるいはNOを言う事が大事だと思います。反対に安易に相手の顔色を伺った行動をとったり「辞める」「死ぬ」という道を選んで欲しくないです。

 そもそも自分の本能に耳を傾けると、所々で生きることや戦う必要があることはわかるはずです。確かに戦うことは苦しい部分はありますが、それは苦しいなりに得られるいい部分も有ると思います。


戦う前に近づかず離れる。


 そのように戦うためには、はじめの一歩として親や扶養者など依存する元から離れる必要があると思います。私で言うところの高専での寮生活のように物理的な距離をとる必要もあるのかもしれません。

 物理的な距離をとることで自ら動く体力や自らを省みることで精神力を養うのです。


まとめ


 依存元から離れ、自分の体力や精神力を増し、実際に行動をして改善を尽くして戦う。

 その際、最初から「枠も決めずに何でも自由に」というのは流石にだれでもできませんし、場合によっては死んでしまう危険があります。ですから決まった小さな枠で成功体験を積ませて学習をすることによって依存関係の脱出を図る。そうした段階を踏んでゆく手段を持つのも対策として一つあるのかも知れません。


それを以下を読んで考えました。
矢幡洋 自分で決められない人たち 中央公論新社 2004.9です。

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