クソッタレの対処、クソッタレによる攻撃への解決。


 クソッタレはどこにでも居て、まただれでもなりうるものです。そしてこれはいままでも、そしれこれからもなくならないと思います。クソッタレに攻撃された方はたまりません。見ている方も嫌な気分になります。そこで我々はそういったクソッタレによる攻撃が発生した場合の対処法を考えあるいはそうしたクソッタレの少ない環境を作ることに努める必要があります。そこでここではそうしたクソッタレへの対処方法を書きました。



どんな人がくそったれになるか


 クソッタレはどこの世界でも、まただれでもなりうります。これは具体的に例えば権力をかさに相手を不安に陥れたり、あるいは無駄に引きずりおろそうとする人です。

 私の接する人でもこれまでいましたし、また私もかつてそうだったことはあります。しかし常日頃からクソッタレな行動をしている人はそう多くありません。

 一過性のクソッタレはストレスが原因でなる場合もあります。あるいは不安を抱えることからなることも考えられます。こうしたクソッタレ(以下クソッタレとは常日頃からクソッタレな人を示します)の対処法を知ることは、今後多くのクソッタレと接するうえで重要だと思います。
 なお、自分がクソッタレになってしまっている場合は究極自分が変わらねばなりません。そのためには自分で気づき直す必要があるかもしれません。


くそったれの特徴


 多くのクソッタレは話し合いをなくし、指示や命令で目下の者を従わせることに重きを置いています。相手を優しさと恐怖でうまく利用し、伝聞で感情のコントロールを行っていたりするようです。DVをする方、依存症を誘発させようとする方に似ています。

 こうしたクソッタレは特異で優れた才能があり、それを優れた能力として維持し”続けられれば”別ですが、基本的にそんなことはできず、いつかは嫌われ、疎まれます。すると滅亡の途へ進んでいきます。


くそったれへの考え方


 彼らクソッタレは権力で全てを制覇できると錯覚しています。議論をしていても内容ではなく表面的な部分で判断をします。そして最終的には議論している内容とは全く関係のない人格攻撃をします。相手を「自分の目的を達成するための道具」くらいにしか考えていません。

 ですから相手の気力を挫くことに力を注ぎ真の問題の把握や、生産性を上げる事には全く力を出しません。攻撃性が攻撃性を呼び、最終的には自分さえも攻撃してしまいます。


くそったれになるのを防ぐ


 こうしたクソッタレの影響を受けないようにするには、クソッタレと精神的に離れ、こだわらないことが一番です。また物理的に離れる離れる環境を作ることも重要だと思います。そのためには被害者として自分の気持ちの持ちようや第三者の立場、対処の仕方(経営者など)をそれぞれ考える必要があるかもしれません。

 被害者として自分の気持ちの持ちようを考える場合、目の前に居る相手は残念な人なのだと諦めます。相手は自分の理解の範疇を超えた人で、宇宙人なのです。そうした理解不能な人のことを考えていても時間の無駄なので、考えないようにします。

 次に自ら離れることはもちろん、第三者的な立場として、クソッタレにかかわらずできることをする環境を作ることも重要です。相手の性格や考え方は変えることはできないので相手は相手、自分は自分と分けて考え、生きます。

 いずれもいきなり大きな目標を達成することはできません。ですから、できることから小さなステップを踏み続けます。例えば仕事でしたら、クソッタレと離れるためにいきなり話さないのではなく、毎日必要でないと思われる会話を少しずつ減らしていくことなどが言えるでしょうか。


 いずれも自分から変わっていこうと選択することが重要なのだと思います。えてして誰かから決められたルールを守れと言われると苦痛なものですが反対に自分がする、と決めたことをすることはモチベーションが上がります。モチベーションが上がってゆくと多少無理だと思われることでも行動可能です。確かに失敗する危険性もありますが、失敗も含めて挑戦できる考え方を持てます。

 また我々福祉や心理学などの分野に携わる人あるいは経営者も含めて同じだと思いますが、相手との序列は守りつつ会話を通して相手の行動が変容できるよう、時には演技し、あるいは相手の期待を裏切ることで立場を崩したり主導権の移動を図ることも大切です。具体的な行動としては褒めると言った報酬と、無関心といった罰を使って、相手に動いてもらうということです。


現実のくそったれ


 実際世の中には感情と行動を切り離して考えられないクソッタレはいます。
 例えば経営者の方で、会社の社員さんが無理して仕事をしに来ている場合でも会社に来るということは、好きで仕事をしに来ているんだ、だから余計に仕事量を増やしてやろう、などと逆の因果を結論付け、行動してしまう人が居ます。
 そうした考え方の柔軟性を失っている場合、即ち事実と考え方の違うことが理解できない場合であったりあるいはおかしな考え方をしている場合には直接話しをし、変わってもらう必要があるのかもしれません。
 そうした場合は加害者と被害者だけでなく第三者(上記の例で言うならコンサルタントなど)の介入によって加害者に考え方を取り入れてもらう必要があります。


それを以下を読んで考えました。
ロバート.I.サットン著 矢口誠訳 あなたの職場のイヤな奴 講談社 2008.4です。




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