「〜ねばならぬ」から「〜にこしたことない」考え方へ

公開日: 4/08/2015 カウンセリング技術 生き方 精神保健

なんでせえへんねん、って思った時にはするにこしたことないと思いなおそう。



















 皆さんの多くは、官僚にでもなりたいのでしょうか。少なくとも私のこれまで付き合ってきた指導者の方の中には吹奏楽でも仕事でも普段の生活でも「せねばならない」「するべきだ」等と言っている方が多くいました。また新聞の社説などにもそのような論調で書かれることがあります。こうした考え方や言動・行動はは心のゆとりを潰し、本来人間にある発想する力や生きる力を萎えさせます。ですからこうした考え方や言動・行動は、私は問題だと思っています。そこでこうした「ねばならない」といった考え方や言動・行動にならないようにするためにはどのような考え方や、言動・行動をしたらよいのでしょうか。ここではそれを書いてゆきたいと思います。


なぜせねばならないのか


 短期的な収益の得ることを目的とする場合、もっとも簡単で効率的な方法として「恐怖(せねばならないという強制性)」を覚えさせる方法が有ります。これは限られた間に、限られた成果を得ようとする場合に有効な方法です。

 例えば戦争や競争でしたら明確な「終わり」というゴールが有ります。そうしたゴールまでの限定した期間で恐怖を使うのでしたら一時的には効果がある、といえる場合もあるかもしれません。
 しかしこれをいつまでも続く、つまりゴールのない勉強や仕事、芸術関係などでも応用することは間違いです。(長期的な戦争でも強制や恐怖で支配することは難しい。)一時的には成果が得られても長期的には成果が得られなくなります。

 それは言われる側になってみればわかります。例えば強制されたり怒られたりすると、技術は上がる一方、どこか言われた方は嫌さや恨みのような気持ちが発生します。表面には出ない、たいしたことない僅かな大きさの気持ちでも、強制され続けると気持ちも徐々に溜まってゆき、いずれ爆発します。するとどうでもいいやと思うようになり、富士山の噴火よろしく、自分だけでなく周りへも大きな危険を及ぼすことが考えられます。

 さらに一般的に新たな発想は、遊びや余裕などのポジティブな気持ちから出てくる可能性があります。ですから怒りや嫌さ、恨みなどネガティブな気持ちを持ち続けても新たな発想が出てくるはずがありません。

 ですから強制性や恐怖はいう側にしても言われる側にしても、いずれの場合も良い結果は得られません。


未来が予想できるならば恐怖もありかも


 例えば日本の経済状況でも、戦後からバブル崩壊までの時代は、ある程度未来が予測できていました。そうしたわかりきった・限られた状況ならば、強制性や恐怖を使って新人や他人の指導をしていてもよかった部分があったのかもしれません。

 しかし現在のような先行き不透明な世の中で、強制性や恐怖という鞭を打たれながら行動させられたならば、鞭で打たれ行動させられる側としては、いつまでも安楽の見込みの得ることが無い「地獄」のように感じると思います。
 最初のうちこそ「いつおわるのか」と怒りと不安を持ちえますが強制性や恐怖がいつまでも続き、それがだんだん当たり前であったりすると(=積み重なってゆくと)抵抗することも諦めてしまいます。
 すると勝った、負けたの結果のいかんに関わらず、行動すること自体が全く感心のない人に育ってしまいます。これは挑戦する意欲を失う、生きることに意欲を失っている状態で、本来感情を持つ人間にとって、人間らしからぬ状態だと私は思います。


一方、人間らしくなるために


 そこでそのようなネガティブな感情を持ち得ない、人間がモノ化してしてしまう前に考えの転換を図ることが大切になるような気がします。考えられる方法として強制的な発言をする側、される側の方法をそれぞれ示します。

 まずは強制的な発言をする側において、「ねばらない」考え方を「に、越したことは無い」考え方へ変える方法を提案します。思うだけでなく、実際誰も居ないないところで
声に出しても効果があるかもしれません。
 こうすることで「ねばらない」というたった一つの方法から「に越したことは無い」という複数ある方法のうちの一つの方法へと考え方の見方を変えることができるのです。

 次に強制的な発言をされる側の方法として、なぜ「〜ねばならぬ」のかを考え自分なりの連続性を持った結論を見出すこともあると思います。
 起こった現象に対し、なぜそのような経緯にいたったのか自分なりに原因を出して納得し、心を落ち着かせる方法です。例えば突拍子もない相手の言動から怒りの感情が湧き上がったとしてそれが理不尽だと思うことがあっても、それを言った相手の状況や原因・理由を考えたりわかったりすると、自分の感情を低減でき、またそうならないようにするための解決型の思考を得られる場合があります。

 多くが自分と相手とのやり取りの中で「せねばならない」と思うことがあると思います。自分(相手)は相手(自分)のことではないので、時に(自分、相手は)好き勝手に言います。しかし自分(相手)はあくまで自分(相手)で、相手(自分)ではありません。また、自分(相手)は相手(自分)の人生を変えることはできません。個々人の人生は個々人で決めるものなのです。


あなたの人生誰のもの


 人間は本来誰のためにも生まれてきているわけでは有りません。本当は生きている事自体も意味が無いことなのかもしれません。ですが、少なくとも自分(相手)は相手(自分)の生きる目的では有りません。

 ですから自分の人生は自分のためにあるのだ、しかし自分だけでなく、相手にも相手の人生があるのだとある意味で自分勝手に意識を持ち、相手と区別することで問題が発生した場合には新しい終着点を見出すことができる可能性があるように思います。
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