真剣に生きるには

公開日: 6/26/2015 わかったつもり 感想 読書




















私がかつて大学生であったころ、
何に関してもテキトーに済まして生きていたことを見ぬかれ
研究室の先生に一喝されたことがあります。
普段使用している日本語も大切にせず、
雑に、または刹那的に生きてきた部分がありました。
その経験があってか以後、多少は真剣に生きることを考えました。
もしあの時叱られず、今もテキトーに生きてらと思うとぞっとします。
そこで、今回はそうした経験を通して思ったこと、
現在テキトーに生きている人にとって
真剣に生きてみる方法を書いていこうと思います。



固定化した見方をしていないか


「こうなるはずだ。」「こうであって欲しい」
と言った思いが強いと真実を見落とすことがあり、
悪い意味で悲劇的な現実になることがあります。
例えば細かい善悪をレッテル張りします。
身近な例で言うなら福祉業界でもあるでしょうか。
「福祉に関するものはどんなものでも良いもの、良いこと」
と思い、事実を見据えられず自分勝手に解釈します。
そのようなことが正しいことではないこと、
良いことばかりとは限らないことを知ってほしいです。



真実はいつもひとつ。自分の見方を知る。


名探偵コナンではないですが、たいてい真実はひとつです。
言い換えると私たちが見ている面はいつも真実の一部分です。
逆に書くならひとつの真実でも見方によっては多くの解釈ができます。

例えばコップに半分ほどの量が入った水を見る場合に、
「もう半分しかない」とも、あるいは
「まだ半分もある」とも言い換えられます。

こうした客観的な見方、多くの解釈を得る意味では
他人の見方や考え方を聞くのもひとつの方法だと思います。
翻ってひとつの事例に関して自分がどう考えているか
普段からどのような傾向に考えるか認識することも必要なのだと思います。

「わかったつもり」で雑に、せつな的に生きてしまう。


そのような自他の考え方を取り入れる場合
「わかったつもり」という考え方は間違いで、害になります。
「いろいろ」と言い誤魔化してすべてをまとめて完結し、
解釈が雑になり、それ以上を考えることをしません。
すると、自分の意図しないことが相手に伝わったりし
結果として自分の損をすることがあります。

また雑に生きていると、解釈があいまいになったり
あるいは他人に十分説明できない部分がでてきます。

なお、多くの方は相手が難しいことを言っているような場合
「もう理解するのもめんどくさいから相手に従ってしまおう」
と受け入れてしまいがちです(これが上記のわかったつもり)。
しかしそれは本当にそうなのか疑うこと
「ひょっとして相手の言っていることは間違っていたのかもしれない」
と考えぶつけることで、真実を気づくきっかけが見出せるかもしれません。

わかったつもりを少しでも防ぐために。情報ソースを明確にする。


ですからそうしたわかったつもりや、考え方の間違いを防ぐために、
科学の場面でしたらソースや事実を元に解釈の穴を埋める。
原因から結果の間を、事実やソースを基にして考察という橋渡しをします。
自分の目で見て、取り入れる、考えることは有用なことだと思います。

その際、まったく出所の違う二つの場所からソースを導き出せれば
確実性を持つことが出来ます。
世の中にはひとつのソースからいくつでも
情報を発信しているケースもありますから。





それを以下を呼んで考えました。
わかったつもり 西林克彦 光文社発行 2009.11です。
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