「楽しさ」に踊らされない。

公開日: 7/05/2015 感想 自分のことをしゃべりすぎる若者たち 読書

電波は到達速度は速いが見えない、だからわかりにくい。



















最近ではあまりニュースにもなりませんが一時期、
ツイッターやその他SNSにおいて
一部の方が自分の所属している組織での悪行を紹介し、
それを自慢していた風潮がありました。
こうした風潮は、「自分は凄い」「強いんだ」などという
思い上がった自己顕示欲から発信されたものだと私は考えています。

一方、現在日本だけでなく世界でも、芸能人や企業の方まで
こぞってSNSを利用しています。しかし彼らの目的は販促が多く、
上記のような自己顕示欲から発信するものとは根本的に違います。

こうした「(多くの)情報が発信されている」
といった表面的な部分だけをとって、
それに踊らされてしまうと、変なところで出てしまったり
最悪は事件になってしまいます。これは問題です。
(「多く」という言葉も「一人が多く」か、
「多人数が少し」かで意味が変わる。)

そこで踊らされる立場から踊る立場へ転換したいと思った場合
どうしたらよいのでしょうか。
ここでは、踊らされるものと踊るものを
雇用者と使用者に置き換え、立場を逆転するために
考え方の転換を図るにはどうするかについて書きました。


(「楽しさ」に)踊らされすぎるとまずい。


気がつくと我々は便利な世の中に安住してしまいがちです。
間接的に速く情報が得られるようになるにつれ、
嫌な情報は遅く、楽しい情報は早く欲しくなってゆきます。
その手段としてSNSを利用しているケースもあるのだと思います。

SNSを利用することで楽しい気持ちが早く共感できます。
しかし共感を得る体験が楽しい、と思うようになるにつれ
  • 楽しいことを共感するためにSNSをすることから
  • SNSをするために楽しいと思われることをすることへ
と考え方が転換されてしまう部分があります。
これが行き過ぎると事件になります。
こうしたこと(考え方が転換してしまうこと)はSNSを通して
自分が「楽しさ」に踊らされているものと私は思っています。
もしくは「楽しさ」に踊らされていることさえも
気づいていないのかもしれません。



踊らされる側と踊る側の違い


「楽しさ」に踊らされていることに気づいていないのならば、
何かしらのアクションを通じてそれに気付けば良いと思います。
あるいは「楽しさ」に踊らされていることに気づいているのならば
抜本的に考え方を転換してみる必要があるかもしれません。

なお、「楽しさ」に踊らされていることや「楽しさ」に踊ることは
仕事でいうと雇用者と使用者との違い
に置き換えられると私は思っています。

楽しさに踊らされている=雇用者
楽しさに踊っている=使用者


雇用者は表面的に出ているように見えながら、
実はどこかで出ていずに、自信がないです。
弱い自分を出すのが恥、あるいは
弱い自分から目を背けたいことから
プライベートはさらけ出しても
心はさらけ出せていなかったりするのかもしれません。

これは
①アピール下手なこと(差別化ができない、練習できていない)
②ぶつかった経験がないこと(理想的な考えが大きい)
によるものと思われます。


一方、使用者は表面的に出ている出ていないに拘らず
弱い部分を含めて自分やプライベートを出して自信満々です。
弱い自分を認め、心をさらけ出していることもあります。
人によっては自己顕示欲と勘違いされる場合もあります。

これは
①他との圧倒的な差別化を持ち
②現実的なものの見方をしている
ことが原因なのかもしれません。


こうした違いのあることを念頭に置き、
例え現在雇用者側であったとしても、実は
使用者側に移行できる可能性はあります。
そうするにはどうしたらよいのでしょうか。
次に書いてゆきます。


待っているだけでなく、自ら動こう


結論を先に書きますと、
リスク承知で自分で責任を感じて動くことです。また、
なりふりなんて構わず日々歩むことが必要のような気がします。
リスク承知で行動を起こした結果、思わしくない結果が得られたなら
それは行動の結果だと受け止め次回に生かすことです。

踊らされる方々をひな鳥と考えた場合
ぽかんと口を馬鹿みたいにあけていれば
いつか親鳥が餌(楽しさ)は持ってきてくれる可能性もあり
そういった意味では「ラク」なのかもしれません。
しかし場合によっては
  • 餌を持ってきてくれる親鳥が現れないこともあります
し、一方で
  • 与えられた餌に毒が混ぜられている可能性もある
と思います。
ですから、もし餌がなくなってきたなと思ったり
これはまずいぞと思う、そうした状況に気づいたならば
死に物狂いで自ら餌をとる努力をする必要があるのではないでしょうか。
自分で餌をとることは決して「ラク」ではないと思いますが
その分、自分の好きな餌や生きている実感は得られると思います。


それを以下を読んで考えました。
自分のことをしゃべりすぎる若者たち 杉浦由美子著 講談社発行 2012.6です。 

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