一度の現実を歪ませず生きる方法

公開日: 9/18/2015 感想 教育社会学 教育文化を学ぶ人のために 読書

過去、現在、未来は直線で続く





















過去、現在、未来は延長線上、超社会化

歴史に「もしも」はないように、
人生はその場限りの結果をどうとらえるかが重要です。
言い換えると一度きりしかないと考えられる社会で、
どうするか、や、どうなるか、が重要となる気がします。

一般的に現在は過去から成り立っていて
また現在は未来にもつながっていると考えられています。
この「現在」が「見えない未来」へつながっている、
影響していることを「超社会化」といいます。
この「超社会化状態」では特に未来において
何が正常で何が異常か、予想はつきません。

しかし超社会化状態では正常異常がわからないながらも
今するべき行動によって未来が変わります。ですから
行動を起こすことで失敗しても改善したり、
あるいは今なされることをすることが
超社会化への「鍵」になると考えています。
そのため、ものごとを「どうするか」といった
解決思考の考え方が重要です。

例えば現在の社会でも
過去の核家族化やインターネットの普及から
「個室化」や「情報化」が起こり、それによって
人と人との直接対決が避けられていると思われます。
それを「個人の自由を得ることができる」、あるいは
「多くの情報から自分の生き方を選択できる」、と考えかえることで
直接自分から関わって楽しむこととが可能です。


歪まない情報を仕入れる、場は関係なし

そうしたものごとを「どうするか」といった
解決思考の考え方を取り入れるには
知識を取り入れることが必要です。
一般的にそのような場は「学校」がいえますが、
学校でなく地域や職場でも同様の機能を果たせられます

その際、歪んだ教育内容を受け継がないため
本質を見極める目が必要になる気がします。
本質を見極める目が曇り、歪んだ教育内容が間違って受け継がれると
たとえば社蓄文化や、学生の生徒的なまじめさなど
内容が間違って伝わるだけでなく、場合によっては
歪んだ教育内容を維持することに執着してしまうことがあります。

すると現実と理想との間の境界がなくなり、
理想が現実を凌駕してしまうこともありえます。
場合によっては「しなければけない」といった
神経症的な考えの発生することがあるかもしれません。

たとえば警察官や教員などが教育時に使う言葉も
先の目的を見据えた言葉ではなく、
目先の法律やルールで押し付けることがままあります。
これでは最大公約数的で、誰にも何もいっていないのと同じで
教育が教育として成り立っていない意味で問題です。

<警察:法律で決まっているから罰金払え
     →人を轢くのよりはお金がかからないでしょう、という。>
<教員:指導要領に載っているよう歴史を覚えろ
     →未来を拓く為に過去から学んではいかがだろう、という。>


教育の質を高める方法、心構え

そこで教育の質を高めたり、歪んだ形で取り入れないようにするため
即ち本質を見極める目を持つためには、 問題について
教えてもらう、与えてもらうといった受動的な考え方でなく
自ら解決する自発的考え方を持つ態度が重要と思われます。

なぜなら自発的な考えを持つことで
たとえ間違った場合であったとしても
その間違った情報の取り入れ方を修正したり、
間違った行動を次回に役立たせたりすることが可能だと考えるからです。

もちろん問題の解決を考える場合には原因追究は大切ですが、
原因がわかったところで解決策を見出し難いこともあります。
社会問題などはその典型です。

ですから例えばいじめの問題の場合でも
いじりといじめの境界線からいじりと受け止め変えたり
いじめを単なる競争と見て、勝つように方法を考えたり
することで未来への方策が考えらることが可能だと思います。





それを以下を読んで考えました。
教育文化を学ぶ人のために 稲垣恭子編 世界思想社発行 2011.4です。
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