長い目で見て自他を認めて生きる。

人生や社会は先の見えない長いなが~い途上です。


















 戦後日本は技術力が高まり、現在も複雑に発展し続けています。そうしためまぐるしく変わり続けている現代社会の中において、自分はどう生き、どうすることで良い人生が歩めるのでしょうか。それを考えることは重要です。そこでここでは複雑な社会における「良い人生」の歩み方、長い目で見て生きる方法を書きます。 


社会は成熟してきているものの


 近年は技術が発展することに伴い、他者との広い関係を持つことが少なくなってきています。(例えば電話を例に取ります。これまでは電話をする場合には、固定電話を使って相手の家にかけ、家族とのつながりから相手を呼び出していました。それに対し、現在は携帯電話の普及により家族と関わらなくとも直接相手との関わりが持てるようになっています。)

 こうした社会は、個人でも生きられる可能性がある意味で成熟社会です。そうした成熟した社会を適切に生きるには、自分なりに納得する「解」を得る必要があると思っています。

 そうした自分なりに納得する「解」を得ようと考えた場合、例えば現状がいつまでも続くと思われている勘違いをされているのならはじめに「時間の限界を知り」、「ピリオドをあらかじめ設定」することで、「その限られた期間」を「どうして生きるか」考えられる部分があるのだと思います。

 そして技術の発展ばかりに執着せず夢と技術を同時に鍛え上げる必要があるかもしれません。


成熟した社会で何を得るか


 満たされた成熟社会では当然選択肢も多くなります。ですからご自身は明確な選択をすることが求められます。その際目的は一つであったとしても手段は数限りなくあることを知ること、そして①長い目で見ることや②認めることも考えたほうが良い気がします。そこでこの①と②について以下に示します。

 ①の長い目で見ることは例えば収入において、プロスポーツは年収を先取りをしていることを考えること。あるいはプロ選手でなくとも短期的に失敗をしてしまったり、あるいは相手の依頼を断ってしまったとしても長期的に見て成功を考えることが出来たり、他人よりも自分の満足となる、ということです。
 ②の認めることとは例えば相手や自分の存在において在る、居ることを認めることです。あるいは自分や相手の弱さを認めることで経験値やクレジットを高められる、ということです。

 これら①や②をともに達成することで一般的には理屈がつながらないようなことでも、ある意味自分勝手に解釈してつながりを持ち、良く生きられます

 例えば福祉における「ソーシャルワーカー」と言う職業において、これは通常学校に出て資格を取ってからなるのが一般的ですが別の分野を極めてから資格なりを取ってこの職に就く場合があります。
 このような「寄り道」をしていた場合、確かに年齢を重ねていることから覚えが悪かったり、あるいは同年代の寄り合いでもソーシャルワーカーとしての経験が少ないといったこともあるかもしれません。
 しかし逆に別の経験をすることによって、支援の形として「自分がいろいろな軌跡を歩んできたように相手に対して押し付けではない未来展望」をはかれます。
 そうしたことから、「相手によく生きてもらう」ことを目的としている場合には相手にとって有意義な選択を提供することの出来る可能性が高いです。 


求められる緩やかな考え


 なお、そうした①や②の考え方を持つには、こうなりたいといった欲から気持ちを持つと新たな行動を想起することが可能です。ただし「なければならない」といった執着した考えではなく、ある意味で緩やかな考え方を持つことが望まれます。

 緩やかな考えを持つには学校などの「教育を使う」ことで身につけられる部分があると思います。学校での教育というと絶対で正しいものだと思われがちですが、そのようなことはありません。教育はあくまでその段階における大多数が正しいと思われていることであること、真の一部分を切り取ったものに過ぎないことを認識する必要があります。

 例えば科学技術の発展に対する生命倫理などにおいても、現在でも「知りたい欲求」と「神に抗う制約」とでせめぎあっている葛藤が今でもあることを知ったほうが良いと思います。

 つまりすべては完成系ではなく途上で終わりが無いことが考えられるのです。終わりが無いということが良くなる可能性はいくらでもあると考えられます。ですから私はそれは楽しみなことだと思っています。




それを以下を読んで考えました。
「ビミョーな未来」をどう生きるか 藤原和博著 筑摩書房発行 2006.1です。

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