「なければならない」から「したい」を見出す


 相手と話をするときに「何々しなければならない」といった命令などの大きい言葉に対して自分の気持ちが右往左往してしまうことがあります。すると自分の選択を必要とする大事な場面、例えば就職や結婚、生きる時や死ぬ時などにおいて自分の満足する選択が出来なくなります。これは問題です。そこでそうした問題を防ぐため、ここでは命令形に対してその中から自分の「したい」を見出す方法と、命令形の気持ちの背景とをそれぞれ書きたいと思います。


命令に従っても思う結果の出ないことがある


 上司や先輩、親、先生などからああしなさいこうしなさいなどと言った命令形の言葉をきくことがあります。しかしこの命令形の言葉のとおり行動したとしても、結果が思わしくなかったり場合によっては気持ち的にしっくりこないことがあります。

 こうした気持ちのしっくりこない場合にはこれが転じて、命令した人に文句をいったりあるいは世間が悪いんだなどと他人のせいにする、さらには自分はダメな人間なんだといった卑下をするといったこともあるのかもしれません。
 こうした「行動」と「気持ちのずれ」は日本において「わび」や「さび」を見出す場合には大変有効です。しかしわびやさびの見出しを意図していない場合には問題です。会社員などで仕事をする場合などではまさしくそれです。基本的にわびやさびは求められておりません。

 もちろん相手からの情報をもらってそれを選択をしたのは自分の責任ではあるのですが、それは後に反省する材料とし活かすこととして、とりあえず命令形で話をされる方に対しては「自分なりのやり方を見出す」こと、「自分としての身の振り方を考える」必要があります。


命令言葉を使う背景


 「自分を見出すこと」や「自分の身の振り方を考えること」とは他は他、うちはうち、といった自他の違いを見出すことです。

 これにはそれまで生きてきた生育暦や生き方も関連します。ですから一般的にこうだといえるものではありません。仮にいえたとしてもそれを万人が理解出来ないと思います。

 ただそうはいうものの、何かしらのきっかけからチャンスを見出すことはできると思います。そのためには自分の行動を責任を持って起こすこ、自立性や積極性が大切です。その方法を以下に記します。

 一方、命令をしたり、あるいは従ったりする場合にはどこか他人や権威、立場など何かに依存している部分があると思います。


命令言葉は無根拠


 そうした命令形を自他共に使っている場合は
「~先生が言ってたから」
「確実だって」
「間違いない」
・・・など、基本的に根拠が無く、言葉の中身が見えてない場合もあります。
 ですからこうした場合は「なぜ」「どうして」などの言葉を使って深く突っ込むことで考え方を改めることが出来ます。

 そもそも世の中には完璧なものなどなく、全て途上であり、自分の発言だけでなく他人の発言もまた確かではありません。

 確かに一つ一つの言葉は辞書などに定義されることはありますが、それもその場やその時代に記された一つの解釈なだけでいつまでたっても変わらぬもの、というものではありません。

 身近な例でいうと、ひとつに「ら」抜き言葉があります。これは私が小学生の頃、本来の使い方と違うから「使うな」といわれていました。しかし最近では「謙譲語」と「可能形」との区別の意味で使われることもあるそうです。(日本人の知らない日本語2 凪子 蛇蔵)

 ですからこうした以前まで正しいと思った言葉の意味でも時代の変遷で変わってしまうことのあることを考えると、相手の命令する言葉に「正しくあらねば」などといった強迫感に迫られる必要もなく、自由に発言できる場を有することが重要なのかもしれません。


無根拠に対して自分の希望を見る


 こうした強迫的ではない自由な場を持つことは、言い換えると他人や時代と言った他人の価値観よりも自分の中に確実にある価値観を大事にすること、あるいは希望を大切にしたほうが良いことともいえます。

 そうした希望を大切にすること、即ち実践的には希望を持つ場合は、間違えても良いではないかとりあえず言葉を出して後から修正すれば良いではないか、などのある意味で吹っ切れた状態。つまり「当たって砕けろ的な精神」が必要です。

 すると後に引けない状況が作られ最終的には成長することができます。ただし必ず成長できるという意味ではありません。)ですから確かに行動を起こす場合には失敗はつき物ですが、失敗を恐れて何もしないよりは失敗をしても何かを見出す、つまり自分で行動することが重要になるのだと思います。

 それには勿論ひとりで気付くことができれば良いですがそれだけでなく、他人との関わりがあって気く事ができる部分もあると思います。むしろ他人との関わりがあって初めて気付くことがあるのかもしれません。ですからそうした気付きを得るため、他人の考えの集大成である本を読んだり、他人との会話を通して自分の特異性を見出す必要があると思います。

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