リスクを負って今を生きる必要性とその方法

公開日: 11/11/2015 生き方 不安


安全と思うことの裏側にどのようなものがあるか。それは不安です。




















安全、安定、普通が求められる社会です。
そうした気持ちの裏にはどのようなものがあり、
それが育つとどうなるのでしょうか。
そしてそれを認識した上でよく生きるにはどうすればよいのでしょうか
ここではそうした安定を求める気持ちの裏側を記すとともに
それを知り、良い生き方ををするための方法を書きました。

安心、安定、安全が求められる社会

かつての私もそうでしたが、仕事を選ぶ基準として
「安心、安定、安全」を求める場合があります

確かに現在は先行き見えない社会であり
失敗をしたくないという意味ではこれらを確保することは
重要になる場合もあるのかもしれません。

しかしそれを続けたり増してゆくと最終的には
成長をすることができなくなります。これは問題です。
ですからここではそうした状況に対しどのようなことを考え、
どう対処していくのが良いかを書きたいと思います。


安心、安定、安全の裏には何がある。

このような安心、安定、安全が第一だと思われる背景には
現在の社会が安心ではなく、不安定で、危険である
ということがいえるのではないかと考えています。

確かにかつて、高度経済成長期では
今を苦しんでいればいずれ自分の利益となる
といった「見える安心」や「見える安定」がありました。
しかし今は違います。
かつてのオイルショック以降、バブル崩壊
リーマンショックなどの不況が次々社会を覆い
次の社会の予想が立てにくい
一歩先が見えないといったことが起きています。
するとそうした不安定で不安心、危険な気持ちが
先導してくると考えられます。

なお、不安の無い社会の例で言うと共産主義の社会があります。
中国やかつてのソ連のように共産主義をよしとする社会では
「選択に対する不安が無い」一方で「強制させられる不安」があり
みんなの利益を得るために個人は死ぬ必要があります。
これは健全な社会といえるのでしょうか。私は違うと思います。

しかし良く考えてみると
そもそも安全な社会などというものはあるのでしょうか。
人間は狩猟生活から始まったといわれていて
そのうちの一部が農耕民族として生活するようになりました。
狩猟生活を行うならばえさが無い限り歩き回らなければなりません。
農耕生活にしても天気の影響を余分に受けるため
人類は常に不安定な状況で生きてきたのではないかと考えられます。
ですから不安をなくし安心すること自体が
実は生き方として間違っているのではないかと考えます。


安心、安全、安定にこだわらないようにする方法。

そこで不安定で不安心、危険な状況が常態だとして
そうした状況を生きるための方法を考えます。
方法としては下二点があると考えています。
①安心、安全、安定の原因をつぶす方法
②そもそも認識しないといった方法
です。

前者でしたら心を安定的に保つことで
外界の影響があったとしても受けないようにします。
そのためには普段から自分の気持ちに気づくことが重要です。

後者は何はともあれ新しい場に飛び込むこと
成長をつかみとる勇気を持つことが必須です。
 
これらを考えることが無い場合、
成長することが無く、停滞してしまいます。
場合によっては世間に淘汰されてしまうかもしれません。

もしかしたら依存するのは子供だからなのかも。

現状に不満がありいちいちあーでもないこーでもない
と文句ばかり言うことがありますが
これはもしかすると精神的に育っていない
そういった部分があるのかもしれません。

確かに自分の思い通りに世界が発展することは無いと思います。
しかし一方でいつまでで自分に言い訳して生きていくのでしょうか。
いつまでもいう文句の先にはいったい何があるのでしょうか?
このような一点だけでなく少し広く柔軟に考えること
そうすることで今後の解決策を見出すことができる気がします。
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