単独で見ずに真実や責任を見出す

公開日: 11/02/2015 「責任」はだれにあるのか 感想 読書


 犯罪でも歴史でも単独で見ていては責任や真実を適切に推察出来ません。責任や真実を適切に推察することが出来ないと、間違った仮説を立ててしまうことから間違った行動をとってしまうことがあります。これは問題です。そこでここでは間違った行動をおこさないために、①真実を推察するための考えられる方法と②そしてそれをどのように応用することが出来るか、といったことを書きました。


なんでも立場による責任はある


 例えば組織運営をする場合、通常「組織を維持発展させる」といった目的や責任があります。こうした立場に応じた目的や責任はどこにでもあり、それぞれの人がそれぞれの場面における目的や責任を認識することが重要です。

 現在の社会では産業技術に発展によって便利になっていることはあるものの、一方で他人の役割や立場を認識できにくいことがあります。(正式には責任が隠れやすいと書いたほうがよい)

 すると法律でもやった者勝ちであるとか、あるいは極端な新興宗教が流行るといったおかしな価値観が蔓延することとなります。これは社会が純粋に回っていない意味で問題です。


責任は犯罪において複数ある


 そこで自分の責任や目的を認識するために、一つの事象でも複数の目を持つ必要があるように思います。すると責任範囲を見出せられると思います。

 例えば新聞やテレビなど報道される事件において何がどう責任があるのかを考えた場合、①実際に事件を起こしたものと、②それを広めたものと、で罪は分けるべきなのかもしれません。

 得てしてマスコミの報道では犯罪を犯した人が①犯罪自体も、はたまた②広げたこと自体も責任を負うとされてしまうことがあります。

 すると犯罪自体は軽微であっても報道のされ方によっては重大な事件だと思われてしまう、あるいはその逆もあり、報道機関によって罪のバイアスがかけられてしまいます。これは、法治国家である日本で法の公平性の観点からいうと問題です。

 ですからこのように一つの事件や事象でも公平性が前提にある場合において、一点だけを見るのではなく、広く複数の視点を持つ必要があります。

 そのために先ほどの事件の例で言うならば複数の新聞を見て報道のされ方を比べたり、あるいは一つの事件の裏側も考えたりすることで事件とその回りの深さを知る必要があります。


歴史にも複数の視点があって真実がわかる


 こうした広く複数の視点を持つことは、真実を推察する場合にも使えます。その例としては「歴史」があります。

 通常歴史は過去から連続して現在が作られており、その歴史を形作った理由はそれぞれあります。

 ですから例えば子供の教育を取ってみても、江戸時代の一夫多妻制から明治時代には子を学校へ通わせず働かせていたこともありましたが、こうした動きにはそれぞれの時代における理由がありました。

 しかしこのそれぞれの時代における理由「なぜそうなったのか」を理解することが出来ないと、無責任に他者への責任を負わせたり過去への不要な責めをしてしまうことにもなると思います。

 すると韓国の日本への賠償問題でもあるように自分の都合の良い事実だけを見て、真実を推察していまうこともあるように思います。

 ですからこうした歴史を見る場合に関しても、多くの視点を持つことで本当の真実を推察できます。


複数の視点を持つことで成長する


 以上のように責任がどこにあるのかはっきりさせる、あるいは真実を推察する場合において複数の視点を持つことは重要なのですが、それらの応用として自分の生活の良くなることを考えた場合、これは親や先輩、同僚などの他人の考えや話を聞き入れることであると考えています。

 彼ら身近なものの支援者の良し悪しはもちろんそれぞれありますが(例えば親なら深く理解してくれる一方、うっとおしい。)その良し悪しの出来る限りすべてを洗いざらい出して真実を見ることで、自分自身がよりよい人生選択やその選択に対する責任を負うことができると思われます。






それを以下を読んで考えました。
「責任」はだれにあるのか 小浜逸郎著 PHP研究所です。
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