個人の力を強める方法


 大企業の正社員は続けるうちに個人の力が弱まる可能性がある。なぜなら組織力で仕事を取るうちに、個人の力や現場の力よりも社内政治力が強くなっていくから。社内政治力が強くなると組織としての力は強くなるかもしれないけども、相対的に個人としての強さは弱くなるのかもしれないと考える。そうなってしまうと社会という荒波を個人で生きることは難しい。そこでどのように考えていけば荒波社会で個人が生きれるか記す。



身近にいる正社員の人


 「正社員を続けていくうちに個人力は弱まること」は先輩や後輩を見ていて思ったことです。かつての同級生を含め彼らが多く、大企業の正社員で働きだして10年選手や20年選手となる中で、だんだん守りに入ること、挑戦しないようになっています。「牙を抜かれた」と書いても良いかもしれません。

 これは確かに年が増えるにつれて役職も上がり、現場で「売り上げ」や「成果を上げること」すなわち食っていくための個人の力よりも「人を動かすこと」や「マネジメント」を主にするという意味で、管理能力を向上させるのが大事と思われているせいかもしれません。

 しかし、この管理能力をいくらつけていっても個人の力はのびないのではないでしょうか。今のご時勢山一證券、東芝などでも突然仕事や組織がなくなることがあります。そのように仕事や組織が無くなり個人が放り出されたときに、果たして企業で培ってきた管理能力を個人の力として使い食っていけるのでしょうか。疑問です。

 もちろん組織がなくなっても企業を渡り歩き続けるんだ、つるみ続ける”あて”がるのだ、と思っている方なら、そのつてを頼って仕事にありつける場合もあるのでしょうが。そんな一部の国家公務員や元マクドナルドの原田のような幸運、ありますかね?

 一方で長く正社員をしていたものとしてよくつく役職の例として課長、部長などの管理職があります。彼ら管理職の多くは現場で仕事をしている時代良い成績をおさめたり優れた力があったりしたのかもしれません。

 しかしそれがいつまでも記憶として残っていて先にあるような荒波に飲まれたとたん、管理能力ではなく個人の力の記憶がすばやく戻って動けるものでしょうか。たとえそれができたとしても何年、何十年前の記憶が現在で役に立つのでしょうか。

 私は長年自転車を乗るのにブランクのある人が練習で運転できる「ようにはならない」つまりいくら現場時代にいい成績を収めたとしても、それをいつまでも保持し続けることはできないと思います。なぜか、時代は変化しますし人間は忘れる生き物だからです。



多くの会社にいる正社員の人と正社員崇高主義


 また大企業の正社員は年齢が上がるにつれてある程度高い給料がもらえ、わけわからん社内政治に腐心を余儀なくされ、そのために大きな時間を浪費します。
 生粋なマゾな方ならそれでも良いのかもしれませんが、(売り上げに比べて)わずかな給料で莫大な時間を浪費している意味がわかりません。正直言って無駄、あるいは奴隷なのではないかと思っています。

 こうしたやたら奴隷のように働かせるシステムとして、日本には古くから滅私奉公の考え方があります。恵まれるべき弱い立場の正社員が給料を与える強い立場の経営者に働かせて貰うことで「お恵みをいただけるのではないか」「良いように扱ってもらえるのではないか」と考えるところがあります。

 そうした「結果よりも努力がすばらしい」といった考えや「頑張れば救われる」、だとかいう無根拠な考え、つまりは根性論、滅私奉公が実は多くの社会にいる方の中にある結果、正社員崇高主義を生んでいるのかもと考えます。すると社会の多くは正社員を目指し、そして周りをそれをやけに評価します。

 以上から多くの無駄な時間を使って周りの人気取りや雰囲気に流されている部分があるのではないでしょうか。



そもそも会社って何だろう。今後への展望とは。


 正社員は基本的に「会社」という組織で働くことが多いですがそもそも「会社」とはなんでしょうか。
広辞苑第六版(2008) 岩波書店によると
商行為(商事会社)またはその他の営利行為(民事会社)
を目的とする社団(一定の目的で集まった人の集合体)法人
とあり、個人の力では達成できえないものを組織メンバーが協力して目標達成をするというものです。あくまで仕事をする「場」なのです。

 だとしたら管理をする人が仕事をする「場」に直接寄与しているかか?と思います。それって直接的業務ではなくあくまで間接業務なのでは?とも思っている部分があります。
 すると正社員として続けて管理職となりその管理能力を鍛えていくうちに確かに組織としての力は強くなるかもしれないけども一方で個人としての力は弱くなるのではないかと考えています。

 また、人間の最初の最小単位は一人です。最初は一人で生まれ、成長過程でほかにつるむ人間ができても最終的には一人で死んでいくんです。

 そうした意味ではいつまでもつるむ環境で生き続けることは難しいと考えます。ですから個人の力、食っていける力を持つ必要があるのです。そのためには自己研鑽して他者と比較できるもの、個人の力を見つけ出し磨くことが必要です。

そのため普段の仕事をしていたとしても自己研鑽できるだけの余裕を残すこと、あるいは個人の力を高められる価値ある仕事をしてはどうかと思っています。

 これはつまり個人の力が弱く腑抜けになる前に、満足して一度しかない人生を有意義に使ってみては?ということであり、それと同時にそのために確固たる差を見せ付ける努力をしませんか?と言う提案をしています。










 究極のところ、大企業にいて個人の力が弱い人は物事の有限性がわかっていないのではないかと思っています。万能感を持っている若者と同じで時間に関して言えば明日も今日と同じく来ると思っていると考えます。
 確かに大きな会社組織なら誰かが守ってくれるものですから、そう思うのも無理はないです。しかしそうした暇な環境ができることで一日一日を無駄に過ごし無駄な組織政治力に尽くす。個人の力が弱くなるべくしてなってしまったと考えているのですが、いかがでしょうか。

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