上司の「立ち位置」と「正義」とを考える

 上司がまとめ役としての立ち位置を誤って認識していたり、正義としての考え方が一方的だったりすると、相手を押し付けてしまいがちになります。学校や軍隊ならば従わせることが目的なのでそれでも良いかもしれませんが、特に会社組織などにおいて売り上げを上げることが第一目的になっている場合、そのような押し付けは部下など立場の弱いものにとっては非常に厄介なもので、また売り上げの面でも上がらず問題となります。そこでそうした問題を起こさないためあるいは起きないようにするためにはどのような考えを持つのが良いか、一例を書きます。


自分の姿にこだわるリーダーの例


 先日、上司が部下にどうやって売り上げを上げているのかといったことを説いてる場面に出くわしました。その途中でリーダーらしき人が割って入って「売り上げのことなんてまだ部下には関係ない」などと言ってさえぎる場面がありました。

 なぜリーダーである彼(彼女)はそのようなことをするのか。
 私は①まとめ役として今ある上司と部下の立ち位置が見えていなく、②自分の正義や会社というものはこういうものだ、と、あらかじめ彼の中にある上司としての姿にとらわれすぎていているものと考えます。
 このような方が居ると組織の中でも 本来こうしたら売り上げが上がるだろうなあ場面に遭遇しても、リーダーの機嫌次第でどうするかが左右されてしまい、結果的には上がる売り上げが上がらなくなってしまいます。だとするならばこれは問題です。
 ではそこでどのような問題にならないようにするには上司としてどうしたらよいのでしょうか、ここでは一つの方法を示します。


誤ったまとめ役としての立ち位置


 生まれてこの方、特に学校を卒業してからすぐに社会人になった場合においては、その人にとっては上司のモデルが「親」や「学校の先生」であったりします。

 親は自分が何も出来ないときから面倒を見てくれていて、非常にありがたい存在だとは思います。しかし時に自他分離の出来ていない完ぺき主義で神経質な親御さんから育てられた場合においては、親の目に見えない価値観で子である自分の価値観を縛られてしまい、それが常識として自分に埋まることで他人に見えない価値観を押し付けてしまう場合があります。

 また学校の先生は多くの場合、「最大公約数を押し付ける人」であり、それゆえに学校や国などにおいては「少数や異端を認めない」という状況になりがちです。ですからどうしても命令形の口調になったりします。軍隊などでも同じです。 この学校や軍隊の命令形を知らず知らずの間に学習してしまい、本来聞いたほうが良いであろう「違う生徒」や「飛び出た部下」に自分の最大公約数的な価値観を押し付けてしまうものと思われます。これは相手の状況や気持ちを無視して自分の良さを一方的に相手に押し付けてしまうものと思われます。具体的には以下の前半のケースです。

 別に会社にいる間だけであったり、あるいは会社が潰れるまでの間だけであったりするならば、その恐ろしいさま厳しいさまを限定的な場面において使っても良しとして許されることがあるかもしれません。しかしそうした方は会社だけでなくプライベートでも同じようなことをしているのではないでしょうか。恐ろしいさま厳しいさまを認識してさえいない可能性も高いと思いますしね。
 そうした恐ろしいさま厳しいさまを示すことはその瞬間としてはいいかもしれませんが、長期的に見ると相手に恨みを買われ、最終的には相手から邪険に扱われます。すると自分が惨めになるのではないでしょうか。本当は惨めを人一倍恐れている癖に将来的に人一倍惨めになる行動を取っていたらそらそうなるでしょう、と第三者的には思います。ですからそれを変えたいのでしたら自らが変わる必要があります。

 そこでこれらの問題を改善するには、あるいは自分が変わるには「もっと多くのまとめ役の姿」を見ること、そしてそれを”真似る”必要性があるのではないかなと僕は思っています。即ち威厳を持ったり恐怖で相手を脅かさずとも、「安らぎのようなもの」でまとめ役としている人の「居ることを知り」「実践する」必要があるのではないかなと思います。そもそもまずはそうした人の居ることを「知りたい、学びたい」と思わない限り、そうした安らぎの人(北風と太陽で言うところの太陽のような人)をになることは出来ないのではないかと考えます。…と言っても結局は人の価値観はそれぞれですからしたくない人に無理してしなさいとはいえませんけどね。



そもそも正義=正しさは立場によって変わる


 それに正義や正しさというものは多くの場合立場によって変わります。
 極端な例で言うならば銀行強盗と警察の居る現場に出くわした際、一般的には警察のほうが「正義」だと思われがちですが、銀行強盗側にしてみれば銀行強盗するほうが「正義」だといえます。つまり正義というものは立場によって変わるゆえに「形」が無いのです。
 ですから一方だけの立場から見て正義を押し付けるということは実は非常に自分勝手だと思っています。
 となると上司として自分が部下と話をしているならば、自分の正義を主張して相手をねじ伏せるだけではなく、自分の正義とその限界を認識して相手の正義も認識して解決策を考える必要があるかもしれません。


上司は何を恐れようか


 例え上記のような立ち位置がわかり正義の問題がクリアになったとして、次に部下に負けるのが怖い、相手の言うことに従うのが怖い、ならばどうすれば良いのでしょうか。
 僕の考えとしては”たかが仕事”だし「負け続ければ良いのではないか」「相手の気持ちの良くなるようにしてみてはどうか」と考えます。

 自分より相手のほうが能力が高ければ相手に道を譲るのが特に先に生きた者としての本来の役割だと思います。それが出来ないのなら、すなわち上司としているにも関わらず上司としての役割を果たせないのならばさっさと組織を去るべきなのかもしれないとも私は考えます。若しくは上司としての役を解いてもらうか。
 何も自分が上司だからと言って部下より優れている必要は無いと思います(上司としての役割は部下がやる気を持って成果を出し次にステップアップしてもらうことのハズ)し、変に上司の立場に執着するから「相手より優れていないといけない」だとか「上司は負けてはならない」と思っているのではないかなと思います。だとするなら上司としてのプライドはいったん横においておいて 部下に対していい負け方が出来る上司や部下に対していい勝たせ方の出来る上司こそ組織として必要な存在だと私は思います。
 それを踏まえると先のつぶやきにおけるリーダーが上司と部下の間に立つならば、例えば部下の立場に立って「売り上げが上がる案が出たらええなあ」だとか、部下に向かって「いい案が出来たら君の良さとしてアピールするよ」だとか言えれば何かしら次のステップに進めたかもしれないなあと思うばかりです。

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