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勝つための個人の気持ちとコーチの役割

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コーチといって思い出すのは、陸上競技です。  悪い関係となっている組織はいろいろなところがあります。そうした悪い関係な組織は目的が達成できず問題です。ではそうした組織で活動する場合に、個人やコーチとしてはどのような態度で臨んでいけばよいのでしょうか。ここではその方法を書きたいと思います。 悪い組織の三つの要素  悪い関係の持っている組織はどこかどんよりとした暗い雰囲気を持っています。こうした暗い雰囲気をかもし出す主たる原因は、主に三つあると思っています。それはそれぞれ 個人、即ち自分の気持ち チームとしての形 コーチとしての役割  です。 個人、チーム、コーチ  個人、自分の気持ちは本来自分がやりたいからやるというのが一番です。しかし悪い環境となると相手や権威などにに媚びる傾向にあります。また慢心を生み、それが冒険を禁じ、成長を阻害していると考えています。  チームとしての形は先頭多くて船進まずではないですが、我が強い人たちが集まってしまうと結果としてどこへ進んでよいのかわかりません。またワンマンなチームは一つの目しか見えず、客観的な視点が得られません。  コーチとしての役割は、時に義務教育における学校の先生のように、押し付けることを成長と勘違いし、可能性を潰すことがあります。過酷にすることが正しいと思っている部分もあるかもしれません。  これらの考え方のずれから、ダメだと思うことで本来勝てる勝負にも負け、組織維持を目的としてしまい、本来の組織としての目的を果たせません。これでは何のために組織をしているのかわからなくなってしまいます。 個人の気持ち「拾う、と捨てる」  そこで考え方を変える手段の一つ、個人としての形として、以下の拾うことと捨てることとを循環させて成長をします(図1)。 図1.勝つための個人における気持ちの持ちよう 拾うとは・・・勝負時には勝つイメージを持つことは勿論なのですが、負けるというイメージを持ちます。そうすることで臭い物には蓋をしないことから、事実を事実として客観的に見つめられます。すると最悪からのスタートを想定することができるかもしれません。  捨てるとは・・・拾うことに対して、基本に集中することでしなければならないこ

組織内でも都度、組織で行動する意味・目的を考える。

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ピラミッドも下があっての上で、上があっての下です。偉いとか偉くないとか関係ないよね  ひとりで解決できない問題は実に多くあります。そうしたひとりで解決できない問題を解決しようとした場合に、多くの場合関与してくるのが、組織です。組織には公共団体、NPO、会社などの法人があります。またこれには組織によらず問題解決に向けて、組織内でも同じような行動をしている人が居ます。区別すると、主には現場で仕事をする人と管理者とです。ついつい仕事の様子を見ていると、現場を動かしている管理者の人こそ偉いのだ、と思いがちですが、決してそのようなことはありません。組織はそれぞれの役割の異なる人がいて、そういった人たちが、協力して問題の解決を図っているのです。そうした問題解決にかかる組織の人間とはどういう人が居るのか、その組織の属する人の役割とは、と言ったことについて書いてみました。 問題解決を目的とした組織  組織の形はNPOだろうが会社だろうが変わらないのだと思います。そこで 何を目的に達成するのか、どういった基準で測定したら、それが目標達成、もしくは未達成となるのか を考え結果として利潤を生むのか(会社)満足を得るのか(NPO)の違いだと思っています。  組織は多くの種類があるわけですが、その中で私が一番素晴らしいと考えているのは「請負型」です。何が必要で、何が必要でないかと言ったことも見極めた上で各人が各人で自覚を持ち、技術を核として理論や工場などの道具を使います。  かつての会社ではこうした方、各人の自立をしているような方、すなわち職人さんが大切にされ、尊敬されてきました。そうした方のおかげで我々日本の復興はなされたと思っています。現在でもそうした方、職人さんのような方を大切にしないと内部告発やボイコットがなされ、新たな問題が発生することも有ります。  こうした各自が自立した方となるには、問題を問題として認識して、どうして行くか、行動する必要が有ります。またどんな資源をどれだけ投入し、何を得るのを目的とするか考える必要があります。 組織内の現場の人と管理者  現在でも職人のような方と似た行動をとる方も組織の中には居ます。組織の中にはシステムがどうであるとか今後のことなど一切考えず、ただひたすらに目の前の

問題解決には、自ら考える。

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問題を解決するには考えることといっても過言ではないかもしれません。  どこに行っても理想郷を大事にしすぎて他人と衝突する人が居ます。そうした人は、現実を見ている周りの人にとって迷惑します。問題です。では、逆に自分がそうした問題を発生させないようにするにはどうしたらよいでしょうか。ここではその方法を書いてみました。 自分で考えて  与えられることで意欲を削ぐことがあります。例えば国が一方的に言っていることを全て正しいと妄信したり、学校は正しいことを教える、などと言った誤解です。時には与える代わりに応答を強制させることから、自ら考える意欲を減退させることも有ります。  こうしたことが行き過ぎると現実を見ない学者のような無責任で桃源郷的な理想ばかりを発言する連中が増えます。エントロピー増大の法則で考えると至極当たり前なのですが。  これに対し、与えられることはなく自らの意欲があるもの、考えて、自由と責任を持ち、自立するものがいます。自立するためにはなんでもはじめに「たたき台」を作り、それを調整することでより良い状況をつくることを目指します。  調整の過程では①最初にある情報を圧縮してから伝達し②相手が解凍する過程を踏みます。こうすることで情報が小さくも大きくもなります。 現物あわせのいろは 圧縮と解凍   こうした調整をすることとは、「ある循環」を持って導き出される「近似解」を導き出すこと だと私は考えています。  どこから始まってもいいのですが ①評価することなく、相手を受け入れ情報をフラットに仕入れるだけ仕入れる。②目的を確認し、目的に沿った形で情報をできるだけ数量的に評価する。③伝えたい情報以外のノイズを全て捨てる。④伝えたい情報を、過去の視点から、定性、定量問わず可能性を持たせる。 と4つの過程から導き出されるものだと思っています。 2、では特に目的が無い場合、本来要らぬ情報を雑音として捕らえる危険があります。 4、では既知の知識を用いて思考の関連性(スキーマ)から情報を引き出せます。  こうして圧縮と解凍を繰り返して得られた結論はあくまで暫定解、近似解なので例え行き着いた結論が失敗だと思われそうな場合もあります。そうした場合でも考え方次第で良い循環に変化させること