「〜ねばならぬ」から「〜にこしたことない」考え方へ
なんでせえへんねん、って思った時にはするにこしたことないと思いなおそう。 皆さんの多くは、官僚にでもなりたいのでしょうか。少なくとも私のこれまで付き合ってきた指導者の方の中には吹奏楽でも仕事でも普段の生活でも 「せねばならない」「するべきだ」 等と言っている方が多くいました。また新聞の社説などにもそのような論調で書かれることがあります。こうした考え方や言動・行動はは心のゆとりを潰し、本来人間にある発想する力や生きる力を萎えさせます。ですからこうした考え方や言動・行動は、私は問題だと思っています。そこでこうした「ねばならない」といった考え方や言動・行動にならないようにするためにはどのような考え方や、言動・行動をしたらよいのでしょうか。ここではそれを書いてゆきたいと思います。 なぜせねばならないのか 短期的な収益の得ることを目的とする場合、もっとも簡単で効率的な方法として 「恐怖(せねばならないという強制性)」 を覚えさせる方法が有ります。これは限られた間に、限られた成果を得ようとする場合に有効な方法 です。 例えば戦争や競争でしたら明確な「終わり」というゴールが有ります。そうしたゴールまでの 限定した期間 で恐怖を使うのでしたら一時的には効果がある、といえる場合もあるかもしれません。 しかしこれをいつまでも続く、つまりゴールのない勉強や仕事、芸術関係などでも応用することは間違いです。(長期的な戦争でも強制や恐怖で支配することは難しい。)一時的には成果が得られても長期的には成果が得られなくなります。 それは言われる側になってみればわかります。例えば強制されたり怒られたりすると、技術は上がる一方、 どこか言われた方は嫌さや恨みのような気持ちが発生 します。表面には出ない、たいしたことない僅かな大きさの気持ちでも、強制され続けると気持ちも徐々に溜まってゆき、いずれ爆発します。するとどうでもいいやと思うようになり、富士山の噴火よろしく、自分だけでなく周りへも大きな危険を及ぼすことが考えられます。 さらに一般的に新たな発想は、遊びや余裕などのポジティブな気持ちから出てくる可能性があります。ですから怒りや嫌さ、恨みなどネガティブな気持ちを持ち続けても新たな発想が出てくるはずがありません。 で