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プレイヤーとマネジャーのどちらが向くか

 会社には経営者と労働者が居るように仕事の中にもプレイヤーとマネジャーの立場があります。これらを間違えて選択してしまうと、たとえば無駄な徒労をして燃え尽き最終的には精神疾患になってしまう場合もあります。そうなってしまうと問題です。そこでここでは就職する場合において自分がプレイヤーとマネジャーどちらを選択するか、その違いと考えることの提案を示します。 不安定な立場の人を少なくしたい  前回 の記事にも書きましたが理系の学生はプレイヤーになれ得る可能性があります。その上で、就職するときには自分がプレイヤーになるのか、あるいはマネジャーになるのか考える必要があるように感じます。  この選択を見誤るとどっちつかずな存在になってしまうと心が不安定な立場になってしまうこともあります。自分の得ているものが得られない場合もあることから重症になると燃え尽き症候群のような精神疾患となってしまう危険性もあります。  ですから私はできる限り、私のような不安定な人間は作りたくないと考えております。そのため就職や転職を考えられている若い方は、若いうちから 「自分はどちらで仕事をするのか」「何が自分は好きで、何が向いているのか」といったことを 自分なりにある程度、一貫性を持って行動し続けることは大切 です。  それにあたっては体験しないとわからないことはあります。ですから できる限り多くを体験をして自分なりの結論を早く導いてほしい です。アルバイトでもいいですし、研究室やゼミでの体験も結論を導くために存分に利用されたらよいでしょう。  早く自分の向き不向き、好き嫌いがわかればその分、それに合わせた幸せな時間を長く過ごすことができます。 プレイヤーとマネジャーの違い  上記を踏まえた上で、私が体験したプレイヤーとマネジャーの違いを以下に示します。 プレイヤー  プレイヤーは手を動かすことで、その状態における最大限の成果を出すことを目的としています。ですから手を動かす部分における専門家として活動できます。たとえば研究者などがそうです。  プレイヤーとなれば(マネジャーと比べて)薄給になる可能性はありますが自分の専門性としての満足が得られる可能性があります。  またひとつの特定の分野に精通しておく必要はありますがそれ以外の分野に関しては精通

今手を動かして将来を考えることの提案

毎年年末から年度明け、そして夏ごろまでの間、次の年度の新たな新入社員の採用をするため会社の人事部があわただしくなります。今年は3月1日から企業による就職活動が解禁され、企業の人事部や、もしくは多くの人材育成企業それに付随する企業が「企業説明会」と銘打ってイベントを企画、来年度以降に卒業する学生を呼び込んでいます。そのような企業における企画が活発化してくる中で採用される学生側としては何が必要なのでしょうか。私は大事になってくるのが「自分の志望意図」だと考えております。自分の志望意図がしっかりしてくると応募する企業や職種なども決めやすくなります。ですからこの志望意図を固めることは重要になるわけですがここではそのなかでも重要になると思われる 「手を動かして考えること」「プレイヤーになることとマネジャーになることとの違い」 を示したいと思います。 理系は一流のプレイヤーになれえる  私はもともと理系の出身です。理系の場合はもちろん文系の学生のように理論をこねくり回すこともありますが、それだけでなく 「手を動かして実験ができる」といった大きな特徴 があります。(文系の学生でもたとえば文化人類学の比較をする場合直接手を動かさなければ何もわからないわけですが)  これはいうなれば 自分の手でものを作れる。つまり一流のプレイヤーになれる可能性がある ともいえます。 しかし多くの理系学生は手を動かさない部分で将来を決めている  しかし多くの学生は中学生や高校生自分に数学や理科(もしくはそれに近しい科目、物理・化学・生物)が「他人よりも高い正答率が得られる」という理由だけで理系の道を選択した場合もあるように思われます。かつての私がそうであったように。  またその理系の学生の中でも「仲間が多くいっているから」であるとか、あるいは先輩や両親などの周りの方々の声などにより「研究者になるには大学院まで行かなければならない」という幻想に踊らされてしまい、大学院に行く方も居ます。  いずれにしてもこれらは 自分の手を動かさず将来を自分以外のもので決めようとしている、 と私は考えています。 一方仕事では手を動かさないことはない。  これは大企業に所属するごくごく一部の管理職ならありなのかもしれません。  案件を下請け企業に丸投げして、自分が高めの見